2012/03/30

村のカーニバルと水かけ合戦!



オルロの華麗で壮大、人がたくさんで賑やかなカーニバルから一転、首都スクレから2時間。向かった小さな村モジェブンクは青い空と緑の丘に囲まれたひっそりとした村だった。

9人乗りミクロ、何人乗ってる?
迎えてくれたレイナは15歳の男の子を筆頭に5人の子供のお母さん。それでも私より若い。
ぎゅうぎゅう詰めのミクロに乗って到着した私たちに窯からパンをだして手渡した。
「焼き立てよ。」
炒めた玉ねぎの入った、暖かいパンは土の匂いがした。
素朴な味がしておいしかった。




村の出入り口、丘の一本道を見つめてレイナが言った。
「踊り子たちがついたわ。」
食事の後、子供達はせっせと水風船を作り始めた。カーニバルはまだ続行中だった。あんまり水を入れ過ぎず、小さく作るといいらしい。正確に投げられるし、あたると痛いから。
カーニバルの会場へ行こうと誘われる。
レイナの服を借りて、チョリ―タさんの格好をさせてもらう。
たくさんのヒダヒダがあるひざ丈スカート。
赤毛のアンのような三つ編みを結って。


村の学校の運動場にやぐらが組まれていた。
トウモロコシやソーダのボトル、ビールなどがつりさげられている。
てっぺんにはまるごとのヤギ肉。
水鉄砲をもった子供達がいっぱい。
櫓のまわりで踊る人達へ遠慮なく水風船がぶつけられる。
先ほど着いた踊り子さんたち。
これは職業なのかな。
そして始まった水かけ合戦。
レイナ家の子供と私たちVS村の子供と若者たち
大喜びで水風船を投げては逃げてくるレイナ。逞しいお母さん!
いくらチョリ―タさんの格好をしても、白くてひらべったい顔は目立つ。
油断するとびしゃっとぶつけられる。
どうぞとすすめられたおいしいスープを食べていたら、
ひゃっ!背中に水をいれられた。

よくわからないピンク色のお酒をふるまわれる。
チチャ?アルコール水?
全部飲まなきゃだめ、一気、一気とはやされるけど・・・
下戸の私にはとてもとても。
半分以上を大地の女神パチャママにささげて、なんとか盃をかえす。
標高3300m。移り変わりやすい山あいの天気。
小雨はやがてしとしとした雨に変わってぐんと気温が下がってくる。
体が冷えてきた。
一応戦闘態勢できたけれど、山の子供達には勝てない!
友人ともども1時間ほどで退散。
おかげでヤギの肉は食べ損ねた。

まだまだ続く宴にレイナの旦那さんとお目付け役の長男を残して、
夜、レイナと子供達と夕食づくり。
昼間作った白ご飯を作ってチャーハンにした。
はにかみのとれた子供達が風船を使って工作。
得意げに見せてくるそれを使って遊んだ。
その後、お買い物タイム。
レイナ、お父さん、従姉妹などなど一族の作った織物がベットに並べられた。
京都の寒い冬に床にひこうと深いオレンジに虹色のストライプのはいった大きなポンチョ
天然の染料でだした渋い赤色に細長く幾何学模様のはいったテーブルクロス
物語の織り込まれたタラブコ織は壁掛け用に
派手な縞模様のカバン、ハルカ織の小物入れ・・・
目移りしながら選んだ素敵な手作りの品々。
選ぶ私たちを静かに見守るレイナと子供たち。

翌日、村に着いた時と同じように空はきれいに晴れあがった。
レイナが木の棒やら糸やらを持ち出して何やら準備を始めた。そう、そもそもこの村にきたのは彼女に織物を習うため。この辺りならできると言われた小物の中から選んだつもりだけど、私が選んだベルトの柄は結構むずかしいものだったらしい。レイナは呼んできたお母さんと私そっちのけであれやこれや言いながらやり方を検討中。
その横でまちぼうけ。
通り過ぎるヤギを数え、
トウモロコシ畑で草を刈る男の子達に手を振り返し、
レイナに手ほどきをうけ、娘のリサンドラを先生として着々と織り進める友人を眺めながら。







