2010/10/30

オキナワ、そして帰宅




昼礼

 1週間 の旅の締めくくりは、コロニア・オキナワ。
サンファンと並ぶ日系移住地。
名前の通り、戦中・戦後ともに厳しい生活を強いられた沖縄の人々が夢をもって移住し、数々の水害に見舞われながらも、土地を耕し、道を作り、学校を建て、日本の伝統を守りつつもボリビアの風習を取り入れて暮らす街です。今回はここで日本語教師として活動する同期の案内で、オキナワ第一日ボ小学校を訪ねました。

 子供たちは午前中はボリビアの学校へ、午後ここにやってきます。学校に入ると、「こんにちは」と子供たちが次々と声をかけてきました。元気に、珍しげに、恥ずかしげに、それぞれのやり方で。もちろん日本語!
まずは職員室で挨拶をして、そして昼礼へ。私は1限め5年生、2限め見学、3限め4年生に話をすることに。子供に久しぶりに日本語で話をする、とのことでとても緊張しました。英語の授業や一緒にいった同期2人の授業の様子をみて、ちょっと落ち着いた3限めは、まだましだったかな。

子供達の日本語は個人差はあるけれど、きちんとしていて、サッカーが好きというボリビア化?した子たちに加えて、鶏が好き、蛇が好きという子もいて、逞しい。住んでいる町はどんなところ?なぜ英語の先生になったのですか?、ボリビアでは何をしているの?、好きな日本の食べ物は?子供たちからの質問に答えながら、環境の話もちょっとして、英語の歌をみんなで歌って。好きな曲はWaka Wakaといったら、ちょうど発表会に女の子たちが踊ったとのこと、最後に披露してくれました。

日ボ学校の先生達との夕食会

  この日は同じく同期でオキナワ在住の看護師さん宅にお世話になりました。家は診療所の敷地内にあって、たわわに実るマンゴーの木何本も!スール(南風、とはいっても南極からの風)が吹いて涼しくて気持ちよい晩、一緒の部屋に泊まったたかちゃんと夜遅くまで話し込んでしまいました。

 次の日、買い物がてら、村をぶらぶら。お土産をいくつか買ってから、オキナワボリビア歴史資料館を訪ねました。 「待ちに待ったボリビアへ。新天地に楽園を。昨夜南米移民発つ。」「今ぞいく戦後初の移民団。軍民あげて壮途を祝う。頼むぞ、高なる歓送マーチ。」
当時の新聞に書かれた言葉から、ボリビアへ出発する人々の期待と夢、晴れやかで誇らしげな顔が目に浮かぶようです。不安がないはずはないけれど、なんとかなる、なんとかしてやるという気概に満ちていたはず。着いたボリビアは聞かされていたような楽園ではなかったことを、資料館にかけられた年表や数々の写真が物語ります。けれども、オキナワの人々もまた、多くの移民と同様、自分たちの手で自分たちの楽園を作りだしたのだと思います。運動会や仮装大会、青空のもとでの紙芝居、そして日本語教室・・・これらを通して自らの文化を守りながら。二日間で何がみれたわけでもないけれど、笑顔やちょっとした心遣いに、オキナワの人々の穏やかさと余裕を感じました。

 これで総会とその後の日程が終わりです。よく香るマンゴーと新たな出会い、たくさんのアイディアを抱えて、サンタクルス・ヴィルヴィル空港に向かうタクシーに乗りました。



2010/10/28

アンボロ国立公園

 今日は何より楽しみにしていた、アンボロに出かける日。仲間と自然の中でゆったりする時間に加えて、エコツーリズムも体験できます。先住民がNGOの助けをかりて、自分たちの森の生態系を守りつつ、ツーリストを受け入れて、密林のガイドや生活文化の紹介で生計をたてていくEcoturismo Indigenaは駒ケ根でしたプレゼンのテーマの一つ。楽しみです。タクシーで数時間、ガイドのフリアン宅着。軽く朝食をとって、四駆に乗り換えていざ森へ。橋のない川を2つ渡り、がたがた揺れながら土の道を進みます。
 着いた先は小さな山小屋。ハンモックがつるしてあって感激。早速横になってしばし目をつぶると、聞きなれない鳥の声。やがて何やらいいにおいが。藁ぶき屋根の下では、食事を作ってくれるセニョーラの息子達が珍しげに見守っています。子供好きの仲間は早速折り紙を教えていました。

