2011/01/29

月の谷、チチカカ湖、そして哲学


Lago Titicaca

 オルロからラパスへ向かう道は舗装されていて、雨にも負けず快適にバスは走る。夜8時。ボリビア西部(Occidente)特有の顔立ちをしたインディオの人々が忙しげに行きかうエルアルトの平らな道がしだいに下りはじめる。前回興奮したすり鉢状の町並みには明かりが灯り、素晴らしい夜景をみせてくれる。飽きもせず窓に顔をくっつけるように見つめていると、隣でよく眠っていたセニョールがラパスは始めてかと英語で話しかけてきた。とっさに反応できず、スペイン語でかえす。一度来たけど、一日だけ。夜の景色は格別。大都会ね・・・話をしながら気づく。そう、ここは首都ラパス。半日あれば主要な場所を全て歩いて!まわれるタリハとは違うのだ。住所しか知らない友人の家に無事辿り着けるのだろうか?ラパス在住、仕事でオルロによく行くというセニョールは心配いらない、ちゃんと教えるよ、と言ってくれる。そして言葉通り、バスターミナルは危ないからと大通りでタクシーを掴まえ、住所を運転手に告げて送りだしてくれたのだった。

 無事着いた友人宅はビルの12階。こんな高いビル自体タリハにはない。すっかりおのぼりさん。各部屋から景色を見て回ってすごーい!を連発。この日は環境教育仲間の誕生パーティーへ出かけて、たくさんの人が持ち寄った日本料理をたくさん食べさせてもらった。翌日、仕事に出かけた友人を送り出し、ゆっくり朝食、洗濯、そしてお風呂(久しぶりの湯船!)に入らせてもらう。あまり長く浸かると、血液の循環がよくなりすぎる気がしてほどほどに。だいぶ慣れたとはいえ、高地は高地。

 午後、JOCV仲間とミクロで30分離れた月の谷(Valle de Luna)へ出かけた。その名の通り、月世界。タリハに似た光景。景色自体はさほど珍しく感じなくなっているが、眺めるのと実際に歩くのとは違う。月にいる気持ちになって遊ぶ。オルロから観光にきているというボリビア人のお兄さんも巻き添えに。空手隊員が月の世界らしいジャンプを見せてくれる。残りの私たちはまだ重力にとらわれてしまってる??

Valle de Luna



La Isla de Luna
 翌日、チチカカ湖(Lago Titicaca)へ。インカ文明発祥の地、太陽の島(La Isla de Sol)。緑豊かな美しい島。規則正しい縞模様を作り出す段々畑にキヌアを始めとした農作物が植えられ、さんさんと太陽を浴びて輝いている。約1時間、登って下って島の一角を散策をする。標高3800m。息を整えながら歩く。太陽を礼拝した小さな神殿。ここで始まった文明がやがて力を得て、あのマチュピチュの神秘的な神殿につながっているのだ。遠く太陽と対になる月の島(La Isla de Luna)がみえる。処女を生贄にして祈りを捧げたと言われるこの島は自然の動きを読み取って暮らさなければならなかった人々の闇の部分を請け負っていたのだろう。ラパスから近いこともあってすっかり観光地化されているけれど、段々畑にそった細い道で行き交う人々は太陽神を頂いていたあの時代からの生活を受け継いで暮らしている。時間の流れ。たった数時間立ち寄っただけで、何が感じ取れるのか、もどかしいような気持ちになる。対岸コパカバーナ(Copacabana)のホテル、この夜激しい雷と稲光に見舞われた。


 


