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2011/08/03

ボリビアの歯医者さんとパッチ・アダムス

7月16日、ラパスの日のムリリョ広場(Plaza Murillo
大統領府まで行進するエボ・モラレス大統領


 ラパスへきた第一の目的は歯医者さん。二ヶ月前から定期的にしくしく痛み始めた右下の親知らず。大家さんのオルガの息子は歯医者だからレントゲンをとってもらったところ、斜めにはえていて横の歯をおしている、早めに抜いたほうがいいとのこと。ただでさえ、抜くのが嫌で残りの3つの親知らずをはえるままにし、なんとなく前歯がでてきたような気がしてた頃。一大決心をして抜歯することにした。ラパスには日本で勉強し、働いたこともある、日本語を話す歯医者さんがいるという。歯だけは丈夫でめったに行ったことのない歯医者、何かがあった時のためにも、ラパスで治療を受けようと決めたのだ。


美術館が集まるハエン通り
 ティワナク遺跡から帰った翌日月曜日午後の予約に合わせてソナ・スル(Zona Sur)に出かけた。冬休みの連絡所、同期が大勢集まってわいわい、朝方5時頃まで飲んで、歌って、怪談をしてと学生みたいなことをして過ごした。そんな中親知らずを抜く怖さをたっぷり脅かされたから、どきどき。ラパスで陶磁器を教えている友人に付き合ってもらった。ソナ・スルは中心街よりミクロで約30分、さらに標高が低い、高級住宅が立ち並ぶおしゃれな地域。出かけた病院はきっとお金持ちの人しかいけないと思われるきれいで整った設備を備えた気持ちよいところ。いよいよ抜くんだ、覚悟していたら、今日はレントゲンをとりにどこどこへ行って来てねと言われる。明日の朝血液検査をして(これも別の場所で)、結果が大丈夫なら(きちんと凝血するなら)夕方手術するよと。ボリビアのお医者さんにかかるのは初めてだけれど、友人たちの情報によるとボリビアでは検査のため、その結果を受け取るため、薬をどころか注射を買うため!?と患者は結構あちこち行かされるらしい。痛みに苦しんでいたり、しんどい時には当然のことながらかなりつらい。けれどさすが?ソナ・スルの歯医者さん、地図を見ながらふんふん言っている私をみて心配になったのか、自分の車でレントゲンをとりに連れて行ってくれた。

 そして、翌日血液検査時、同じようにしてくれた上、夕方親知らずを抜いた後は泊り先まで送ってくれたのだった。もちろん、手術が2時間半近くかかって終わった時は9時を回っていた上、この日エルアルト(El Alto)ーオルロ(Oruro)間でデモ封鎖があり、市内にガソリンが入ってこなくなって、タクシーが動いていないという事情もあったのだけど。親知らずの根っこが神経から3mmほどのところまで届いているから、無理やりぬくと後から非常に痛むからということで、少しずつ削っていく方法をとってくれたよう。休憩もあったけれど口をあけているのに疲れたし、何をされてるのか最初のうちはわからず、麻酔をかけているから感覚はないはずなのに、ぐらぐら歯をゆすられる度に神経に振動が届き、ここで抜かれたら泣くかも・・・。すぽーんと抜けますようにと祈りながら時間が過ぎていった。そのうち何回もレントゲンを撮りながら手術が進められるようになって、ようやく何が行われているのかがわかった。レントゲンを見てもピンとこず、いつ抜けるのはだろうと思っていたら、後もう少しだから頑張ろうね、と言われた。よく見れば、白く映る他の歯に比べて問題の親知らずは薄黒い影の様。先のほうだけが白っぽい。極先っぽはあまりに神経に近すぎるから残すけれど、問題ないだろう、これで終わりだよと言われた時はほーとため息をつく思いだった。


