2011/02/28

カーニバルの始まり!


U. E Aniceto Arceの子供達と出会った

 2月24日、El dia de Compadre。一週間後のComadreと対になるお祭り。一生涯友情を続けたい相手(男性)に特別のパンや果物、お菓子をかごにつめ、祭りの象徴であるAlbahaca(バジル)とRosa Pascua(ゴールドマリー?)の花を飾り、小さな旗をたてて送る。男性から男性、女性から男性、どちらもありうる。ただし、相手は尊敬できる男性でなければならない。すなわち、恋の対象ではないということ。好きだけれど恋愛対象という相手に女性が送ることもあるそう。やわらかくノ―をいうのだ。男性によっては失恋の日でもあるわけで、なんとなくおかしい。せっかくの素敵な習慣。ぜひ、あのかごを用意したい。オルガの息子、ボリビアの弟にあげることにした。パーツを買って自分で好きなものをつめてもよし。用意されたものを買ってもよし。初めてだから何をどうアレンジしたらいいのかよくわからず、今回は用意されたものを買った。家に持って帰るとオルガが大喜び。Compadreの相手には常に尊敬をこめてCompadreと呼びかけるのよという。

 この日はオルガの孫、Miguelの娘、Maria Liliaの5歳の誕生日でもある。昼休憩、午後のパーティーの準備で忙しいMiguelをつかまえてかごを渡した。パーティーへの招待状は昨日Maria Liliaが届けに来てくれている。Miguelの奥さん、Fuliaから必ず来てと念をおされる。仕事が6時半までだから遅くなるけど、行くと約束。

 戻って昼ご飯を食べていると、San Roqueの生物の先生Durvynから電話があった。この間話をした学校に今日来られないかという打診。もちろん行ける。そして行ってきた学校、U.E Humberto Portcavelo 2 は耳の聞こえない子供達の学校のすぐ近く、町はずれにあった。Educación Convenioといって今行っている他の学校(Educación Fiscal) とは違うラインに属する学校だ。このEducación Convenio内にFe y Alegríaというカトリック教会の援助が入る学校があり、この学校もその1つ。市内の学校(Educación Convenio)に比べてお金がかかっている印象。Educación Convenioの学校は主に就学が困難な田舎に配置され、ストライキはしないという約束で教員が雇われている(ボリビアの教職員組合はよくストライキをして、授業がキャンセルになる)らしい。このあたりは教育法を読むなかで少しわかってきたけれど、まだぴんとこない。そのうち・・・

 校長先生は40代くらいの若い男の先生だった。Durvynが事前に話をしてくれていただけあって、簡単にプロジェクトの説明をした後はプレゼンの日程を決め、必要なものをメモして、と手際よく話が進んだ。校長先生との話の後、Durvynが校内を案内してくれた。Mercado Campecinoの近くにある学校が手狭になり、高等部が新しい建物に移ってきた(だから“2”と数字が学校名についているのだそうだ)。設備は新しくきれいで、部屋もあまっている。市内からはずれているから敷地も広く、昨年から生徒と庭造りを始めたとかで小さな木が植えられている。分別したゴミを保管する部屋、コンポストを始める場所。どれにもことかかない。Durvynは生徒と再生紙づくりをしたいという。大学でやり方を習ったと。リサイクル業者にもっていくよりもずっといい。まずは掃除をして、ゴミを分別するシステムが軌道にのり、ある程度古紙がたまったら始めようと話し合った。
 さらに、U.E Humberto Portcavelo 2からSEDUCAに戻ると、1人の校長先生が待っていた。プロジェクトに参加したいけれどまだできるのかと。U.E San Roqueの先生から聞いたらしい。うちの学校でもやってみたいと言う。昨年作ったレジュメを見せながら説明すると、それをもとに先生達と話し合って研修の日を決めると言って帰っていった。

 これで今学期関わることになった学校は10校に。
U.E Aniceto Arce (turno mañana)
U.E Aniceto Arce (turno tarde)
U.E Carmen Meala (turno mañana)
U.E Carmen Mealla (turno tarde)
U.E San Roque (turno mañana)
U.E San Roque (turno tarde)
U.E San Roque (turno noche)
U.E Humberto Portcavelo 2
CEADI (耳の聞こえない子たちの学校)
そして、今回の学校U.E Avelina Raña (turno tarde)

