2010/08/30

巡礼の旅


 8月15日~9月15日まで、近辺の町から大勢のタリヘーニョがVirgen de Chaguayaへ夜通し歩いて巡礼に出かける。その多くがpromesa(誓願:カトリック教会用語。義務づけられていないよい行為の実行を、実行しなければ神に対する不敬行為になるとの条件のもとに、神に対する愛の一表現として自由に神に約束すること。ブリタニカ国際大百科事典より)を持ち、時にお年寄りも若者に混ざって歩く。
タリハから68km。休みなく歩いて10時間くらい。
タリハに来てすぐ零下5度の寒い日に農村に出かけて以来、右足の裏が痛むけれど、トライしたい。一度歩き始めたらあきらめたくないから少し不安。でも、年に一度のチャンス!

 8月21日午後4時半、総勢6人で歩き始める。初めは3人ずつ、かろやかにおしゃべりをしながら。10~14キロ間隔で、途中の小さな村に休憩所が設けられている。パンやスープを食べたり、足をマッサージしてバンソコウで補強したり。歩いた時間と同じくらいゆっくりしている、と誰かが笑う。
1つ目の休憩所から道は砂利道にかわる。
だらだら歩くよりはと、かなりのハイスピードで人々を追い抜く。
早さが心地よい。
まっすぐ続く道を歩いていると空まで登っていけそうだ。

 月が明るく道を照らしている。きれいに影ができる場所では手で影絵を作って遊んだ。道は上がったり、下がったり。下がり切った谷間には川が流れている。懐中電灯の明かりを頼りに注意深く飛び石を渡る。道の両脇は牧場、たまに牛の鳴き声が聞こえる。村にさしかかると、犬が一緒についてくる。時々、歩けなくなった人たち向けのmicro(小型バス)通り過ぎる。もうもうとたつ埃。
真夜中。気の早い雄鶏が時の声をあげている。まだ月はあんなに大きいのに。
それにしても夜の景色はなんと美しいのだろう。幸せな気持ちになる。

 午前2時、しだいに足が傷み始める。本当に完歩できるだろうか、不安がよぎる。月はさらに空高く、道は乾いて侵食されグランドキャニオンのようになった土地を削るようにうねうねと続く。木星だろうか、月に負けず明るく輝く星が一つ。いつの間にか登り時にはイチ、ニ、サン、シと歩数を数えるようになった。100を過ぎるとまたイチに戻る。真正面にある南十字星とおぼしき星を一心に見つめる。昔、航海士たちが北斗七星の見えない南半球で目印にしたという星。初めは元気に音楽をかけて歩いていた仲間たちも口数が少なくなり、黙々と歩いている。

 4つめの休憩所を過ぎたあたりから6人はそれぞれのペースに応じて2人ずつ組になって歩き始めた。2人は先に、2人は後方に、私は22歳の女の子Mercedesと一緒に真ん中を歩く。腕を組んで、痛む右足を支えてもらいながら。月は沈み始めている。 Mercedesが歌い始める。ついて歌うよう、促しながら。
Juntos como hermanos
miembros de la Iglesia
vamos caminando
a encuentro del Señor
一緒に歌うとしばし足の痛みを忘れた。

 そして、いつの間にか月が隠れ、空は満点の星。南十字星の位置はもうわからない。それでも唯一識別できる星座が一つ。オリオン座。オリオンにまつわる神話は数多いけれど、私が一番好きなのは月の女神アルテミスにまつわるもの。純潔と狩猟の女神アルテミスと海の神ポセイドンの息子で、優れた狩人であるオリオンは共に狩りをするうちに互いに好意をいだくようになる。けれども、アルテミスの双子の兄、音楽と芸術の神アポロンはこれを嫌い、遠く海で泳いでいるオリオンを指さし、アルテミスに向かってさすがにあそこまで弓を正確に射ることはできまいと挑発する。負けず嫌いのアルテミスはその挑戦に応じ、これによってオリオンは死んでしまう。悲しんだアルテミスはオリオンを星にあげ、自らが銀の馬車で空を横切るときに会えるようにしたというもの。そんな話もしながら、歩く。

 最後の休憩所で休みながら、Mercedesがこの調子でいけば後1時間あまり、7時頃にはつけるだろうという。足は文字通り棒のようで、後1時間と思いながらも心もとない。黙って歩いていると、いつの間にか始終数を数えていることに気づく。数えていると無心になった。
疲れてよれよれ・・・Chaguayaの村が見え始めた頃

夜が白々と明け始める。
足が痛んで呼吸までつらくなるよう。
大きな川を渡って、少し登るとChaguayaの町が遠くに見えた。
ここまで来てあきらめてミクロに乗ったという友人の話を思い出す。
まだ遠いのだ。
歯をくいしばるように歩く。
痛い。
20分毎くらいに休みながら歩いて、
午前8時、ようやく町に到着した。
Promesaの報告だろうか、聖母マリアまで膝をついて歩み寄り、祈りをささげる人々。
Mercedesを待って教会の中で座っていると、眠気が襲ってきた。私のpromesaはなんだったのだろう、他のメンバーはどうしているだろうか、とりとめなく考える。すると突然、声をかけられた。Parroquia San Franciscoで知り合ったアルゼンチン人僧侶Marceloだった。Chaguayaに着いた信徒たちに何かを渡していた僧侶の1人だった模様。薄い茶色の僧侶服。キリストのイメージ。会話の途中にも嬉しそうに話しかける信徒に丁寧に応対している。話をしたかったけれど、体も頭も限界。こればかりは心だけではだめなよう。また連絡する約束をして別れた。ある一つの宗教を自分のものとする生き方はどこか排他的な気がして抵抗がありつつ、それでも何か憧れのようなものを感じ続けている。一歩間違えれば小さな枠にはまった見方しかできなくなるけれど、信仰を通してこの世界の理を越え、目にみえない世界へ自身の境界を広げた人たちのなんと多いことだろう。あちら側へ心を開くどころか、隣にいる人にさえ100%心を開けない自分を思ってちょっと暗くなっているとMercedesが戻ってきた。知り合って間もない私をほとんど引っ張るように連れてきてくれた年若い友人。感謝。他の人達を待ってしばし教会前に座り、やがて眠気と空腹に耐えかねてChaguaya名物チリアーダを食べに教会前の道沿いに連なる屋台へ向かった。道を行き交う人々に目を凝らしながら、マテ茶を片手にチリアーダをかじった。おいしかった。