医療保険問題で座り込みをする
Choritaさん達
 初めての本格的歯科手術。色々と怖かった。それでも、私はこの国で最高級の治療を受けたのだと思う。今回の治療費だけでボリビアの普通の公務員の給料1カ月分にあたる。徳島大で博士課程までとった歯医者さんは、おかしな日本語でごめんね、といいながらも会話は全て日本語で進め、家とは反対方向に送ってくれる車の中で恐縮していると、外国で困った時の気持ちはよくわかるからと全く気にした風もない。患者に対する穏やかでフレンドリーな態度はこの歯科医院で働く全ての歯科医や看護師に共通している。日本の医療事情とて必ずしもよいと言えないけれど、サンタクルスで看護師をする友人や普通の医療機関で診療を受けた経験のある友人から話を聞くと、サービス精神(実はあまりこの言葉は好きでないけれど)がないこの国で医者が当然のように行う患者に対する心ない行動は基本的なレベルで信じられないようなことが多い。 患者の尊厳を大事にするお医者さんの治療が、それを可能にするシステムが、市井の人々の手に届くまでどれくらい時間がかかるのだろうと思う。そして、素晴らしい歯医者さんの治療を受けることができることに感謝する気持ちと共に、どこか申し訳ないような気がしている自分もいた

  そんなちっぽけな思いを吹き飛ばしてくれたのは、抜糸した夜に出かけた、ロビン・ウィリアムズ主演の映画で知られるアメリカの医師、パッチ・アダムスの講演会だった。講演は2日、1日目は野外で100ボリ(1人に対し1人の学生や子供が無料で講演に参加できる仕組み)、2日目はHotel Radissonで550ボリという入場料。私たちは当然?1日目に出かけた。7時半開始のはずが、いつものごとく時間になっても会場の前にはよくわからない行列がくねくねとできている。友人達が列に並んでくれている間、風邪をひいている友達と歯が痛い私と、2人少し離れた高台に座って、このカオスを眺めた。せめてロープくらいはればいいのにと感想述べながら。さらに、そろそろ入口に近くなったかと思われた頃、青いチケットを持っている人(私達の色)は違うラインらしいと同じ色のチケットを持っているおばさん達がいいだして、みんなで列を抜け出して青チケットの入り口を求めてさまようことになった。2つくらい別の列に聞いても、黄色だ、緑だと違って、ようやく会場をぐるりと回ったところにある列が私達のだとわかった。結局私達が並んでいたのは、無料で講演を聞きに来る人達用の列だったのだ。と、なんやらかんやらあったものの、無事に席に着き、あとは主役の登場を待つばかり。午後9時。

 そして登場したパッチ・アダムス。パジャマのようなピエロのような奇抜な格好。軽快でユーモアたっぷりの話しぶりで1時間。あきさせなかった。英語で話す彼についていたスペイン語への通訳者も絶妙の訳しぶり。パッチ・アダムスの話しぶりにつまったエネルギーを上手にうけて伝えていた。英語とスペイン語の両方を聞いていると今更ながら語順が同じというのは楽だなあと思う。今回の通訳者さんはプロの方なのだろうけれど、たとえプロでも日英の通訳に感じることのある、ある種の緊張がほとんど感じられない。安心して聞いて、笑っていられる。そしてこの通訳者の余裕?を見てとって、パッチ・アダムスも盛り上げどころに利用したりして楽しいトークになった。


 パッチ・アダムスは自分自身が自殺未遂を起こし、精神病院に入っていた時期がある人。そこでの精神病患者との交流から笑いと幸せであることが医療に不可欠だと感じるようになった。その後医学部に入り、医者は権威ある存在でなければならないとする学長と対立しながらも、自らの信じた医療を施すべく診療所をたちあげ、保険の網からもれた人々の治療にあたる。変人扱いしていた周りの学生も徐々に彼に同調し、協力するようになる。そんな時、協力者で恋人でもあった女性が思わぬ死をとげ、責任を感じた彼は無力感にさいなまれるが、仲間に、そして患者に救われ、最後に学生でありながら医療行為を行ったと糾弾する学長に対して持論を述べ、大学の医学会と学生の支持を得て無事卒業していくというのが映画のストーリー。(前日予習でみたから、だいたい正しいと思う。)

 パッチ・アダムスにとって幸せとは内的な平和のことではなく、行動そのものである。幸福はある特定の一瞬にあるのではなく、何かに対する褒美としてあるわけでもなく、今自分が存在するこの場所にある。よく言われる幸福の追求なんてことはあり得ない。人は生まれながらにして幸せなのだから。幸福とは、幸福であろうとする意図、その意図をどう表現するかというパフォーマンス、そしてその結果だ。結果がよくなければ、つまり幸福でなければ、パフォーマンスを見直せばよいのだ。アメリカのような問題を抱えた社会の典型的な症状は孤独と恐怖だ。孤独をいやすのは愛し愛される喜びを与えてくれる友人であり、恐怖を克服するのは所属感を与えてくれる共同体の存在である。ミアキャットの例。仲間が巣穴からでて太陽のもとで楽しんでいる間に、敵がいないか見張る役目のミアキャットが必ずいる・・・。そして創造性と愛。これが友人、共同体・・・人間関係のカギ。

