2010/11/29

恐竜と秘境、村の生活

山の向こうは海だった・・・?

 11月22日午前4時起床。環境分科会のためスクレから3時間離れたPresto(プレスト)へ。朝食を食べてさらに3時間離れたArea Protegida Nacional EL PALMAR(エルパルマール自然保護地区)へ向かう。

 プレスト村を出ようとした途端、川の増水で足止め。そういえば昨日山のほうで稲光がしていた。進むべきか、退くべきか。15分待って、突破。運転手さん嬉しそう。がたがたの砂利道をひたすら進む。細い山道。睡魔が襲ってくるけど、なかなか寝れない・・・景色がすごい。アンデスの荒涼とした景色は見慣れたはずだけど、やっぱりすごい。


El Palmarとはヤシ林の意味。太古からのヤシの木や遺跡が残っているという。 こんなところにヤシの木が育っているとはとても信じられない。お尻が痛くなってからさらに長い時間がたった頃、緑が少しずつ増えてきた。やしの木、本当にあった。
昼過ぎ、エルパルマール村到着。
案内しくれるはずの人がいなくて、ミクロに同乗していた女性2人と運転手さんが近くの滝まで連れていってくれることに。アンボロの時と同じ。3人はサンダルですいすい。ココナッツを割ってくれたり、お腹にいいという植物を教えてくれたり親切だ。

恐竜が出ても全然おかしくない光景


お母さんの家に行くからと案内してくれたニコラーナ

緑がさらに濃くなってきた頃、目的地に到着。滝は水こそあまりなかったけれど、シダ植物が豊富、もこもこした苔がたくさん黄緑色に光っている。ふわふわのコケをなでると幸せな気分に。
日本の森のようだ。コダマがでてきそうな、もののけ姫の雰囲気。あの乾いた山々の合間になぜこのような場所があるのだろう。





 そして、エルパーマール村の子供達。見慣れない外国人を遠巻きに眺める。ちょっと近づこうとすると、クモの子を散らすようにわあっと逃げていく。ここの子供達はケチュア語を話す。唯一覚えていた”Imata kashanki?"("How are you?"のつもり)と言ってみる。大笑いされる。環境分科会一同、あれやこれやで子供達の心をつかむのに必死。最後には騎馬戦の騎馬まで登場。最終的に子供達の姿を撮ったデジカメを見せてあげることで、ようやく女の子達がそばによってきてくれた。やっぱり女の子は強い。好奇心旺盛。紙で鶴を折ってあげたら珍しそうに持って。何歳?何年生?名前は?と聞くと、11歳とか5年生とかはにかみながら答えてくれる。スペイン語は小学校に入って習うそう。


 遠く離れた小さな町だけれど、どこかのプロジェクトも入っているようで村のあちこちに水道の蛇口がある。途中でJICAの水プロジェクトの看板を見かけたから、それかもしれない。水はでない。雨がまだ降らないからだろう。珍しい自然への調査団もやってくるらしく、土壁の家々の間にしっかりした建物も。ソーラーパネルらしきものがついてる。どこかアンバランス。

 このような環境に優しい装置が村に入ってくるのはいいことのはず。それでも、なんだか心がついていかない気がして、不安になる。子供達は決して清潔とはいえず、彼らの暮らす土壁の家はシャーガス病をもたらすバルベイロ(サシガメ)の生息地。真水の安定した供給はどれだけ彼らの助けになっていることだろう。けれどこれから先自分たちの手で直すこともできない最新の機械がより深く彼らの生活に入ってくるとき、彼らのメンタリティーはどう変わるのだろう。

 翌日プレスト村での活動。
ゴミ拾いの後、子供たちとたくさん遊んだ。
お昼を一緒に食べようと誘われて、2年生の教室に入る。
食べるのは遠くの村に住む子たちなのだろうか。ゆでたマカロニにジャガイモ。美味しい。栄養は偏っている。お腹はふくれるけど。
少し大きな女の子が1人。明らかに2年生ではない。
「この子は全然しゃべれない。」他の子が言う。
ちょっとばかにしたように。
ケチュア語しか話せないのだ。学校に通いだしたのが遅すぎたのか、言語の習得が苦手なのか。わからないスペイン語の世界で毎日どんな思いだろう。 何度も言ってようやく、隣に座って食べ始めた。気弱そうな笑顔。この女の子のような子達に少しでも勇気をあげられたらと思う。

