5月1日のメーデーの連休、サマイパタへ出かけた。タリハからバスで約17時間。ポトシやスクレのようにサマ(Sama)の山を越えていくのではなく、以前Virgen de Guadarupeの祭りに出かけたエントレリオス(Entre Rios)からビジャモンテス(Villamontes)を通ってサンタクルスへぬける。ビジャモンテスーサンタクルス間は舗装されているけれど、ビジャモンテスまでの道は舗装どころか対向車がくればどこかで止まってすれ違わなければならないほどの細い山道だ。くねくねと曲がる道を容赦なく進むバスは時に絶壁からはみだすので、一番前(座席が少し広い!)に座るととても怖い。バスにあまり強くない私は気持ち悪くなってしまった。予約していたのは窓際の席。それが高校生くらいの女の子のお父さんに座席を変わってやってくれないかと頼まれ、No hay problemaと通路側に。後から女の子がバス酔いするのだと言っていた。これのことか・・・と思いながら、必死で耐える。ビジャモンテスについてから道は平坦になり、ようやく寝ることができた。
ラパスからくる友人とバスターミナルで落ち合って、乗合タクシーで2時間半のサマイパタへ向かった。サンタクルスも緑が多いけれど、サマイパタに近づくにつれてさらに鬱蒼と森のようになってくる。日本の風景によく似ている。タリハから国境の町ベルメホに行く時にも同じことを感じるけれど、湿度の高いベルメホに比べ、こちらは標高が高いだけあって空気が澄んで気持ちいい。そして寒かった・・・。サンタクルスに着く頃から嫌な予感はしていた。サンタクルス=暑い!と思っていたから、いそいそと水着やスカート、虫よけなどをリュックにつめていたけれど、バスが町に入ってからも掛けていた毛布が手放せない。いつもは絶対もってくるレインコートも傘もなぜか持ってこなかった。帰ってから聞くとタリハもこの週末いきなり寒くなったとかで、ちょうど天気の谷間にあたったようだ。それでも、雨にぬれた緑はきれいだった。
今回サマイパタを訪れた理由は二つ。世界遺産にもなっているサマイパタの砦を訪れること、そしてここに移住して長く住みついている2人の日本人に会うこと。
"El Fuerte de Samaipata"、サマイパタの砦は実際に何に使われていたのかはっきりわかっていない。ご多分にもれず宇宙船発着場所だったという説もある。最も可能性があり、かつロマンがあるのは、インカ帝国の時代、低地の民族と高地の民族が落ち合って集会を行う場所だったという説。砦とよばれているが、水路も整った住居と宗教施設。赤い岩に人や蛇、ピューマなどの動物が彫られ、生贄を捧げた神殿もある。マチュピチュの遺跡を思わせた。同じインカの流れをくむ。訪ねた日は雨。遠くの山には雲がかかり、緑の上に霧がただよっている。どこかイギリスのハイランドにも似ている。これでモコモコの羊でもいたら・・・。El Fuerte自体の規模は小さいけれど、エクアドル、ペルー、ここボリビアを経て、アルゼンチンやチリにまで達してたいたインカ帝国の巨大さを感じさせた。
部族の代表がここに座り・・・ |
こんな景色を眺めていた・・・ |
会いたかった日本人の1人は隊員の父のようなうえまさん。Don Gabrielの名前で知られるうえまさんには村に着いた時からお世話になりっぱなしだった。以前サマイパタを訪ねた仲間から噂は聞いていたけれど、本当にかゆい所に手が届くかのように私達のことを考えてくださった。とにかく歓迎してもらっているのが伝わって心地よい。到着した日は乗合タクシーを家の前につけ、お茶とお饅頭で一服させてもらってから、泊まる予定の小さな山の中腹にあるCabaña(民宿)へ送ってもらう。そしてサマイパタのボランティア2人と一緒にフランス人の経営する村一番おしゃれというレストランに連れて行ってもらって御馳走になった。
うえまさんちのやまと |
あまりにもよくしてくださるので、翌日は料理をしてお返しをしようと決めたけれど、民宿の部屋についているキッチンは小さい。結局、El Fuerteから戻った後、うえまさん宅で料理させてもらうことになった。材料も色々使わせてもらってどっちが招いているのかわからない。キムチ鍋をすることに。なんせ寒い。NHKの連続テレビ小説なんかを見ながら、鍋をつついていると日本に帰ったよう。物静かなうえまさん。でも私達の話をちゃんと聞いていて、たまにコメントを挟む。帰る間際、手作りのお風呂にいれてもらった。薪でお湯を沸かし、蛇口をひねれば熱々のその湯が鉄の風呂桶に流れ込むようにつくられている。以前は直接火で温めていたけれど、桶が割れてからは工夫して今の形にしたのだそう。タオルとビーチサンダルを用意してもらって、何ヶ月ぶりかでお風呂に入った(シャワーはちゃんと浴びてます!)。温泉大好きで、同じくすっかり温泉の魅力にはまったカナダの友人と丸半日お湯につかって過ごしたこともある私には至福の時間だった。たわいもない話に花が咲いて、今回はうえまさんがボリビアに来てこのサマイパタに住むようになった経緯を聞く機会はなかった。家族のように出入りする2人のにぎやかな隊員を最後にサマイパタに新たなボランティアが配属されることはない。日本に戻るまでに必ずもう一度訪ねてこようと思った。