 この人間関係における創造性と愛、友人と共同体の存在。たとえ、貧しくとも、システムが整わずよい治療が受けられなくとも、医者が多くの場合恐らくやむを得ず患者に冷たい仕打ちをしても、ボリビアにあって、パッチ・アダムスがいう病んだ社会であるアメリカや日本に希薄になりつつあるのはこれだと思う。美化するつもりは毛頭ないけれど、ボリビア人が友人を、家族を、時にはわずらわしがりながらも、大切にする姿は心打たれることが多い。職場SEDUCA前、暑い日も寒い日も午後にはやってきて、薄い教育関係のブックレットを並べて売るお母さん。小学校高学年のお姉さんがいつも小さい弟の面倒をみにきているし、高校生のお兄さんは学校帰りに店じまいを手伝いにやってくる。向かいにお菓子のスタンドをだすサンドラおばさんのところにも小学生の息子がしょっちゅう手伝いにきている。大家さんのオルガはたとえ、疲れてベッドに入った後でも、ウィークデイの夜遅くに話をしにくる友達を追い返したりはしない。妊婦さんや足元の弱いお年寄りがバスにのってくれば若者がすっと立って自然に席を譲るし、乗降の手助けをなんの照れもなくやってのける。例をあげだしたらきりがない。幸福であろうという意志とその表現。ボリビアの人々はそれに優れている気がする。それにかけるエネルギーと時間をおしまない。幸福を追求なぞしなくとも、ボリビアの人々は生そのものを楽しんでいる、そんな気がすることもある。

 パッチ・アダムスの話を聞いている時、聴衆のボリビア人の反応はとてもよかった。パッチ・アダムス自身が彼の話す内容通り、行動の人であり、それによって幸せである人だから、説得力もあるのだ。けれども、一方で少し首をかしげてしまった。映画にでてきたお医者さんということと軽妙な語り口が受けているので、もしかしたらボリビアの人々にとっては何を当たり前のことを言っているのだろう・・・という内容だったかもしれないと。私達がいた100ボリ席にいる少数のWesternizeされたインテリボリビア人は別にして。パッチ・アダムスのいう幸福と不幸の尺度はアメリカや日本に当てはめたらとても低いだろうけれど、ボリビアに当てはめたらきっと高い数値がでるに違いないと思う。

 ブータンが一位となったGNH「Gross National Happiness」(幸福度指数)。ボリビアも高い順位にくるのではないだろうか。「健康」、「家計」、「家族」、この3つを重視する日本に対し、ブータンの人々が第一においたのは「人間関係、隣人関係、家族間の交流」だったという。だからこそお金がなくとも、よい医療制度がなくとも、幸福度が高くあり得る。ボリビアを”貧しく、社会制度の整っていない”途上国として、色眼鏡でみている自分がまだいるのかもしれないと戒める思い。ボリビアの医療制度も、お医者さんや看護師の質も、もっとよくならないといけない。そのほかのあらゆることと同様に。ただ、システムが整って行く過程で、今存在する自然な互いをいたわるパフォーマンスが、心から切り離された機械的なものに変わってしまうことがなければいいなと思う。

2011/07/26

冬休みのラパス~ティワナク遺跡へ




 冬休みに入り、プロジェクトの方向転換に向けて資料作りをしながら1週間が過ぎた8日金曜日、夕方5時発ラパス行きのバス(115ボリ)に乗った。約17時間。バスの旅は長時間の座っているしんどさはあるものの、バスの中で、途中の小さな村で人々の生活ぶりを垣間見れて楽しい。実際、帰りの飛行機のようなことが起こると時間的にも変わらなくなる・・・。