 ゆっくりと昼食をとってから、2時間離れた川へ泳ぎにいくことに。 水着に着替え、リュックをしょっていざ出発。フリアンが丁寧に森の木について説明してくれます。今は暑いからあまり動物はいないけど、といいながら色鮮やかな鳥に注意を向けてくれたり、アリクイの食事の後をみせてくれたり、ピューマの足跡を見せてくれたり。 登って、下って、また登って。日焼けと虫と枝の攻撃から守るために着ている長袖の下は汗びっしょり。
もうだめ、という頃視界が開けてきました。展望台に到着。さわやかな風がふきぬけます。あともう少し、の言葉を信じて歩くと川にでました。上は暖かく、下は冷たい川の水。ふわっと浮かぶと空を背景に木の枝がゆれているのが見えます。耳元では川の音。遠く仲間の声が聞こえます。とってもいい気持ちだったのに?その頃仲間はドザエモンだと騒いでいたのでした。失礼な☆

 夜は作ってもらったボリビア風パスタをいただき、いつものごとく、ギターに合わせて歌が始まります。踊る人もでてきて、キャンプのよう。ろうそくの明かりと蚊取り線香の煙のなか、夜はゆっくり更けていきました。明日に備えて寝ようと山小屋に登る坂道で葉切り蟻発見!初めてジャングルにいる実感がわきました。子供のころ見ていた番組のアマゾンの特集で徒党を組んで歩いては、横切る生き物全てを食べ尽くす軍隊蟻や、川に落ちた牛を骨だけにしてしまうピラニアの存在にわくわくしたものです。葉切り蟻もその番組で知った存在。私たちが陽気に騒いでいる間も元気にせっせっと働いていたのでした・・・この後さらなるハプニングもあり、にぎやかな夜となりました。
 翌日は3時間歩いてさらに森の奥に行きます。それでも目的地は川。泳ぐ!せっかくビキニ(!だけどこれしか売ってない)を買ったのだもの。そして暑い!前日よりさらに長く、険しい道程。同じく木々の間を登ったり下ったりして、着いた川沿いは石だらけ。飛び石は動くし滑るし一瞬も気がぬけません。そんな場所をフリアンの息子はサンダル履きで軽々。跳んで、滑って、よじ登って、川沿いを歩くこと1時間半。

着いた場所は秘境の雰囲気。
もちろん飛び込む人あり。
帰りもやっぱり同じ道とのこと、あの3時間を思うとあまりはしゃげないけど、私もちょっと泳いでみたくて水に入りました。
魚が足によってきてくすぐったい。結構大きい。
昨日よりずっと冷くて深い水。底も見えず、ちょっと怖いよう。足の下に何かいるような気がしてしまいます。

 帰り、フリアンがふと立ち止まって、あの洞窟に蝙蝠がいるかもしれない、見たいかと聞きます。もちろん見たい、と答えるとちょっと待てと言われ、偵察に行ってくれました。いました。さかさまにぶらさがって眠っています。暗がりでみるとちょっと人の顔みたいで怖い・・・でも格好はかわいい・・・
洞窟からの戻り、川を飛び石で渡るとき、とうとう落ちてしましました。落ちた私の後ろでフリアンは頭を抱えたとか。足場をずいぶん気にしてくれていたから。申し訳ない・・・でもこの後の道程で、仲間も次々脱落したのでした。

 ガイドのフリアンは安全面はもちろん、少しでも森らしい生き物が見られるようにと気を配り、また自然を汚さないためにシャンプーやせっけんは使わないことをツアー客にも求めるなど、しっかりしたツアーですばらしい2日間となりました。帰りの車はもちろん爆睡。





やっぱり日本食?


  サンタクルス2日目は健康診断。 左腕で採血をされた上、両肩にA型、B型肝炎の予防接種とトリプルパンチ。
レントゲンと診察の空き時間をぬって、タリハではお目にかかれない大きな大きなメルカドで買い物を楽しんだり、夜のバーベキューの買い出しをしたり(そう前回の企画を実行に移せるようサンタ在住の仲間が準備してくれていました!)。サンタクルスのメルカドはずらっと屋台が立ち並び(多分1000店以上あるはず!)、大勢の人たちが思い思いの物を求めて行き交い、アジアの雑多な雰囲気。そうこうするうちに、野焼きと山火事による煙で飛行機が飛ばなかったトリニダ組も到着。ボリビア流に豪快に牛肉やチョリソを焼きつつ、日本人らしく野菜もいっぱいで、Parilladaは文字通り飲んで歌ってとにぎやかでした。

