オキナワ豊年祭へ、ラパス、アフロ・ボリビアンの村トカーニャ、アイマラの村アチャカチ、そして標高6362mのイリャンプ山を抱くソラタへ、と移動の多かった8月とうって変わって、9月はタリハを満喫する日々となりました。
9月3・4日はボリビア中の大勢の仲間がチャグアヤ(Chaguaya)への巡礼の旅に参加するためにやってきました。去年も歩いた61キロの道を今年は総勢13人で歩きました。今年は3つあるルートのうち、ボートで川を渡る別ルートをとりました。涼しい夜風が気持ちよく、日本語でかわす会話も弾んでいます。みんな準備もよくて、休憩所に着くたびに、バナナやチーズ、黒糖に日本のお菓子など次々と色々なものがでてきます。去年の反省を生かして今年は各休憩所で休む時間を少なくしました。ちょうど半月の夜、煌々と輝いて道を照らしています。時間がたつにつれて、それぞれの歩くスピード、疲れ具合に合わせて小さなまとまりになって歩きます。やがて月が沈むと、あたり一面、星の海。ミルキーウェイがゆるやかに空を横切っています。話声がまばらになって、歩くことに集中し始めました。
チャグアイヤの教会が見えるころ夜が明けはじめました。ここからがひと踏ん張り。大きく迂回する道を1時間。17時ころ出発して、早い人たちが6時前後、全員が7時のミサに間にあって到着しました。聖母マリアの祝福を受けてから、チャグアヤ名物チリアーダ(Chiliada)と暖かいスープを食べました。帰りのバスは爆睡、仲間のとった写真を見ると結構おもしろい光景(バスの中も含めて)もあるのに何も覚えていません。この後バスでタリハに戻り、少し休んでから、町のサン・ロケ教会(San Roque)までチュンチョ(Chuncho)を見に行きました。らい病患者を看病して自ら病を得てしまった聖人を記念して行われるこの祭りはチャグアイヤ巡礼と時期(8月15日~9月15日)をほぼ同じくし、密接な関わりをもつタリハ特有の祭りです。前日長距離バスでタリハ入りした仲間、日本から来たお姉さんとボリビアを旅してまわった最後に2人でタリハを訪れた仲間、前夜遅くまでワインをたくさん飲んで参加した仲間。みんな超人なみに元気でした。
9月11日、日曜日はサン・ロケ教会でクラシックコンサートが行われました。音楽学校の校長先生はじめ、私のバイオリンの先生、フルートを習う友人の先生などタリハの名だたる音楽家!が集合。美しい音色を響かせました。1時間弱の短い時間でしたが、演奏にはバイオリン、チェロ、コントラバス、クラリネットとともに、ボリビアの楽器ケーニャやサンポーニャ、カーニャも加わってとても素敵でした。4月に目白押しだったコンサートも冬の間はほとんどなかったので久しぶりのオーケストラに大満足。この後、近くの韓国料理屋さん(タリハ唯一のおいしいアジア料理屋さん)に出かけて、お寿司を食べました。タリハでもサーモンの刺身がちょこっとだけど楽しめるのです。
翌週9月13日、サン・ロケ祭りは最終日を迎え、仕事は昼休みなしの連続勤務で午後4時に終了。この一ヶ月間各地区で踊られていたチュンチョ、週末には全員集まってメインの通りで踊られていたこの踊りが、終わりをつげます。全参加者が集まって主な教会を回り、最後に聖母像(Virgen de San Roque) がサン・ロケ教会に戻っていきます。夜ボリビアの友人と近くまで行ったのものの、すごい人で結局よくいくハンバーガー屋さんのテレビでサン・ロケ前に集まった大勢のチュンチョの踊りを見守ったのでした。高いところから撮った映像はチュンチョ独特の羽帽子のてっぺんを飾る白い羽を沢山移して壮観でした。
9月22日、バイオリンのレッスンに向かっている時、友人のDurvynから電話がありました。今日ロス・カルカス(Los Kjarkas)のコンサートがあるから行こうとのこと。8時開始予定だから多分9時半くらいにいけばいいとのんびりしたもの。ボリビアで開始時間+2時間くらいみておいていいのです。実際、始まったのは10時をまわった頃でした。ロス・カルカスは多分日本で一番知られているボリビアのフォルクローレグループ。結成40年近い大御所で、現在のチャランゴ奏者は日本人のマコト(宍戸誠)さん。大学の体育館Coliseo Universitario で行われたコンサートはこじんまりとして、メンバーもよく見えました。スタンド席は50ボリ、ステージ前は80ボリ(1000円)。前回サンタクルスで出かけたシャキーラ(Shakira)のコンサートが500ボリ近かった事を考えると、普通のボリビアの人が行くことができる値段設定です。
コンサートは素敵でした。ゴンサロとエルメールのエルモサ兄弟の歌声はよく伸びて感情がこもり、タリハではめったに聞けないチャランゴやケーナ、サンポーニャの入ったフォロクローレを思う存分楽しみました。そして、コンサートの半ばマコトさんがヒット曲の一つ"Llorando se fue"(泣きながら)の一部を日本語で歌いました。ロス・カルカス大好きのDurvynから「この歌よ」とつつかれ今か今かと待っていた一瞬。大きな歓声があがりました。タリハ人はおとなしいのかコンサート中立ちあがることはなかったのですが、ゴンサロがマイクを向けると全員が大合唱。みんな歌詞をしっているよう。サビをちょこっとしか歌えなくてとっても残念。ボリビアらしく「アロアロ」のかけ声で小話(ジョーク)が数回入って、みんな大受けでした。私は1つしかわからなかったけど><。最後の方はステージにかけ上がってゴンサロやマコトに抱きつく人がでて警官に阻止されたり、立ち上がって踊りだす人もでて、とても盛り上がりました。コンサートの後、生まれて初めての出待ち?を決行。ブロックしていた警察も私の顔(どうみてもアジア人)とマコトに挨拶をしたい!という言葉(可能な限りイノセントな感じで)にメンバーの乗る車に近寄ることを許してくれました。挨拶して、ボリビアにいつからいるのか、何しているのという簡単な会話を交わした後、泊っているホテルを教えてくれました。 とっても男前のマコトさんは気持ちのいい方で、日本公演に行ってきたばかりという他のメンバーも「コンバンワ」「アリガトウ」を連発しつて快く一緒に写ってくれました。