Japónのタグ
 ちょうど前日、タリハにある天文台に出かけた。天空まで届くハンディ・レーザー・ポインター(!)を持った観測員が実際に星を指し示しながら西洋のだけでなく、アンデスの民による星座を教えてくれた。そしてロシアの援助による巨大な天体望遠鏡で月と土星を見た後、日本が送った立派なプラネタリウムで冬の空の移り変わりを見せてくれたのだった。これ全て無料。車で連れて行ってくれたオルガの甥っ子は高校生の頃行ったとか。行きはバスで、帰りは歩きで(^^)でもいい。それも含めて高校生には楽しい体験だったのじゃないかと思う。
 
 サマ(Sama)を超え、カマルゴ(Camargo)からポトシ(Potosi)に至る曲がりくねった道の途中に明かりはなく、半月が乾いて侵食された大地を照らすばかり。タリハをでて4時間ほど。月が傾くごとに増える星の数。教えてもらったばかりのさそり座、ケンタウルス座、リャマ座が南十字星のすぐ近くで輝いているのが見えた。(もっと色々教えてくれたのだけど、理解できた範囲で・・・)サンタクルス行きのバスよりさらに深く倒れる座席から夜空を見上げながら、好きな音楽を聞いているとなんだか幸せな気分になった。

  
  10時過ぎラパス着。タクシーの運転手さんも知らない、何かの祭りで大通りが封鎖され、泊り先の連絡所まで1時間近くかけて着いた。仲間とスペイン料理を食べに行った後、サガルナガ通りに買いものへ。タリハにいれば食糧くらいにしか使わないお金だけれど、さすが高地ラパス、リャマやアルパカの可愛いセーターや色鮮やかなアイワヨなどいかにもボリビアらしい土産物がたくさん。どれも素敵で目移りする。かわいいニットのワンピースと甥っ子に縞の角つきニット帽を買った。今回はバスでゆっくり上ってきたせいか、さほど高地病で苦しまずにすんだ。途中で飲んだ薬もきいているのかもしれない。なんだかんだいってタリハも海抜1800m。多少は赤血球の数も増えているのかも!?それでもちょっとした坂を上るだけで息切れがして、その夜は早めに休んだ。


博物館入り口
 日曜日ゆっくり起きだして、ティワナク遺跡へ出かけた。Cementerio(墓所)前から出るミクロで約1時間半。到着してまずリャマ肉で昼食、博物館の見学をした。遺跡の入場料込で外国人は80ボリのところ、どこ出身?の問いかけにタリハと答え、Residencia(居住者)であることを示すIDカードを出して10ボリでいれてもらう。チケットは一枚の紙。行く先々の遺跡の入り口でチケットをチェックする係員に首を傾げられた。"Chapaquita"かと笑ってくれる人もいる。

 ティワナク文明は紀元前200年から紀元後1200頃まで続いたとされる、プレ・インカ文明の一つ。創造神ビラコチャへの信仰などインカ文明へ引き継がれてるものもある。子供の頃「太陽の子エステバン」というアニメがあった。話の筋は忘れてしまってインカ文明を題材にしていたのかですらあやしいけれど、エルドラド(黄金都市)、赤茶けた大地、ジャングルの中のピラミッド、空高く舞うコンドルやアンデスといった言葉はエキゾチックな響きをもって記憶に残っている。エルドラドがスペイン語のEl Dorado(The Gold)だと知った時は魔力が薄れたような気がしたものだった。マチュピチュの遺跡に行くことが許されていない今、ティワナク遺跡はあの頃の憧れを満たす場所だ。


 巨石文明として知られるティワナク遺跡。イースター島で、島に残された祭壇の石の積み方にインカの石積みの技術の影響が見られると聞いて以来、ますます気になっていた。エクアドルからチリ、アルゼンチンまで続く広大なインカ帝国の領土がサンチアゴから3700キロも離れたイースター島にまで渡っていたとしたら・・・。さすがにそれはあり得ないとしても、誰かが石積みの技術を伝えたとしてもおかしくない。イースター島にしげる葦は遺伝的にチチカカ湖のトトラ(Totora)と同じだとも聞いた。その石積みの技術を持った誰かは葦の種の入った袋を抱えていたかもしれない。人類学者ヘイエルダ―ルはポリネシア人は東南アジアからではなく南アメリカからの移住者だと信じ、ペルーからポリネシアの島へ筏による航海に挑戦し、成功している。彼の学説はは今ではあまり信じられていないらしいけれど、南米からの南太平洋の島へのコンタクトはきっとあったのだろうなと思う。前日連絡所で「コンティキ号漂流記」見つけたばかり。読むのが楽しみ^^。 