La Isla de Sol

インカ文明の神殿

 1月9日土曜日。ラパス。楽しみにしていたことの一つ、哲学の授業とチリ発祥ビオダンサ(Biodanza)のクラス。哲学の授業1時間目はカルロス先生。 ラパス入り2日目、軽い高地病で行けなかったヨガクラスの先生でもある。聞いていた通り、穏やかな暖かい雰囲気のある人だ。今日のテーマは形而上学 (metaphsica)。Vivencia, conciencia, confucianismo, taoismo, atención, imagen・・・1年近く遠ざかっていたこれらの言葉をスペイン語で再び聞くのは不思議な感じ。例を交えながらゆっくりわかりやすく説明してくれる。内容がそれほど目新しいわけでも奇抜なわけでもない。それでも話を聞くことで気持ちが落ち着き、自分の世界観が広がっていく気がする。2時間目は上品な女性の先生。インド哲学やヨガの話。サンスクリット語がぽんぽん口からでる。それでも本質は同じ。いかに豊かに生きるか。

 お土産通りとして有名なサガルナガで昼食をとった後、友人とビオダンサのクラスへ出かけた。ビオダンサは感情、音楽、リズム、表現を通して、心を開き人間の可能性を目覚めさせ、自分自身と、そしてグループの仲間との間に暖かい感情を呼び起こすこと、また心のままに体を動かして踊ったりエクササイズをすることで、心と体の統合を図ることを目的としている。ビオダンサのクラスに参加するのは今回が初めて。10人のグループ。同じように初参加の人たちがいて、最初に先生がビオダンサの成り立ちを簡単に説明してくれる。

チチカカ湖のほとりで
 そしてエクササイズ開始。まずは音楽に合わせて歩く。前に後ろに。次にペアで。互いにコンタクトをとりながら。いくつかの簡単なエクササイズの後、輪になる。ペアを替えつつ、輪の中で互いの踊りを真似ながら、2人が踊る。後半はイメージをつかった踊り。まずは先生の踊りをみる。惑星の王様という名のインド風の曲にあわせて。次に全員が大まかなラインは先生の踊りにそいつつ、自分が作り出す世界のイメージをふくらませて踊る。最後に手をつないで互いの目を見、相手の作りだした世界を感じ取るエクササイズ。私にとってはとてもemotionalな経験となった。ヨガやメディテーション、オイリュトミーなど今まで体験してきたものはどれもどちらかというととても個人的なもの。ビオダンサは個人にも焦点をあてているものの、共にエクササイズをし踊るグループの仲間との関係性がかなり大きなウエイトを占める。一瞬ではあったけど、初対面の人たちを相手に「開く」体験をしたのは初めてだった。程度の差はあれ、グループの人々が同じように感じているのが表情から読みとれた。自分でコントロールできない感情の爆発のようなものを感じて少し怖い気もしたが、この体験をさらに深めてみたいと思った。

 ビオダンサの帰り、イリマニ山と素晴らしい夕焼けをみ、夜はJOCV仲間と日本食を作っておしゃべりをしてたくさん笑った。頭と体を使う普段とちょっと違う体験をした後、リラックスした時間を持ってバランスのとれた一日になった。明日はタリハへ帰る日。今回の旅はボリビアに来る前の日々を振り返り、そしてボリビアの後の日々を思い描いて自分を見つめる時間になった。過去があって今があり、今があって未来がある。現在自分が旅をし、出会い、考え、そして行動しているのは過去があったから。それは今の自分の毎日の体験、選択の一つ一つが未来を創り出していくということでもある。タリハでの日々を大切にしたいと改めて思った。

 

Copacabana

2011/01/27

アンデス山脈からチリ国境へ



  ウユニツアー2日目。朝8時荷物を積んで出発。
標高4000m以上の山道をひたすらはしる。
大地の色は赤、茶、黄色、白・・・森林限界を超えているから、木は一本も生えていない。大地にしがみつくように同種類の草がまばらに広がっている。赤茶色の石がどこまでも大地をおおっている。同じようにみえる景色に変化を加えているのは火山だ。かすかな硫黄のにおい。ガイドのおじちゃんが、ひときわ大きな山を指さしていう。「あの山の頂上には湖があるよ」と。カルデラ湖。ほとんど人が足を踏み入れたことのない世界にちがいない。目に見えない湖を想像してみる。見渡す限り命の印はほとんどない。時に目にするのは、ビクーニャ。あの細く弱々しい動物のどこにこんな厳しい環境で生きる強さがあるのだろうか。
 この日はLaguna Colorada(赤い湖)へ向かう。湖にはピンクのフラミンゴが一杯。赤い湖といわれるのは湖の中の藻のせいだとか。風がふかないとこの色には見えないという。この日は空も曇り気味で風はない。けれどもたくさんのフラミンゴで湖はピンク色に染まっていた。