 3校の予定が、一気に数が増えたのはもちろん新しい学校が興味を示してくれたのもあるけれど、校長先生達がどうせなら同じ建物を共有する、午前、午後、夜の他の学校と一緒に始めたいと言ったからだ。もちろんその方がいい。校長先生同志で話をつけた学校もあれば、行って来てほしいと頼まれた学校もある。手が回るのかちょっと不安になるけれど嬉しい。結局プロジェクトは学校が、先生達が始めるもの。出来るだけのお手伝いをするだけでいい。
 

 家に帰ると上から子供達の叫び声とばたばた駆け回る足音がする。荷物をおいて4階へ。Maria Liliaが走ってくる。ハート形のきらきら光る髪留めとお揃いの小さいピアスをあげると、走ってお母さんに見せに行った。数名の友達といとこ達、そしておばさん、おじさん、おばあさん、おじいさんと総勢30名くらい。ひとしきり挨拶をすませると、エンパナーダを2つとコーラを渡される。すぐにケーキカット。私が帰るのを待っていてくれたよう。ハッピーバースデーの歌を歌ったあと、Maria Liliaがケーキに口をつける。この瞬間が実はあぶない。何年か前メキシコで誕生日を迎えた時、何もしらなかった私はケーキに顔をつっこまされたことがある・・・従兄弟が1人待ち構えていたけれど、十分警戒していたMaria Liliaは無事。続いてお父さんのMiguel。鼻の頭にくっつけただけ。次にお母さんのFuliaが呼び出される。従兄弟くん、最後はおばさん相手に見事成功。Fuliaはおでこにまでピンクのケーキをつけている。Maria Liliaが手作りの袋に入ったお返しをみんなに渡してまわる。ケーキが回ってきた。Olgaが手招きしている。昼にMiguelに渡したComPadreのかごを持たされる。再度みんなの前でMiguelに渡させられた。正式にConPadreというわけだ。

 最後に記念撮影。ちょっと疲れた顔をしているMiguelとFuliaだけれど、嬉しそうだ。Maria Liliaは相変わらずの気性で、嬉しさのあまり甲高い叫び声をあげるかと思うと、顔をくしゃくしゃにしてかんしゃくを爆発させたりする。お姫さまが大好きで、自分でもお姫様のつもり。見せたいものがあると、“Ven!”(来て!)叫んでまるで女王様のよう。それでも5歳を迎え、幼稚園を変え制服が変わって、長めのジャンパースカートをはいているとぐんと大人っぽくみえる。言葉もはっきりと発音するようになり、私にも言っていることがだいぶわかるようになって、会話が続く。どこで覚えたのか「ジョコサン」とさんづけで呼んで、部屋にきてひとしきり幼稚園のことやカーニバルのことなど話していくようになっている。

 タリハに来て、7ヶ月、ボリビアにきて8ヶ月だ。



2011/02/21

新学期!活動開始?

 土曜の朝。夜半から降り続ける雨がやむ気配はない。
カーテンをあけてベッドの上でストレッチ、そしてしばしメディテーション。
そのまま、またうとうとしているといつの間にか1時間。
雨の日によくあるけれど、気持ちが沈んでいく感じがする。
これではいけない!あわてて起き上がる。
特に予定のない日。何をしようか。
料理だ!

 昔教えてもらったシェパードパイ(羊飼いのパイ)なるものと、アメリカ人カップルに教えてもらったばかりのゴマと茄子のパテに挑戦することにする。
小雨になったすきをぬって買い物へ。細かく丁寧に、が苦手だから雑なれど、作っていると無心になれて楽しい。せっかく作るのだからと、同期のちーちゃんを招待。
玉ねぎ、ニンニク、ニンジンを炒め、ミンチを加えて塩、こしょう、オレガノ、ローズマリーの鉢植えから葉っぱを切って味付け(しょうゆいれるといいのを忘れた・・・)。その傍らふかしたジャガイモにバターと牛乳を混ぜてマッシュドポテトを用意する。パットに炒めたものを敷き、その上にマッシュドポテトを乗せて、オーブンに入れた。30分、焼き上がりを待つ。