柿酢見せてくださる |
トマトの原型 |
あさのさんの農法は至ってシンプル。自然のサイクルを大切にし、土地に異質なもの与えるのをできるだけ避けるというもの。自然界との調和。あさのさんの農場にはサンファンで養鶏を営んでいる親戚からもらってくる排鶏(もう卵を産まなくなった鳥)がいる。ケージの中で変われ、ひよこから卵を生むようになるまで40日という早さで育てられた鶏。あさのさん宅にくると最初は全然動かない。動き方をしらない。勇気のあるのが辺りをつつき始めて他の鶏も動き出す。そして1年半もの間卵を生むという。自然には異質なものを排除しようとする本能がある。土地のものを与えると動物はおとなしく優しくなり、健康でにおうこともない。それに反して配合飼料を食べる豚やアヒル、鶏は猛々しく病気になりやすいし、独特のにおいを発する。配合飼料を与えてきた頃はキツネがアヒルを襲いにやってきたけれど、畑でとれたものを与えるようになってからこないという。生き物はみなその土地の土とバクテリアで生きている。人も土の子。
嬉しそうな野菜 |
愛嬌たっぷりの豚 |
現代農法と自然農法の違いはここにある。両方とも土地からとったものを返しているのだが、現代農法は異質なもの(肥料)を畑に返すのに対し、自然農法は土地にあったものを返す。あさのさんの農園には畑と畑の間に1~2m、雑草生え放題の場所が設けられている。ここでとれる?土はだんご虫やミミズが耕した健康なコンポストだ。これを畑に返す。また野草を乾かして藁にしたものは野菜のベッドにもなる。苗の周りを藁で覆ってやると、水の蒸発を防ぎ、虫やミミズが食べることで堆肥になる。あさのさんの家の豚が食べているのは畑の野菜や野草。豚がかんで唾液がたっぷりついた草は養分たっぷり。よい肥料になる。豚は配合飼料を与えていた時と違って自分の糞を食べるから囲いは清潔。豚小屋をあらった肥溜めの水もまた養分たっぷりだから畑にまく。そしてこの豚はとてもおとなしくて健康で、驚くほどにおわない。このようなあさのさんの農法を可能にしているのは観察だ。チョウが多いと雨が降らない。鳥が飛ぶと翌日は雨。小さな現象から自然の調和を読み取る。
お醤油 |
あさのさんの農園にはたくさんの人がその秘密を知ろうと訪れる。私達が訪ねた時もベル―から来たという日系の若者が働きながら学んでいた。週末にボリビア人の農家が訪れることもある。あさのさんは自分が今の形にするまで25年かかったけれど、ボリビアの農家の人が今自分のやっていることを理解して実行すれば5年で同じようにできるだろうと言う。農家のおばちゃんがこれはうちでもできる、あれはこう工夫したらいいなんて言って、最後に感謝のbeso(キス)をしてくれたりすると、あさのさんはとても嬉しそうに話していた。サマイパタは緑の生い茂った気候のよい恵まれた土地だ。それでもあさのさんがここまで農園を調和のとれたものにするには大きな努力があっただろう。さらに厳しい高地の農家が同じようにできるのかどうかはわからない。それでも土地のものを土地に返し自然界の調和を保つ、というあさのさんの考えはどこにいてもあてはまるのではと思う。畑でとれたあずきから奥さんの手作りしてくれたおいしいおはぎをお茶と一緒にいただいき、帰りには手作りのしょうゆと柿酢、そしてお味噌をわけてもらった。これでお酢の物やみそ汁がつくれる。ほくほくした気分になった。
サマイパタには気候のよさから多くのヨーロッパ人が移住してきている。民宿La Visperaもオランダ人が経営する。私たちの部屋は領事夫妻が滞在したともいうかわいくて素敵な部屋(ちょっと奮発した!)だけれど、もとは鶏小屋だとか。半地下だから暖かいのだという。実際あのとっても寒かったサマイパタでの3日間、暖房もないのに部屋に入るとほんのり暖気が感じられた。あさのさんの農園を訪ねた日、イタリア人夫妻が営む有機農園を訪ねる予定を急きょ変更して、La Visperaにもう一泊することにした 。あまりの寒さと、長距離バスの疲れから。午後は意外に長く昼寝して、夕方裏山を上って付近を散策した。夜はキッチンで玉ねぎとトマトを少量の油でいため、塩、胡椒で味付けしたシンプルなパスタを作り、ロウソクをともしておしゃべりしながらお腹いっぱい食べた。デザートはおはぎ。ジャーナルを書いたり本を読んだりしながら、友達と眠くなるまで話し込んだ。
お邪魔していいですか? |
最終日、私達を迎えに来てくれたうえまさんが、良き友人でもあるオーナーのオランダ人夫妻が山を買った時、この何もない荒れ放題の山をどうするのだろうと思ったと話してくれた。その山を何年もかけてこつこつ耕して畑や庭を作り、かわいい家をたてて民宿にした。栽培し、収穫したハーブや野菜を使ってハーブティーやハーブオイル、チャトニ―などのソースを作って販売もしている。La Visperaは前夜祭という意味だそう。祭りの前日ほど楽しくてうきうきする時間はない。そんなことから名づけられたのかなと想像した。ヨーロッパ人は粘り強いね、と言ううえまさん。でもそれはもとから住むボリビア人やこうしたヨーロッパ人とよい関係を築き、土地に根ざして生きてきたうえまさんやあさのさんにもあてはまるだろう。自然と共に、土地とともに。そんな生き方をもっと知りたいと思った。