 
 夜は湖近くのアロハミエントに泊る。夕食前、宿の裏手にある石山を登ってみる。登りきっていると、そこはさらに広がる大地だった。そして360度さえぎるものなくアンデス山脈の山々が遠く近く、連なっている。気温は10度を下回っているはず。ダウンを着こんでも寒い。仲間4人で写真をとって遊びながら、暮れゆく空、石だらけの大地、そして山の稜線しかない世界の空気を胸一杯すった。大地がとぎれる一角、遠くにつらなる山が世界の無限さを感じさせるような、そんな場所でひと際大きな石塚があった。車で走っている時そこ、ここで見かけた石塚。どんな思いがこもっているのか。不思議に安らぐ場所。一つ石を足しながら思う。ここには何か力がある。きっとこんなところに様々な僧院が建てられたのだろう。二度とはこない場所。けれど、この感覚とこの光景を決して忘れることはないだろうと思う。星が降るようにまたたき、流れ星が美しい夜、生まれてきたことを感謝したい気持ちになった。





積んであるタンクからガソリン補給
 翌日、朝早く出発。日の出。1月1日に見るはずだったから、初日の出。風の作用によってなんともいえないおかしな形になった岩や、ガスの用に蒸気が吹きあがり、土のなかからぶくぶくと泡がたつ火山地帯を見ながら、チリの国境へ。1週間前アルゼンチン国境をまたいだから、これで南米3国に出かけたことに・・・?ドイツ人のお兄さんとはここでお別れ。彼はここからチリ入りして旅を続けるのだ。途中車が故障。振動でゴムのチューブに穴があいて、ガソリンがもれていた。おじちゃん、大きな手が隙間にはいらなくて多少苦労しつつ、手際よく修理する。「たいしたことない」と自信たっぷり。この後、たくさんの車がパンクしたり、エンジンの不調をおこしたりしている場面に出くわすことになる。あれだけの悪路だから当然のこと。おじちゃんはさすがベテラン、運転も慎重で、だからこの程度の故障ですんでいるのだ。



 Laguna Verde(緑の湖)ではフラミンゴがそぞろ歩く湖を眺めながら温泉につかれる。足湯しながら、アンデスの山々を眺める。何度見てもあきない。世界は大きい。同じ事を何度も思う。この大きさが、人間にとって実質的になんの利益ももたらさない空間の存在が、人の魂に広がりを与えている。だから人は旅に出かけずにいられないのだと思う。二日かけてたどり着いた国境から、今日一日でウユニまで戻る。魂だけでなく?、体もしっかりのばしておく。埃をまきあげ、ガタガタ揺れる道をすすむ。標高5000mまで登り、また下っては登り・・・やがてオアシスのように澄み切った水が川を作って流れる場所にでた。リャマがたくさん草をはんでいる。水の流れにそって山を降りると、小さな美しい村があった。まるで桃源郷。水のなかで藻のように揺れる草の緑が、青い空を映した水面と鮮やかなコントラストをなしている。水が命のもとであることを改めて感じた。

 ここで昼ごはんを食べた後、一気にウユニへ。石油会社が自社のために作った道は大きな石が取り除かれ、今までの山道よりかなり揺れが少ない。さすがに疲れがでて爆睡。予定通り午後6時、ウユニ着。ホテルをとって3日ぶりのシャワーを楽しむ。そしてみんなで食事へ。もちろん、リャマ肉を食べに。コレストロール値ゼロのリャマ肉はとても健康的な食べ物。アスパラガスのスープとキヌアのスパイシースープもおいしい。食事後、再度仮眠。オルロ行きの電車は夜中1時22分発。この2分になんの意味があるのかは仲間内でも謎。2等車。座席はゆとりがあって、リクライニングもできて快適。揺れも少ない。夜だったから当然でもあるけれど、ほとんど何も見ないうちにいつの間にかオルロに着いていた。よく寝れた・・・というのが、ボリビア初の列車への唯一の感想。