全員で記念撮影
 2月に入り、学校が始まった。新学年、新学期。12月から進めてきた小さなプロジェクトを軌道にのせるべく出かける。前年度から研修や打ち合わせをしてきたU.E Carmen Meallaでは、どこに分別したゴミを保管するか学校内を見回ったり、次回する予定の先生向け研修用に作った資料に校長先生から質問があったり、具体的な話をしはじめた。何回か来るうちに、子供たちが名前を呼んでくるようになっている。U.E Aniceto Arceは2回めの先生向け研修を終了。ここは何度か道徳の時間?に日本のことや“聴く”ことの大切さを漢字と絡めて話しに来たりしたから、ちょっと気楽に来られる学校。女性の先生達がやる気で私の提案を取り入れつつ、現状ではこれは難しいけど、これはできるからやりたいなど、建設的な意見をいってくれる。男の先生た達はちょっとへっぴり腰。

 U.E San Roqueでは先生向けに初めてのプレゼンをしに出かけた。この学校は近くのGuadarquivir川周辺の掃除をしている時たまたま出会った。校長先生が環境問題に関心がある。生徒は12歳から18歳。中高等学校だ。まだなじみがないから学校に入る時は緊張する。それでもこのプレゼンは何度かやっているうちに先生達の反応がだいたいわかってくるようになった。あまり話を大きくすると、話し合いがなかなか具体的にならない。日本の紹介もするけれど、何よりここタリハでできることを説明する。私から提案はするけれど、実際どうやるのかは各学校しだい。だからできるだけ口ははさまず、先生達同志で話あってもらうようにする。でも気候変動や地域のゴミ清掃機関EMATの批判にまで話が及ぶと、ちょっと軌道修正。知識は大事だけれど、この時間は学校ができることを話し合ってほしい・・・。校長先生がやる気だから、先生達も表立って反対はしないが、思惑は様々。仕事が増えるのだから。それでもこの日、校長先生のイニシアティブでやってみようという結論に。具体的にどうするかはこれから。とりあえず、最初の壁はクリア。

 オーブンにいれて30分。料理に変化がない。おかしい!オーブンの温度が全然上がっていなかった。あわてて強にする。もう、12時半!

 カーニバルを控えたタリハ、予想していたとはいえ、プロジェクトの進み具合はゆっくりだ。校長先生との会合や研修を重ねるけれど、具体的に始まった学校はまだない。子供と触れ合う機会もなく、オフィスでのデスクワークが多い毎日。ちょっとストレスがたまる。それでも思わぬ嬉しいこともある。

 U.E San Roqueのプレゼンの後、生物の先生が近づいて話しかけてきた。環境教育にすごく興味があったけど、どう始めていいかわからなかった、協力したいと。スクレ出身、大学を卒業して2年。はきはきと明るい女の子。名前はDurvyunという。彼女が教えている別の学校は生徒も少なくて、他の学校と建物も共有していない。校長先生に話すからそこにも来てくれないかと。何より大事なのは現場の、タリハの先生のやる気。私1人が、校長先生1人がつっぱしっても仕方ない。ちょっと自分を振り返って反省もしつつ、心からそう思う。そしてこの日1人の若い先生が自分から行動を起こしてくれた。嬉しい。プレゼン帰りの夕方、ルンルン気分で帰った。

 オーブンの温度は上がったけれど、今度は下ばかりじゅうじゅういって、一向にマッシュドポテトに焦げ目がつかない。ここが黄金色にならないとおいしそうに見えない。奮闘していたら、教会へ行っていたオルガが帰ってきて、ここにいれるのよ、とあけてみせたのが火の下、パットがしまってあった場所。あ~こんなところにいれるのか・・・。

ダイアナ妃の名前が彫られている
 そしてもう1つ、SEDUCAの障害者教育担当の同僚Martinaが耳の聞こえない子供達の学校の校長先生を紹介してくれた。子供が7人、大人が3人、10人だけの本当に小さな学校。創立時イギリスの亡きダイアナ妃が援助をしたらしい。まだ開発中の町はずれにある。敷地は緑があふれてきれい。落ち葉がたくさんの木の下から肥えている土をとってきて植えたというプランターにもバジルやゼラニウムがつやつや光っている。初めて行った日は簡単な自己紹介と大人のクラスで折り紙を少しした。先生の息子や子供の母親も参加。私の言葉を先生が手話で通訳してくれる。校長先生と相談して、次回は子供達と折り紙をして、先日仕上げたばかりの紙芝居を見せることを決める。校長先生はこの他、庭づくりを生徒とやってほしいといっている。この日「すわってください」と「こんにちは」の手話を覚えた。