2010/08/12

タリハ人

Dia de Patrio

 タリハに着いて早1ヶ月。
毎日が慌ただしくも楽しく過ぎて、ボリビアという国、そしてタリハ県の豊かさに目を見張る日々が続いています。 途上国であることに変わりなく、車や洋服などは輸入物がほとんど、そしてその大半が中古品で品質は決してよいとはいえません。貧富の差は激しく、町から一歩でた農村の貧困状態は厳しいものです。交通アクセス・衛生・教育面などまだまだ課題が山積みです。

けれども、タリハ県だけでも標高3800mの乾燥しきったSamaの山近辺から、1800mに位置する穏やかなタリハ市、そして夏には気温が40度以上になる緑あふれるYacuibaやBermejoといったGran Chacoの町など多様な気候・風土に恵まれ、市場へ行くと県内初めコチャバンバやサンタクルスなど各地から届けられた豊富な野菜や果物が並び、牛や豚、鶏の肉の大きな切り身がずらりと掛けられています。
そして何より人々には明るい活気があって、自分の住む場所で逞しく生きようとする力を感じます。

Samaの山を車でひたすら登って1時間、タリハの町は遥か遠い下

小規模でかつ京都のように縦横の区画がはっきりとしたタリハの町は地図さえあれば歩きやすく、また道行く人も親切です。「ここから2ブロック行って、左に曲がって3ブロック・・・」と道の名前をつぶやき、指を折って数えながら腕をとらんばかりにして教えてくれます。職場の行き帰りの道を変えてみたり、パン屋さんや市場で新しい食べ物を試したり、お店の人とちょっとした会話をかわしたりして少しずつ慣れてきました。町が小さいこと、そしてカトリック教会の影響が大きく家族制が強いお国柄だけあって、人々はお互いをよく知っています。知り合った人の話をすると、誰々の叔母の娘だとか、甥の誰々と以前付き合ってたとか、誰々がつくっているempanada(肉や野菜をつめて揚げたパイ皮包み)なら大丈夫だ、などのコメントがよくでてきます。

タリハの旗を掲げて行進
 比較的白人系が多いせいか、タリハ人は悪く言えば閉鎖的、タリヘーニョ(Gran Chacoの人々はチャケーニョ)であることに強い誇りを持ち、中央政府、現モラレス政権には批判的です。犯罪があっても悪い人たちはみなラパスやポトシ、もしくはペルーからやってきた人たち、タリヘーニョのはずがない、なんていいます。温暖で住みやすいタリハには厳しい高地のポトシなどから多くの人々が移り住み、もとからの住民に騒動を引き起こしている模様。新しく移住してきた人たちの中にはケチュア語しか話せない人たちもいて学校現場にも様々な問題がおきているようです。                       タリハの旗を掲げて行進

音楽や食べ物・・・家族が住んでいるという人も多く、国境を接したアルゼンチンの影響は濃厚です。この間はタリハはボリビアでなく心はアルゼンチンなんだ、とオルガが熱弁をふるうので、モントリオールはフランスになりたくて独立運動をおこしていたし、タリハはアルゼンチンに入りたがるし・・・なんで私が住むところはいつも・・・?と大笑いしました。歴史的な経緯と相まって、どの場所にもそこに住む人々の思いがあり、興味深いです。

 日本への感情はとてもよく、美しくきちんとして、たくさんお金があってテクノロジーが発達しているいい国だといってくれます。これは職場の人たちや日本と関わりのあった人たちだけでなく、携帯にチャージをしようと入った小さな店でも言われたりするから、一般的な印象のようです。中国製のものは安いけどすぐ壊れる、その点日本のものは長持ちして美しいから高いけど手に入れたい、でも最近あまり入ってこないんだ、と肩をすくめたりします。中国の人たちには申し訳ないけど、ちょっと嬉しかったり、鼻が高かったり。日本の技術者、職人さんに感謝です。日本を出たとたん日本人というアイデンティティを意識せざるを得なくなる、自分の感情もおもしろいことです。タリヘーニョを笑ってもいられない・・・

町を歩けば常に視線を感じ、Chinita,Chinita(サンタクルスではオキナワやサンファン移住地が近いためかJaponesaといわれることの方が多いのですが)と声をかけられるラテン・アメリカでは、様々な人種が闊歩する北アメリカやヨーロッパの大都会とはまた違った自意識を感じます。子供には笑顔で、若者相手には「ふんっ、若造が」と笑い飛ばし、握手を求めるおじさんには失礼にならならない程度に対応しつつ・・・珍しいアジア人として優遇されたり、注目されたりする利点を仕事に生かしていかねばと思います。

 ブドウとワインの町Valle de Concepation、グアラニーやマタコの人々がその文化を守って暮らすEntre Rios、Iscayachiをはじめとする数々の自然保護公園。これから行ってみたいところがたくさんです。外国人として外から見る目と、限られた時間だけれどもここタリハで暮らす者としての内からの視点を意識しながら、ボリビアを見つめていきたいと思います。
Dia de la Patrioの日、Desfilar(行進)した後え職場の人々と