 オルロに着いたのが午前9時。同期の家に荷物を置かせてもらって、少し散策。博物館がとてもおもしろい。祭りの仮面がたくさん。リャマのミイラ。動物園では、お菓子を持って入ったら放し飼いのリャマに追いかけられて、頭突きされる。大きいからちょっと怖い。お菓子をあげるのは諦めて、同期が襲われているのを見ていることにした。お昼にたっぷりの油で揚げたリャマ肉(かなり重たい・・・)を食べて、ラパス行きの4時発のラパス行きバスに乗り込んだ。カーニバルのときにゆっくり来れることを願って。

 これで旅の前半は終了。舞台は首都ラパスへ・・・

結構迫力です!

2011/01/21

ウユニ塩湖


Salar de Uyuni
  1月7日夕方、毛布をリュックにくくりつけ、ポトシ(Potosi)行きのバスに乗った。Samaの山を越えての10時間の旅。一時は120ボリ、倍に跳ね上がった運賃は今は元通り。今回の旅は8日10時半ウユニ発のツアーに参加、各自集合することとのみ決まっている。舗装されていない山道。前回よりは慣れたけれど、あまり眠れなかった。年末の騒ぎに伴うストレスがそこはかとなくつきまとって、すっきりしなかった新年。タリハの年末年始を味わえたのは良かったのだけど・・・。

 朝5時、無事ポトシ着。標高4000m。ちょっと階段を上るだけで息切れする。バスターミナルは新しくてきれい。聞いていた通り安全な印象。ウユニへのバスは昼くらいにでる。それまでポトシの町にいってみようと思ったけれど、眠い!ミクロもまだ動いていない。荷物を枕に毛布をかぶって、2時間ほど仮眠をとった。掃除をする女性の話し声に起こされ、Plaza Centralへの行き方を教えてもらってバスに乗ったちょうどその時、サンタクルス在住の同期のあきちゃんから電話があった。前日からポトシにいるとのこと。同僚がポトシ出身で彼女の家族が温泉に連れて行ってくれるから、来ないかとのお誘い。息子の誕生日におばあちゃんが作ったポトシ名物カラプルカ(Kalapurka)をいただいてから出発。熱くした火山の石が入れてあって、ぶくぶくお皿から飛び出る勢い。スパイシーでおいしい。
 
ポトシ名物カラプルカ



美しい火山湖
  
熱い!
  
温泉だけど水着ではいる、温泉プール。
  水着を持ってなくて残念ながら入れなかったけど、足湯をしながらおしゃべり。そのうちまたまた眠くなって、プールサイドでお昼寝。家に帰ってホットチョコレートをいただき、クリスマスのダンスを踊った。家族、親戚団欒の仲間にしてもらって心温まる時間になった。

 午後5時に到着したもう1人の同期と落ち合って、ポトシの町を少し散策した後、19時半発のバスに乗り込んだ。バスはSamaの山を上回るガタガタ道をすすんで、夜中1時半にウユニ到着。とってあったホテルですぐに休んだ。朝、しばらくシャワーは出来ないだろうとのことで、ゆっくり身支度。4人目の仲間と、日程は違うけれどラパスから同じくウユニに来ている同期2人を交えて朝食を食べる。やっぱりボリビアといえば、ウユニ!のよう。実際町は外国人だらけ。もちろん自分も外国人。
車はトヨタのLandcruser、これ以外ほとんどみかけない