  ちーちゃんがきってくれた。しばし、待たせる。ごめんなさい。
ようやくきれいな焦げ目がついた。オルガに感謝。なかなかおいしくできたと思う!食後はウユニ塩湖の写真を見せてもらった。私たちのほぼ3週間後にいったのだ。ウユニ塩湖は水がはって鏡のよう。空がうつってさながら雲の上を歩いているような、そんな写真がたくさん。ウユニのまた違う顔。同僚のGermanが言っていた。日本の経済大臣がくると。リチウムの豊富なウユニ塩湖の開発権。あの美しい塩湖を傷つけることなく、きちんと利益をボリビアの人々に還元する形で開発してほしいと心から願う。

折り紙で羽つきハートをつくった。

2011/02/16

天国に住むタリハ人

ハンモックから見上げる空

 2月。年末から雨がたくさん降るようになって、緑がぐんと増えた。タリハをとりまく山々も気がつくと、緑に光っている。日本の山のよう。さすがにあの暑苦しさはないけれども、湿度も高くなってきた。先日オルガにちょっとおいで、と言われて部屋に行くと、聞いてごらん、と窓の外を指さす。ジージージージジジジジ・・・蝉!先日友人に日本の夏といえばセミという話をしたばかり。タリハでセミの声を聞くのはなぜかとても不思議。そう言ったらオルガはあなたの弾いている曲よ、と言う。バイオリンの発表会で弾いた曲"La Chichara Cantora"は「よい声で鳴く蝉」の意味。そうだったのか。新たな発見。歌になるほどなのだから、蝉はタリハの風物詩でもあるのだろう。雨上がりの日差しのもと、一匹だけで鳴くセミにしばし耳をすませた。


食べて美味しい葡萄

ワイン用の葡萄
 旅から帰ってきた1月半ば。夏休み中の学校は空っぽ。SEDUCAに詰める日々。この期間に出来ればやりたいと思っていた英語の授業のセミナーも準備はしてみたものの、日程がうまく合わずに頓挫。せっかく時間があるんだからとスペイン語のフォローアップ研修を受けることにした。タリハまでスペイン語を勉強しにくる学生はいないらしく、英語やポルトガル語の先生はいてもスペイン語の先生はいない。探しに探してようやく見つけた先生。国語の先生で、外国人むけに文法の説明は全然できないのだけれど、学校で教えているだけあって教育の分野の知識は深く、話を聞くとおもしろい。そしてよく話す!結局授業は先生の持っているテキストの小話を1つずつ読み、意味のわからない個所を教えてもらって内容の確認をする、読んだエッセイの感想や歌の翻訳、仕事に関する文書などスペイン語で書いたものを添削してもらう、そして新しい教育法をプリントアウトしたものを少しずつ読んでいく、という3つをやっていくことにした。ついつい便利な辞書に頼ってしまい、自分の本来のスペン語力を超えた複雑な文章を書いてしまったり、新しい単語が全然頭に入らなかったりと、反省点は一杯。それでも多少退屈ではあったけれど、同じ単語が繰り返しでてくる教育法を読んでいく作業が意外に役に立っていることに気づいて、英語も結局こうやって身に着けるのが一番自分に合っていたことを思い出した。やっぱりスペイン語の勉強は続けないと伸びないことを実感。先生のところに通うのはいいモチベーションになる。


かわいいDurazno(桃)
 2月は葡萄の季節。週末はワインで有名なValle de ConcepciónにあるOlgaの実家や知り合いのぶどう農園を訪れる。歩きながらぶどうのつまみ食いをしたり、ハンモックに横たわって読書したり、近くの木から桃をたくさんもいでフレッシュジュースをつくったりしていると、なんだか避暑地にバカンスにでもきている気になる。タリハがボリビアの軽井沢とよばれる由縁が分かってきた。そしてタリハ人は自分たちの土地をパラダイスと呼ぶとOlgaが言う意味が。見事なほど豊か。

Todos los Tarijeños, cuando se mueran, se van a ir a infierno.
¿Para que quieren ir a paraiso? 
Si ya vive en el paraiso.