織物体験中、昨日やってきた踊り子たちが再度やってきた。
村の家々をまわる。托鉢みたいなもの?
宗教と関わりはあるのかな?
レイナに誘われて私たちもそんな家の一つを訪れた。水をかけられ、風船をぶつけられる踊り子たち。前の日と同じ。笑っている人もいるけど、怒る人も嫌がる人もいる。そりゃそうだ。
これはなんなんだろう??

帰ってからスクレ出身の同僚に聞いてみた。
そしたらこのような小さな村の伝統だという。
この時期に若者たちはグループを作って村々を回り、
チャランゴやサンポーニャに合わせて踊る。ほとんどが学生だ。
いわば、カーニバルの景気づけ役。
確かにレイナ達も踊り子たちがやってきたと嬉しそうだった。
招いた村や家が旅の費用をもち、食事をふるまう。
若者が旅をする一つの方法だよと同僚は言った。

村の暮らし。
一言でいえば貧しい。
日干しレンガを積み上げて、漆喰を塗っただけの家。
屋根にはブルーシートがかぶせられ、その上に焼瓦を並べている。
仲間と卵どんを作った台所の床は土だ。
食堂は青空の下。
家族が住まうのは2部屋。大きな古いベットでみんな毛布にくるまって眠る。犬も、蚤もダニも一緒。
子供たちが来ている服には泥がこびりつき、穴があいている。


衛生的にも、教育面でも、プリミティブ。
それなのに、豊かさを感じるのはなんでだろう。
働き者のレイナ。そのお母さんをせっせと手伝う長女リサンドラを筆頭とした子供達。
小さい子もできることは自分でする。手の込んだおもちゃなんてないけど、色々工夫して遊ぶ。
もう一人前の男として扱われているのだろう長男は大人の宴にも参加する。
手の込んだ織物は一族で作る。
売るのも子供達が手伝う。
一所懸命に生きている。



お父さん製作中の大作
実際に織ることはなかったけど、織物を織るのがどれだけ大変な作業かがよくわかった。座ってみてるだけで背中が痛くなったもの。
それを見てしまっては値切ろうとしていた自分が恥ずかしくなる。お金なんかで、あがなっていいのかと思う。負けてもらって嬉しがっている自分。
せめて、正当な労働に正当な報酬を返したい。
では、正当な報酬とはなんだろう?
日本とボリビアでは貨幣の価値が違うから尚更ややこしい。彼らの仕事の価値を、どれだけ尊んでいるかを形にして表したい。その一つの方法として、「お金」を払うことがある。お金ってなんだろう。
それで計れるものはなんだろう。
今でもよくわからない。

日本語を話す私たちの会話にレイナが時々ナイスなタイミングではいりこんでくる。
まるで全て聞きとれているかのように。
彼らの第一母語であるケチュア語は日本語と似ているというから、そのせいだろうか。
でもきっとそれだけじゃない。
声の大きさ、調子、顔の表情。私たちの間に流れる雰囲気。
そんなものから、彼女はくみ取っているのだ。
私たちの疑問、不安、喜びと笑い。
それにきちんと反応してくる。

気持ちのやりとりがある。
ここへ私たちをつれてきてくれ、早朝スクレへ戻った同期とレイナの長きにわたる友情。レイナの子供達と屈託なく水風船作りをし、一緒にビデオを見、髪に編み込みをしてあげて、遊んだ同期たち。
今の社会、お金なくして語れない。
それでも、お金を介した人間関係の中にも確実にそれだけでは計れないものが存在する。
Confianza。
信頼とでも呼ぶべきもの。
損得だけじゃない。
たとえどんな利害関係の中にあったとしても、そんな相互の心のつながりに、以心伝心ぶりに、気づいて、認めて、大事にしたいと思った。