 ツアーの仲間は私たち4人と1人旅のドイツ人、ブラジル人の6人。車に乗り込みいよいよウユニ塩湖に出発・・・と思いきや、まずは列車の墓場へ。ウユニへはボリビアでは珍しい電車が通っている。それに乗ってみたくて、帰りはウユニからオルロまで電車でいってラパス入りする予定にしている。この列車の墓場、なんか見覚えがある・・・と思う。

助手席に座って、ガイドのおじちゃんとおしゃべり。するとおじちゃん、ここで映画をとったことがあるという。ああ、と思う。「もしかして、パチャママの贈り物」(“El Regalo de Pachamama”)?」と聞くと、その通り。自分も出演していたという。そういえば映画のなかで主人公とその友達が列車の墓場で遊ぶシーンがあった・・・

「パチャママの贈り物」はもと松竹で助監督として働いていた松下俊文監督が拠点をニューヨークに移してから、撮った初監督作品。ウユニ塩湖で塩を切りだす仕事をする父親と少年。祖母の死後、少年は友人とともに、父親が塩をリャマの背にのせ、山間部に売りに行く3ヶ月に及ぶ塩キャラバンの旅に参加する。ポトシの銀山で働く友人の父親が亡くなっていたり、祭りの日に立ち寄った村で女の子と淡い恋をしたり・・・そしてリャマの背には塩に変わって様々な野菜が積まれていく。

京都での上映期間は一週間。日曜日の朝早くに京都シネマに行くと、来場者全員にQuínua(キヌア。南米アンデス原産の穀物)の贈り物。監督が舞台挨拶にきていて、なぜこの映画をとったのか(9.11との関係)、どのように出演者を選んだのか(出演者全員地元の人)・・・を語り、上映後には「ボリビアに行くんです」という話もした思い出がある。監督はいい奴だった、でも結婚してなかった、7年もいたんだ、恋人役の女の子にはもう子供がいる、塩のキャラバンの風習は今ではもうなくなってしまった・・・などなどおじちゃんの話は続く。
撮影した村はあっちのほうだ・・・

塩のホテルの前で
「ボリビアってどんな国なんだろう?」というかすかな不安を、こんなに素朴で美しいところに行けるのかという静かな期待にかえてくれた映画。ウユニにいるだけで不思議な感動があったけれど、さらに出演者に会えた。あの頃の心細いような、わくわくするような、なんともいえない気持ちを再び思い出しながら、目の前のあくまで白い世界に目をこらし、今ここにいる幸せを思った。

塩の切り出し場のへ寄ったあと、塩のホテルへ。映画の中で、父親と少年が切り出していた塩の塊りはこのホテルをたてるためのもの。さらに車を進めて、火山の爆発によってできた魚の島(Isla de Pescado)で不思議なサボテンをみる。魚の島では2007年、1203歳で一番年よりのサボテンが枯れた。続く長寿サボテンは900歳。無事1000歳を迎えてほしいと思う。後100年。気が遠くなりそうな時間。

魚の島の後、塩湖ほとりのalojamiento(宿)へ。と思ったら空きがない。ウユニ塩湖周辺の宿に電話はない。予約ができないのだ。ガイド歴30年、ウユニで一番古いガイドだというおじちゃん。さっと車の向きを変え、近くの町San Juanまでいくという。もとの道にもどる道程で沢山のランドクルーザーに出会う。そっちにいっても宿はないのに・・・。しだいに日はくれはじめる。道は今まで経験したことないほど悪い。ハンドルを握るおじちゃんの顔が緊張している。車がよいからある程度吸収してくれるものの、かなり揺れる。月がでて、一番星が輝き始める頃、宿についた。食糧はすべて車につんである。荷物をおろしたおじちゃんは宿の奥さんやおばあちゃんたちと食事の支度にかかる。その間、ブラジル人によるポルトガル講座があり、ドイツ人のお兄さんの旅話を聞く。優しい味のスープと、ソーセージ、玉ねぎ、ゆで卵メインのおいしいPique a lo Machoが準備されたのは夜10時。ウユニ塩湖での1日を最後に飾ったのは満点の星空だった。
La Isla de Pescado より望む塩湖