イースター島の石積み

ティワナク遺跡の石積み

 ティワナク遺跡はスペインの侵略後、教会や住居建設の際の礎に使われてしまったため、ほとんど原形をとどめないほど荒らされていたり、風化していたりする。しっかりとした調査を経ないまま復元してしまったため、本来の面影はないと言われたりもする。それでも残されている巨大な一枚岩で作られた太陽の門はじめとする建造物には迫力があり、きれいな石積みは美しかった。太陽の門の上部、ビラコチャ神の横に鳥人が彫られている。イースター島でモアイ像にもまして心を捉えた"hombre pajaro(鳥人)"の伝説。デザインは違うけれどもこれにも繋がりがあるのだろうか。

ビラコチャ神と鳥人

イースター島の鳥人

 遺跡は本当にとても静かだった。遺跡と並行に伸びる道を走る車は無音。風をさえぎるものもほとんどなく、訪れている観光客の声が稀に聞こえるのみ。見渡す限りほとんど何もないように見える大地を見ていると、1000年近く前に標高4000mのこの地に人々が系統だった社会をつくって暮らしていたことがとても不思議に思えた。おもしろい石があった。マイクロフォンのような役割を果たす。その前で話すとかなり遠くまではっきりと言葉が届く。集会時に、人々を呼び集める時に、使われたのかもしれない。この静けさならかなり遠くまで届いただろうと思う。

 帰りのミクロではボリビア人の親子と一緒だった。若いお母さんが息子に絶えず話しかけている。博物館入り口で渡されたチケットを取り出して話をしたりしているから、見学してきた遺跡のおさらいをしているのかもしれない。ボリビア人はあまり旅行をしない。どこどこに住んでいる親戚を訪ねることはしても、旅行という旅行をする人々は少ない。まだまだそれだけの余裕がないのだろうと思う。そんな中、卒業式前に様々な催し物をしてお金を集め修学旅行出かける高校生や、親子で近隣の遺跡に遊びにきた決して裕福には見えない母と息子を見ると微笑ましく感じる。自分の目で見て、聞いて、触って、感じる体験はやっぱり大事だと思う。プロジェクトにそういったファーストハンドな体験を組み込めるようにしたいと改めて思った。

太陽の門。6月23日アイマラの日には大勢が日の出を見に訪れた。

2011/01/29

月の谷、チチカカ湖、そして哲学


Lago Titicaca

 オルロからラパスへ向かう道は舗装されていて、雨にも負けず快適にバスは走る。夜8時。ボリビア西部(Occidente)特有の顔立ちをしたインディオの人々が忙しげに行きかうエルアルトの平らな道がしだいに下りはじめる。前回興奮したすり鉢状の町並みには明かりが灯り、素晴らしい夜景をみせてくれる。飽きもせず窓に顔をくっつけるように見つめていると、隣でよく眠っていたセニョールがラパスは始めてかと英語で話しかけてきた。とっさに反応できず、スペイン語でかえす。一度来たけど、一日だけ。夜の景色は格別。大都会ね・・・話をしながら気づく。そう、ここは首都ラパス。半日あれば主要な場所を全て歩いて!まわれるタリハとは違うのだ。住所しか知らない友人の家に無事辿り着けるのだろうか?ラパス在住、仕事でオルロによく行くというセニョールは心配いらない、ちゃんと教えるよ、と言ってくれる。そして言葉通り、バスターミナルは危ないからと大通りでタクシーを掴まえ、住所を運転手に告げて送りだしてくれたのだった。

 無事着いた友人宅はビルの12階。こんな高いビル自体タリハにはない。すっかりおのぼりさん。各部屋から景色を見て回ってすごーい!を連発。この日は環境教育仲間の誕生パーティーへ出かけて、たくさんの人が持ち寄った日本料理をたくさん食べさせてもらった。翌日、仕事に出かけた友人を送り出し、ゆっくり朝食、洗濯、そしてお風呂(久しぶりの湯船!)に入らせてもらう。あまり長く浸かると、血液の循環がよくなりすぎる気がしてほどほどに。だいぶ慣れたとはいえ、高地は高地。

 午後、JOCV仲間とミクロで30分離れた月の谷(Valle de Luna)へ出かけた。その名の通り、月世界。タリハに似た光景。景色自体はさほど珍しく感じなくなっているが、眺めるのと実際に歩くのとは違う。月にいる気持ちになって遊ぶ。オルロから観光にきているというボリビア人のお兄さんも巻き添えに。空手隊員が月の世界らしいジャンプを見せてくれる。残りの私たちはまだ重力にとらわれてしまってる??