各地から集まるプラスチック
3日目、午前中は環境教育の分科会。完成間近の環境教育テキストのこれからの広報について考えました。先生向けに使い方を実践でやってみながら説明するワークショップを盛り込んだフェリアを行おうと意見が一致しました。1人ではなかなかできないことを協力してやることが出来たら素敵です。そして昼休みにはサンタクルスのリサイクル工場を訪ねました。第4環状近くParque Industrialへ。環境教育の先輩隊員2人が同行してくれました。

最後はこんな形に
 工場はタリハのそれよりずっと大きく、全てのプラスチックをリサイクルすることができます。 案内してくれたグラディスのおかげで流れがよくわかりました。時間切れのため紙のリサイクル工場は見に行けなかったけど、大満足。これで、大体のリサイクルの流れを子供たちにも見せることができそです。

戻って昼食をとると、午後いっぱい安全対策会議、そして夜は懇親会です。場所はRestaurante Japonesa。おすしや唐揚げに加えて、なんと養鶏専門の方が新鮮な卵をもってきてくれて、大好きな卵かけご飯を食べることができました。幸せ!

 金曜日は午前中総会、午後から教育分科会。小学校の現職の先生たちを中心にボリビアの教育現場の問題について話がはずみました。専門家よりPROMECAとボリビアの教育の現状の説明があり、これも興味深いものでした。PROMECAは途上国にありがちな版書をひたすら写すという学習形式から脱却し、「子供が主役の学習」を目指すJICAのプログラム。あしかけ5年をかけてボリビアの小学校500校で展開されてきました。タリハにもPROMECAの入った学校があります。私が通うVICTORIAの学校は一度PROMECAが入ったものの校長の独断で、排除になったといういわくつき。エキストラの仕事を要求されるPROMECAの取り組みは学校によっては抵抗があったよう。それでも、本当に子供のためになるならと、積極的に取り組む学校も数多くあります。PROMECAは今年7月に終了しており、どのようにフォローアップしていくかは教育に関わるボランティアの課題でもあります。これからの活動計画を考える上でもとてもいい分科会でした。

 その後ホテルから荷物を移し、拠点は仲間の家に。夜はサッカー大会に参加。夕食にはサッカーに参加しなかった仲間がParilladaの残りの肉を使ってカレーを作ってくれていました。毎晩の日本食、このありがたさは簡単に日本食材が手に入ったモントリオールでは思いもよらなかったもの。
サンタクルスのブログの最後はいつも日本食で締めくくり。ボリビア料理、おいしいのだけど!

2010/10/23

総会前日、そして再会!

 10月12日、眠い目をこすりつつ荷造りし、ミクロに乗って空港へ。10月の一大イベント、隊員総会のため再びサンタクルスに出発です。

  前日はリサイクル業者のリカルドを訪ね、3年前に始めたばかりという工場を見せてもらいました。メルカドの近くにある店に届けられるプラスチックや紙はここに運ばれ、洗われ、圧縮する機械にかけられてサンタクルスやコチャバンバに送られますが、一部のプラスチックはここでリサイクルされています。洗われてきれいになったプラスチック製品を細かく砕き、溶かして型にはめて新しいボトルをつくっています。主に病院で使われる消毒液をいれる容器として使われているようです。生徒を連れてきてもいいかと聞くと、全然かまわないよという返答。 そんな機会が早く作れたらいいな。使っている機械はブラジル製。高価でなかなか手がでないけど、少しずつ増やして全ての製品をリサイクルできるようにしたいというリカルド。従業員も最近増やして11人になったとのこと。遠方へ送る手間が省ければより効率的にリサイクルができるはず。頑張ってほしい!

こんな機械にいれて

こんな型にいれて

こんなボトルができます!
 
 その足でタリハから車で15分ほどの小さな村Victoriaの学校へ出かけました。U.E Simón Bolívarの高等部で毎週月曜日の昼礼の後10分間掃除を始めることにしています。集まったゴミはできるだけ分別をしようとのことで、Karpil(フルーツ味のカルピスのようなもので、これが一番多い)の袋やペットボトルを始めとしたプラスチック、アルミ缶、ビン、紙、その他に分けてみることにしました。ある程度の量になったら、リサイクル業者が取りに行くと言ってくれています。たった10分の掃除でも、各自が持ってきたゴミを集めると大きな袋4杯分になりました。これを分別するのが大変。汚れているものも多くてほんとにリサイクルできるのか不安です。とはいえ、せっかく高等部4クラスで授業を使わせてもらってゴミの弊害と分別・リサイクルの話をしたところです。できることから始めようと!とスローガンを掲げたばかり。この試みが定着することを願っています。一週間留守にするので、ちょっと心配。協力してくれてる先生に後を託して、学校を後に。