リャマが草をはむ・・・塩湖のほとり

2011/01/18

年末のカオス


25日朝、家の屋上より、Tarija市とSamaの山を望む。

イブの夜、プレゼントをあける!
クリスマスの伝統料理Picana




クリスマスの日のバーベキュー

待ちきれない!
 楽しいクリスマスが終わって、仕事納めをして、そろそろ旅行の準備を・・・という2010年年末26日、政府が突然ガソリンへの助成金打ち切りを発表。
それからのカオス・・・

ガソリンの価格がほぼ倍(種類によって50~80%)に跳ね上がり、交通機関そして商品の値段もそれにともなって高騰。政府が運賃の値上げを23%しか認めず、公共交通機関のストが発生。各地でデモや道路封鎖が行われ、私たちには旅行中止、自宅待機命令がでるほどに。そして2週間分の水・食糧の備蓄をすること、何かあった時に脱出できるように現金を引き出しておくこと・・・との伝達が。

中央から離れたタリハはchapacoのあまり怒らない鷹揚な性格?で、ミクロ(小型バス)が隊列を組んで時々クラクションを鳴らしつつも穏やかに連なって町中を練り走ったり、プラザから爆竹音が少し聞こえるくらい。テレビでみる首都ラパスやエルアルトのような、デモ隊と警官隊の衝突や商品の値上げをした店に投石をしたり、デモに参加しない運転手を殴ったり・・・ということはなく、至って静か。
 
朝オルガから「ガソリンが値上がりするわ。」と聞いたときは、まだ「?」、職場で「長距離バスがストに入るよ。」「ミクロが2.5ボり(それまで1.5ボリ)になってる。」と聞いたときは、「ウユニ塩湖への旅行はどうなるの?」「ポトシまでいけるかな?」。そしてウユニの玄関ポトシ行きの切符をみつめて、騒動がひどくならないことを願うこと2日。旅行中止命令にがっかりしたのでした。
 
けれど本当のことをいえば、私の旅行どころではない話。お金持ちはともかく、かつかつで日々の生活を送っている人々にこの突然の値上げは大打撃。先住民の支持を集めて当選したはずのモラレス大統領がなぜこんなことを?と疑問におもわなければならないところ。ボリビアのガソリン代は近隣諸国に比べて極端に安い。それは政府が原油を外国に売り、買い取ったガソリンに助成金をつけて安く市場に出回るようにしているから。けれど、これにつけこんで大勢の密輸業者がボリビアで安くガソリンを買い、アルゼンチンやブラジルで高く売るという事態が発生。これではなんのために助成金を出しているのかわからない!というわけで、打ち切りを決定したもの。ボリビア公営の石油会社の保護も目的としているらしいけれど、ボリビア国庫に助成金に割くだけお金がなくなっているという見方もあります。学校に通う子供達に教科書を買うようにと、Bono Juancito Pinto200ボリ(親がつかいこまないように、子供に直接!)が配られたのはついこの間。このばらまきにも大いに首をかしげたものだけれど・・・。お金を配るより、教科書を配布するほうがずっといいはず。けれども教科書を決めるのは今のボリビアでは各先生しだい。制度が整っていないのでした。いずれにせよ、このばらまきでもかなりのお金を使ったはず。

オルガと
12月31日大晦日の夜、公務員の給料UPなどで対処しようとしていた政府は、騒動の収拾がつかないとして大統領令にて助成金打ち切りを撤廃。何も解決にはなっていないけれど、騒ぎは一応収まったのでした・・・ ガソリンは段階的にあげていくとのこと。だったら最初からそうすればいいのに??
 
大統領の支持率低下は否めず、これからどうなるのか先行きは不透明。ボリビアの脆弱な政治体制を目の当たりにして、理想を追うことのむずかしさを実感しました。それでも、苦手な経済記事を読んで状況を把握しようとしたのは、やっぱりボリビアが好きになったからだなあと思ったのでした。


年末のペーニャにて。Los de Samaの歌と演奏。