Valle de Luna



La Isla de Luna
 翌日、チチカカ湖(Lago Titicaca)へ。インカ文明発祥の地、太陽の島(La Isla de Sol)。緑豊かな美しい島。規則正しい縞模様を作り出す段々畑にキヌアを始めとした農作物が植えられ、さんさんと太陽を浴びて輝いている。約1時間、登って下って島の一角を散策をする。標高3800m。息を整えながら歩く。太陽を礼拝した小さな神殿。ここで始まった文明がやがて力を得て、あのマチュピチュの神秘的な神殿につながっているのだ。遠く太陽と対になる月の島(La Isla de Luna)がみえる。処女を生贄にして祈りを捧げたと言われるこの島は自然の動きを読み取って暮らさなければならなかった人々の闇の部分を請け負っていたのだろう。ラパスから近いこともあってすっかり観光地化されているけれど、段々畑にそった細い道で行き交う人々は太陽神を頂いていたあの時代からの生活を受け継いで暮らしている。時間の流れ。たった数時間立ち寄っただけで、何が感じ取れるのか、もどかしいような気持ちになる。対岸コパカバーナ(Copacabana)のホテル、この夜激しい雷と稲光に見舞われた。


 


La Isla de Sol

インカ文明の神殿

 1月9日土曜日。ラパス。楽しみにしていたことの一つ、哲学の授業とチリ発祥ビオダンサ(Biodanza)のクラス。哲学の授業1時間目はカルロス先生。 ラパス入り2日目、軽い高地病で行けなかったヨガクラスの先生でもある。聞いていた通り、穏やかな暖かい雰囲気のある人だ。今日のテーマは形而上学 (metaphsica)。Vivencia, conciencia, confucianismo, taoismo, atención, imagen・・・1年近く遠ざかっていたこれらの言葉をスペイン語で再び聞くのは不思議な感じ。例を交えながらゆっくりわかりやすく説明してくれる。内容がそれほど目新しいわけでも奇抜なわけでもない。それでも話を聞くことで気持ちが落ち着き、自分の世界観が広がっていく気がする。2時間目は上品な女性の先生。インド哲学やヨガの話。サンスクリット語がぽんぽん口からでる。それでも本質は同じ。いかに豊かに生きるか。

 お土産通りとして有名なサガルナガで昼食をとった後、友人とビオダンサのクラスへ出かけた。ビオダンサは感情、音楽、リズム、表現を通して、心を開き人間の可能性を目覚めさせ、自分自身と、そしてグループの仲間との間に暖かい感情を呼び起こすこと、また心のままに体を動かして踊ったりエクササイズをすることで、心と体の統合を図ることを目的としている。ビオダンサのクラスに参加するのは今回が初めて。10人のグループ。同じように初参加の人たちがいて、最初に先生がビオダンサの成り立ちを簡単に説明してくれる。

チチカカ湖のほとりで
 そしてエクササイズ開始。まずは音楽に合わせて歩く。前に後ろに。次にペアで。互いにコンタクトをとりながら。いくつかの簡単なエクササイズの後、輪になる。ペアを替えつつ、輪の中で互いの踊りを真似ながら、2人が踊る。後半はイメージをつかった踊り。まずは先生の踊りをみる。惑星の王様という名のインド風の曲にあわせて。次に全員が大まかなラインは先生の踊りにそいつつ、自分が作り出す世界のイメージをふくらませて踊る。最後に手をつないで互いの目を見、相手の作りだした世界を感じ取るエクササイズ。私にとってはとてもemotionalな経験となった。ヨガやメディテーション、オイリュトミーなど今まで体験してきたものはどれもどちらかというととても個人的なもの。ビオダンサは個人にも焦点をあてているものの、共にエクササイズをし踊るグループの仲間との関係性がかなり大きなウエイトを占める。一瞬ではあったけど、初対面の人たちを相手に「開く」体験をしたのは初めてだった。程度の差はあれ、グループの人々が同じように感じているのが表情から読みとれた。自分でコントロールできない感情の爆発のようなものを感じて少し怖い気もしたが、この体験をさらに深めてみたいと思った。