(全てタリハ人は、死んだとき、地獄に行くだろう。
いったいなんのために天国に行きたいと思うのか。
もうすでに住んでいるというのに。)






 この時期、タリハには多くのバックパッカーが訪れる。20代から50代、さまざまな年代の人が数ヶ月から数年にわたって、ボリビア、南アメリカ、そして時に世界中を旅している。カップルで、1人で、旅先で出会った人と一緒に。彼らの多くは環境や有機農法、自然との共生やいかにシンプルに生きるかということに興味をもっている。必要最小限のものを持って、気に入った場所では自分に必要な時間だけ滞在しながら、長期にわたって旅をする。

 「一つの目で千の場所を旅するのと、一つの場所を千の目で旅するのと・・・。」いつかどこかで読んだ言葉。どこを旅しても目に入るものが同じではおもしろくない。1人の人間の興味の範囲は限られている。その範囲を広げ、つながりを持ち、物事への理解度を深めるのはやはり出会いと経験だと思う。全てがうまくいく旅などなく、文句をいう相手はいない。トラブルが出会いを生み、興味の広がりがその土地に根付いて新しい試みをしている人との交流を可能にする。そんな旅を通して、自分にとって本当に必要なものとそうでないものと知っていくのだと思う。

小さくて甘いHigo(いちじく)











 タリハの鶏は健康かしら?という話をひとしきりした後、アメリカ人のカップルが自分達の話をしてくれた。旅の前は生活時間が違ったから、家に帰って会うと話すこともたくさんあって、何も問題なかった。それが旅を始めてから四六時中一緒、互いの距離の取り方が掴めなくてよく喧嘩した。1人で過ごす時間を尊重すること、1つ1つの言動を悪く取らないことを学んだという。旅上で出会った人たちとのぶつかり合いもある。人種や民族で決めつけてはいけないけないのはわかってるさ、でもフランス人とうまくやるのは大変だ、文句ばかり言うし、すぐ指図したがるし・・・。でもバスで会った女の子は素敵だったわよ・・・。そんな会話が続く。恋人や友人など身近な人間はもちろん、異なる人種や文化背景の人間との葛藤と和解。

 旅はいいなと思う。話を聞いていると、また旅にでたくなった。でもよく考えれば私は今旅先。外ばかりに目を向けるのでなく、ここタリハで起こっている動きを見つめることをしないと。タリハでの今を大切にしようと決意したのはこの間のはずなのに、すぐに忘れてしまう。SEDUCAの人々、オルガとその家族、学校の先生や子供達、スペイン語の先生と同じ先生にポルトガル語を習う生徒たち、バイオリンの友達、JOCV仲間や同期、同じ興味を持つ人達と過ごす時間。日本がなつかしい、日本人が好きで、日本人によくしたい。そんな理由で生まれる交流もある。今得ている繋がりをどこまで深め、広げれるか、そこから始めなければと思う。

 千と千尋の神隠しの主題歌「いつでも何度でも」。ウユニへの旅の間幾度となく口ずさんでしまって、旅仲間にもうつってしまった歌。スペイン語の宿題に訳す。「生きている不思議、死んでいく不思議 花も風も街もみんな同じ」・・・気になる個所がいくつもある詩だけれど、今ぴったりくるのは最後の歌詞。「海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに  わたしのなかに 見つけられたから」すばらしいものはどこか遠くにあるのではなく、私の中、私の住む町、私の築いている人間関係にある・・・

No voy a buscar más allá de los mares porque
encontré algo brillante aquí, en mi mismo.

 夏たけなわのタリハ。一見すばらしいぶどう農園だけれど、若者は田舎で働くことを嫌い、収穫期に人を集めるのは大変だという。田舎には年老いた親ばかり残る・・・と嘆く声。ここタリハにも日本と同じ問題がある。一方で、化学肥料を極力減らし、有機農法でぶどうを育てている、そんな農園もある。タリハのまるでグランドキャニオンのような景色を人に知らしめて、より多くの旅行者がタリハを訪れ、このような有機農家を見学する・・・そんなエコツーリズムを実現しようと動いている人もいる。若者が色々なやり方に興味をもって、ここの豊かな自然を守りながら、田舎ならではの可能性をみつけていけたらいいなと、家の前のちょっと暑苦しいほど緑になった木をみながら思った。

いいとこだろ・・・?

グランドキャニオンなみ!