   そして夜はもうひとつの学校“Jose Manuel Belgrano” の高等部で掃除時間導入に向けて親向けのワークショップを行いました。小学校での先生向け、親向け、子供たちむけのワークショップが終わって、いよいよ高等部で始めようというところ。その前の金曜日に行った高等部の先生向けのワークショップは先生達からEMATへの非難が相次いだりとあまり前向きなものでなく、どうなるかとはらはらしました。EMATのジョニーの辛抱づよい対応と、何か特別なことをしたわけではないものの私の外国人特権(笑顔とあやしいスペイン語と物珍しさ?)でなんとか最後には拍手をもらうことができました。でも先生の参加率は悪くて、高等部では困難が多そうです。

一生懸命聞いてくれた子供達ーBerglanoにて
 そして迎えた親向けワークショップ。こちらも最終的に賛同は得られましたが、「やりましょう」と快く了承してくれた小学校の保護者達とは反応が異なります。やりたい!と訪ねてきた小学校の校長と違って高等部の校長は、さほどやる気があるわけでもなく、また先生や保護者にあまり人望もないよう。校内あげての取り組みである以上、継続性からいってもイニシアティブをとる先生の存在は欠かせません。もう少し校長や先生達としっかり話をしてから始めないといけなかったな、急ぎ過ぎたなあと大反省。あまり間延びしてもとサンタ行きの前にやり終えようと無理をしたところもあったはず。
空港への道のりはそんなこんなを反芻しながらで、ちょっと後ろ髪ひかれるような気持ちになりました。

 そんな気分も空港でお土産屋さんを冷やかす頃にはすっかり旅モード。日本週間で何人かには会ったものの、同期と再会するのは3カ月ぶり。会えるのはほんとに楽しみです。同じタリハのちーちゃんとはしゃいでるうちに、経由地コチャバンバに到着しました。飛行機から降りて空港に入った途端、同期でスクレ(ボリビアの憲法上の首都)に住むけいちゃんが駆け寄ってきました。ドアから出てきたらすぐわかったそう。
抱き合って、再会を喜びました。

 着いてまずホテルで一休み。他の同期はまだ到着していません。この日は3人でタリハの知り合いがいた孤児院を訪ねることにしました。宮崎県のカトリック教会が援助する孤児院はこじんまりとした静かな建物。語学研修していたころ先生のテレサが高級コンドミニアムのすぐ後ろに貧しい人が行くメルカドがあると案内してくれた時、この辺りは孤児院がたくさんあると教えてくれた地域にありました。小さな日本人のシスターが建物を案内してる間にも、孤児院の子供たちが珍しそうに付いてきて、腕にぶら下がってきたりします。建物は最近、生活空間と学習空間に分けることができたそうで、寝室には小さなベットが並んでいました、その上にそれぞれのお気に入りなのだろうぬいくるみがおかれていて、少し切なくなりました。全て寄付で成り立っているとのことで、金銭面ではかなり厳しいとのこと。壁の絵や洗濯物干場一つにしても、シスター達やボリビア人スタッフの手作りで、少しずつよくしているそうです。


 この日はちょうど、ここの子供の1人の里親であるオランダ人親子が訪れていて、養子にした子供の写真を見せてくれました。国籍の違う子供を3人育てているとか。彼女たちの友人なのか、新しく引き取る予定の赤ちゃんを見に来ている人もいました。北米やヨーロッパによく見られるこの国も人種も異なる子供を養子するという行為にはいつも驚かされます。カナダ人の友人も子供は産みたくないけど、育てたいからadoptしたいと言っています。アジアの子供がいいなんて話を聞くたびに不思議な気持ちになったものです。子供をその文化圏から切り離すことは負担にもなり、またハイチ地震の折にも取り上げられたように人身売買の問題にもなるけれど、顔立ちの違う3人の子供が満面の笑みを浮かべてブランコで遊ぶ様子は心温まるものでした。人をありのまま受け入れるという行為に人種も民族も関係ないのでしょう。子供にとって愛された経験を持つことはやっぱり大事だと思います。全てがうまくいくとは限らないけれど、一つのチャンス。シスター達もきっとそんな気持ちで赤ちゃんを送り出しているのだろうと思いました。新しく引き取られる赤ちゃんが幸せでありますように。

 夜、サンタクルスに住む同期を交えて4人、日本料理屋さん「けんちゃん」で日本を出発して以来のラーメンをすすりながら、いろんな話をしました。


おいしかった!