 ビオダンサの帰り、イリマニ山と素晴らしい夕焼けをみ、夜はJOCV仲間と日本食を作っておしゃべりをしてたくさん笑った。頭と体を使う普段とちょっと違う体験をした後、リラックスした時間を持ってバランスのとれた一日になった。明日はタリハへ帰る日。今回の旅はボリビアに来る前の日々を振り返り、そしてボリビアの後の日々を思い描いて自分を見つめる時間になった。過去があって今があり、今があって未来がある。現在自分が旅をし、出会い、考え、そして行動しているのは過去があったから。それは今の自分の毎日の体験、選択の一つ一つが未来を創り出していくということでもある。タリハでの日々を大切にしたいと改めて思った。

 

Copacabana

2010/07/14

La Pazへ


 早朝7時半に飛び立った飛行機は1時間程かけて首都ラパスへ向かいます。
いつのまにか緑が消え、濃い茶色の、緑ひとつない山々が連なる地帯へ。
アンデス山脈です。
そして高さ4000mの大地がひたすら続くアルティプラノ。
人の住む気配が全くなかった世界に、ぽつぽつ家が見え始め、やがて町があらわれます。
エルアルトの町。
その名も「ザ・高地」。
誰がこんなところに住もうと思ったのだろう。
不思議な気持ちになります。
サンタクルスでたかくたかく高度を上げた飛行機も、
エルアルトの空港ではあっという間にランディング。

 Amazing city!

エルアルトからラパスへ下るバスの中は興奮の渦。
目の前に広がる景色にひたすら目をみはり、カメラをむけ・・・。
すごい、すごいと息をのむのみ。
すり鉢状の傾斜にしがみつくように立つ日干しレンガの家々。
乾いた赤茶色の土。
忙しく行き交う人々、幾重にもなった電線。
そして、交通整理をするシマウマ・・・ ????

 ラパスは、とにかくエネルギーのある町です。サンタクルスも経済が発展しつつあり、活気を感じさせたけれど、ラパスはさすが首都。すり鉢の一番底には高層ビルが立ち並び、何より時間を気にしてせわしなく歩く人々、クラクションが鳴り響く交通渋滞が都会を感じさせます。

 そして体の変化。飛行機を降りた時からあれ?動悸が早まったかな??という感じだったのが、だんだんと確実な感覚に変わり、頭がずきずき痛み始める。リュックを背負うだけで、呼吸が荒くなり、雲の上を歩いているような心もとない気分。
仲間の中にはこれにお世話になった人たちも。酸素ボンベです。

 JICAの事務所についてまずしたのは血中の血糖値を測ること。私はマラソン心臓だったようで無事クリア。この日は大使館など関係機関に挨拶に行き、事務所で書類の受け渡し等がありました。また職員のみなさんが用意してくれたお昼ごはんをいただきながら、交流を楽しみました。

 あわただしくも楽しい時間は過ぎて、いよいよ別れの時間です。ラパスの3人、オルロ1人、そしてタリハにいく私たち2人はラパスにとどまり、残りのみなはサンタクルスへ戻って、そこから任地へ赴任となります。また報告会などで会う機会はある、と思いつつ寂しい気持ちになりました。 Hasta pronto! 

 ラパス滞在組は隊員連絡所に泊ります。少し大きめの普通の家。そこでは先輩隊員らが準備をして待っていてくれました。前日荷物の整理で3時間ほどしか眠っていないこと、そして高地の影響もあり、頭が割れるようにいたい!という表現がぴったりの状態になったので、アスピリンを飲んで少し眠らせてもらうことにしました。8時半頃少しすっきりして起きた後、ボリビア風おじや?を食べさせてもらったり、コーヒーを飲んだりしながら、先輩隊員に色々教えてもらいました。4000m近い高地であるラパスでは夜の食事は軽くが原則。特に始めのうちはアルコールも厳禁です。

 次の朝、次々と赴任の挨拶に出かける仲間を見送り、残った仲間と朝食。近くを少し散歩したら、もうタリハへ出発の時間です。たった2日のラパス滞在。再びこの景色を目にするのを楽しみに。