2月半ば、学校へ打ち合わせに行き始めました。夏休みが明けて2ヶ月ぶり。学校の先生たちも「どうしてたの!?」と歓迎してくれて、ちょっと嬉しい訪問です。ボリビアの新学期は2月から始まります。毎年この時期にInscripciónといって 生徒と保護者が行きたい学校へ行って登録をする仕組みです。もちろん各学校定員があるからそうコロコロ変わるわけにもいかないし、毎年の登録は大変ではありますが、1年通った学校が子供に合わなければ比較的簡単に別の学校へ変わることができます。この時期まだ休暇から戻ってきてない生徒も多くて、学校はすかすか。25人の生徒中18人しかいないなんてクラスもあります。
U.E Teresa de Calcuta(テレサ・デ・カルクタ校)へは昨年なかなか全体で動けず、一緒に働いた先生はもう嫌になっていないかなーと多少心配しながら行ったのだけど、担当のクリスティーナ先生は新たに協力してくれる先生も見つけ、保護者のなかにもリサイクル業者を営んでいる人がいるし、高等部とも連携したいと色々とプランをもっていていい始まりになりました。実はここの高等部(午前の部)では以前紹介した、生徒と野菜作りを行って素敵なフェリアを開いた先生も教えていて、来年(今年)はコラボしようと話していたのです。先生達同志で話が通じているなら尚更理想的!
U.E La Salle(サジェ校)は先生、生徒向けのワークショップを終えたところで夏休みに入りました。ここは公立ながら、伝統のある学校で保護者、生徒ともに教育に熱心。とても人気があって1年生の保護者のなかには登録をするために徹夜で学校の前に並んだ人もいるほどです。生徒も全員そろっています。ここでまず昨年あまりできなかった生徒を中心にした取り組みをしたいと考えています。提案してみると校長先生も、委員会の先生たちも前向き。もう少し計画を練るためにある日の午前中に担当の先生4人が私のオフィスに集まってきました。まず手始めに5・6年生が分別の仕方と注意点を書いた壁新聞を作り、下級生のクラスをまわって説明し、壁に貼っていく、そして同じく5・6年生の有志で環境委員会を作り、分別の管理と評価も行っていくことになりました。この環境委員会が自主的に動けるようになれたら!そう簡単にはいかないけれど、初めの一歩。うまく軌道にのりますように。
そして嬉しい驚きは、昼休憩も近い時間にひょっこりDurvyn(ドゥルビィン)が訪ねてきたこと。ベネズエラ留学の日程が未だにはっきりせず、情報もないということでとりあえず今まで働いていたU.E. Humberto Portocarrero 2(ウンベルト・ポルトカレロ校)に戻ってきたそうです。ウンベルト高校は彼女の協力でリサイクルのシステム作りからコンポスト・紙すきまでやりたかったことがだいたいでき、最後に環境フェリアをし、卒業式にも出席して気持ちよく終わることができた学校です。先生たちの遠足にも参加させてもらって、サマの山の麓でParillada(バーベキュー)をしに行きました。今学期はChaco(チャコ)のほうへ行く企画が出ているそうで、これも楽しみです。みんな来るのを待っているよと嬉しい言葉。実際、数日後に出かけると、去年の担当の先生たちはプロジェクトを続けようとやる気。昨年は初めての試みであまり成果があがったとはいえないから、今年はもっとよくしたい、そのためには評価の仕組みをしっかり作らないといけない、コンポストを使い畑作りを全校生徒でするために学校脇の土地を使えるよう市に要請しよう等々これも色々な案がでて、説得力のある要請書を書くために、カーニバル後私の職場で集まろうということになりました。
コンパドレの日 |
職場でタリハ料理サイセをみんなでCompartir! |
コンマドレ用のパンを焼く |
マリア・リリアとコンマドレに |
12月から1月にかけてほぼ2カ月あった夏休み。(まだ書ききれていないけれど)サンタクルス内をピンポン玉のように動いて、自然に根ざした暮らしをしながら滞在者を受け入れる家族やイタリア人が営む芸術に重点をおいたフリースクール、日系移住地の大きな農家などを訪れました。1月末にはイグアスの滝を中心にパラグアイ、アルゼンチン、ブラジルを巡る短いけど盛りだくさんの旅もしました。
そんなこんなで1月タリハにいたのは1週間(出かけ過ぎ!?)。この間10月末に行った4日間の教員向けワークショップを再度行いました。40人以上登録があるけど大丈夫かとわざわざUNEFCOの職員が電話をくれたけれど、蓋をあけてみれば前回と同じく25人。ちょうどいい人数で始められました。環境に関するプロジェクトに興味のある校長先生やベテランの先生に混ざって、少しでも資格のほしい若い先生達がやってきます。
ワークショップで大切にしたいのは「何について考えるかではなく、どのように考えるか」。自分なりのテーマです。本やインターネットを見れば基本的なデータは得られる時代。そのデータを基にどのように考えるのかは、こうしさえすればいいという1つの答えなどない環境問題に取り組むには何より大事です。考えることを中心に据えたアクティビティをいくつか体験してもらい、自分たちで学校内の研修や教室で実際に使えるようにしました。紹介するアクティビティは本で見つけたものの他、同じく環境問題に携わる友人に教えてもらったり、彼らが実際に行っている現場を見学させてもらったりしたものです。学校現場ということもあり、授業案もしくはプロジェクト案を作るのに必要な年間計画、月間計画の立て方、学習指導案や教員同士の協力体制の作り方なども伝えてきました。こうして書いていると大層格好よく聞こえることに自分でもびっくりだけど、実は結構グダグダだったりします。特に今回は2回めということもあって逆に気がぬけたところもあって、これは猛省。慣れとは怖い。そして最大の問題点はやっぱり言葉・・・。
加えてもう一度考えなければいけないのはテーマのこと。「どのように考えるか」を教えることは言葉でいったら簡単だけど、壮大なテーマ。生徒に「どのように考えるか」を伝えるためには先生が「どのように考えるか」を考えていなければならず、しいては先生達にその大切さを説く私自身が、ということになるわけで・・・。私にとって、とても厳しい問いかけです。「教育は生徒に知識を植え付けるものではなく、教師と生徒の対話を通した学びに基づくものでなければならない」と言ったのはブラジルの教育学者パウロ・フレイレ。絶対的に正しい知識を持った教師(植民者)とそれを教えられるべき“未開”の生徒(被植民者)という従来の教師―生徒関係を批判し、多文化教育や先住民教育をはじめ教育全般に大きな影響を与えて、繰り返し引用されてきた言葉です。脱植民地主義を掲げるエボ政権の新しい教育法では1つの柱(言葉だけが独り歩きしている感はあるけれど)となっています。理想と現実のはざまで頭から消し去っていた言葉に思わぬところで再会です。教えることと学ぶこと。対極にありそうでいて、実は重なり合っているこの2つ。3月に行う次回のワークショップに向けて頭が許す限り考えをまとめたいと思います。