2010/09/10

日本週間


 8月末、サンタクルスで領事館主催の日本週間が開催され、日本料理、空手、アニメなど日本文化の紹介やボリビア移民の歴史の展示がされ、大勢の人々が訪れました。
その最終日、日暮豊弘・メキシコ裏千家支部長による茶道デモンストレーション及び茶の湯解説が行われました。着物を持っていてお茶をやっていた!とのことで私も呼んでもらい、デモンストレーションに正客として参加しました。少し間違いもしましたが、先生と呼吸を合わせ、流れをつくることができたと思います。
長板二つ置き薄茶のお点前をほぼ省略しない形で行ったのでかなりの時間をとりましたが、会場いっぱいに見えていたお客様は咳払いもほとんどないくらい静かに真剣に見てくれました。
デモンストレーションの後は再度日暮先生がお点前をされ、招待客何人かが舞台にあがりお茶をいただくという趣向。大使館やサンタクルス日本人会でお茶を習われている方々のお運びをを少しお手伝いしました。舞台に上がられた招待客の中にはボリビア人もたくさんいて、横の日本人に聞きながら飲み方の作法を体験していました。デモンストレーションよりリラックスしたなごやかな雰囲気です。
質疑応答では会場から、どれくらい練習したらお点前が身に着くのか、このようなお茶会はどのような時に行われるのか、といった様々な質問が出されました。
ほぼ3カ月ぶりのお茶でほっこり。準備に奔走された大使館や日本人会、サンタクルスの仲間たちに感謝です。

 今回サンタクルスに行った折、念願の日系移民の町の1つ、サンファンを訪ねてきました。短時間、しかも週末でほとんどの店はしまっていたけれど、苦労の末ボリビアでの生活基盤を築いた人々の暮らしぶりを垣間見ることができました。
昭和時代の日本のよう、と聞いていた通り。
道で会う人達とも「こんにちは」と日本語で挨拶をかわして、ゆったりした空気が流れています。
映画の中に入り込んだようでした。
茶道でお世話になった日本人会の会長さんは、写真1つの見合い結婚で海を渡ったそうで、夫の不在中は銃を持たされ、小さな子供を抱えて農地を守ったと聞きました。当時はそれが当たり前だと思っていたから、苦労と思ったことはなかったと。
サンタクルスはもともと熱帯のジャングル。そこを切り開いて畑を作った移民一世の人たちの気概や苦労を思うと胸を打たれます。
一方、ボリビアで生まれ育った二世、三世はまた違う経験をしているよう。
日本人でもなく、ボリビア人でもない。
アイデンティティの問題。

10年前、カナダからの分離を目指していたケベック州において、移民は(たとえ英語しか話せなくても)子供をフランス語系公立学校にいれなければならないという法律が通り、大きな論争を巻き起こしていました。よほど裕福でない限り、移民に私立学校に子供をやる余裕はありません。子供の宿題を見てやれない、と嘆いたアジア系移民。町から次々と消えていく英語の看板。自らの文化を守りたいのはフランス系ケベック住民も、移民も同じ。数的に圧倒的な英語系住民の中で独自性を守りたいケベック住民の将来への不安、そして自分を取り巻き育んできた環境から一時的にではなく、永久に根こそぎ離れて暮らすことを(多くの場合やむをえず)選んだ移民の切実さをひしひしと感じたものです。帰る母国のある留学生として滞在していた私には持ちようのない感情でした。

そのほんの数十年前、カナダ(アメリカ共に)ではネイティブ・アメリカン同化政策がとられていました。親から引き離された寄宿学校で自分たちの言葉を使うことを禁じられ、アメリカ的価値観を教え込まれた子供たちは自らの出自に劣等感を感じ、自己肯定感をもつことができず、多くがドラッグやアルコール中毒になったり、自殺に追い込まれたりしました。何より親から子へ伝えられてきた言語、伝統文化、価値観の流れが断ち切られたことは大きく、今でもネイティブ・アメリカン社会はその後遺症に苦しんでいます。そして同じようなことは日本初め多くの国々で行われてきたのです。自分たちの文化を、尊厳を取り戻していこうという先住民の運動の高まりと、その高い精神性と大地に根ざした生き方に惹かれ学ぼうとする人々の存在が1つの光になっています。

いずれも共通しているのは、自らのアイデンティティは自らの力で確立していかなければならない、ということ。日本という国で人種や民族や宗教といった問題に悩むことなく生きてきた私にとっては、今でも新鮮な問いかけです。社会主義思想が強く、富の分配を唱えるエボ・モラレス政権は経済的に成功しているサンファンを快く思っていないという話も聞きます。店で出会ったあくまで屈託なく明るく、さわやかなサンファンの若い人たちがどのように生きていくのか、自分はいったい誰なのだという問いにどのように答えていくのか知りたいと思いました。

土曜日の昼下がり、白いお米を抱えて、眠っているように静かなサンファンの町を後にしました。



 サンタクルス滞在中はwakawaka仲間のお家に泊めてもらいました。ホテルのように豪華なマンション。日本食をほんとにたくさんご馳走していただきました。モンテロ、サンファン、サンタ市内の仲間も一緒に泊って、互いの近況や任地での出来事について夜遅くまでおしゃべり。それぞれの職場で日々感じていること、問題点、今後の活動の見通し、ボリビアの国とその人となりについて・・・話はつきません。
その間も食べる、食べる・・・!!!
ご飯がとってもおいしくて、昆布や梅干しや佃煮と一緒に、そして最後にはお茶漬けをして、なんと3杯も食べてしまいました・・・
Estoy llena!!お腹一杯!
2日目の夜は夕食後ワインやビールで乾杯しながらわいわい騒いで、マンション内のプールへ。もう30度を超えているサンタクルス、冷たい水がとても気持ちよくて、ゆったり体を伸ばしました。同じマンションに住む、日本に住んでいたことがあるというボリビア人とその姪がやってきて、一緒に泳いだりも。
素敵なバーベキュースペースもあるので、次回集まる時にはみんなでparilladaをしよう!との企画もできました。
久しぶりに着物を着てお抹茶をいただき、白いお米を食べ、たくさん日本語を話して、Japónを感じた3日間になりました。