空手教室
  午後、空手教室。
大勢の子供達が集まる。
ちょっと空手らしいポーズを一緒に練習した。セバスティアンに見せたい。空手を習い始めたばかりのオルガの姉の孫だ。El Palmarの登り降りでの筋肉痛によくきいた。途中脱落。女の子達と手遊びをする。

見送ってくれたプレスト村の人懐っこい子供達

 スクレは世界最大規模の恐竜の足跡の化石が発見されたことでも知られている。エルパルマールへ出かけた後では、見に行きたくなった。
Parque Cretácico(恐竜の公園)には実物大の恐竜のレプリカ。結構迫力ある。
向かいの大きく山削り取った壁に点々と残る足跡みられる。遠くて双眼鏡を通さないとよく見えないけど、実際はかなり大きいことを博物館の模型が語っている。
何万年も前にはきっとエルパルマールのようなやしの木がたくさんあって、それよりも背の高い大きな恐竜たちがどしどし歩いていたのだ。不思議。
ここでも修学旅行生のグループ。サンタクルスから来ているらしい。
幼稚園児のグループも遠足に来ている。
空手隊員が大人気。何枚も何枚も一緒に写真をとる。

 スクレ名物のチョリソ、そしてもう一度para tiのチョコレートケーキを食べたら、午後4時。もうすぐバスの時間。
タリハへの帰りのバスは一番前の席。広くて眺めがよい特等席。事故があれば一番危ない席・・・
実際ポトシの少し手前、横転したバスに出会った。乗客達は携帯片手に写真をとっていて元気そうだったけど。Expreso Tarija (私の乗っていたバス会社)か!?と車内は一瞬騒然となったのだった・・・

スクレ ー プレスト ー エルパルマール。
都市部と農村部の生活の違いをまざまざと感じた旅になった。

2010/11/28

タラブコの織物

 スクレ2日目は土曜日。ゆっくりし過ぎた朝。
慌ててまずはクリスマスの買い物。ボリビアのお店は土曜の午後と日曜日はほぼお休みになります。ヨーロッパなんかでも多いけれど、やっぱりカトリックの影響なのでしょう。ショッピングがしたければ、朝早く動かないとだめなのです。

 日本は冬。アルパカ製品を売るおしゃれな店で家族へクリスマスプレゼントを選びます。。セーターにマフラー、肌触りがよくて暖かく、デザインも素敵。目移りします。2軒めはフェアトレードの店。売上の8割は製品を作った女性へいきます。ここでリャマのかわいいぬいぐるみ発見!自分用に紫のポンチョを買いました。これから益々暑くなるんだけどあまりに気持ちよくて・・・。そうこうするうちに12時を過ぎてタイムリミット。久しぶりに買い物欲に火がついて、女のコらしい過ごし方に。知る人ぞ知る?ボリビア珈琲と一緒に贈り物を詰めました。ずっと気になっていた事を一つ完了。

 午後はLa Casa de Libertad(自由の家)へ。1825年ここでボリビア独立の調印が行われた由緒ある建物です。その数年後ボリビア初代大統領にちなんで、この町はスクレの名前を得ました。ここでなんとタリハから修学旅行に来ている高校生のグループに会いました。私の行っている高校の生徒達はサンタクルスにいっているはずです。


   スクレと言えばチョコ。老舗para ti(君のため)のお店でチョコレートケーキをいただいて休憩。おいしすぎる! その後タラブコ織物の博物館へ行きました。この美しい織物を織るのに6ヶ月かかるそうです。 織物は物語を織り込んだりして模様が複雑なものほど手がかかり、値段も高くなるそう。

 翌日はバスで1時間半かけてタラブコ(Tarabuco)へ。織物と伝統衣装と祭りで有名な村。日曜日だけの市は多くの売り子、観光客で賑わう。
 けいちゃんがしばらく会ってないと心配していた織物師のおじさんに無事再会。ここで80年前にお母さんが織ったもので、今は自分では織れない柄だという織物が。きれいな色合いでとうとう購入してしましました。清水の舞台から飛び降りる気持ち。あまり手放したくなさそうなおじさん。大事にします。

 従姉と一緒にお母さんの作った小物を売って歩く子に出会いました。恥ずかしそうにどこから来たのと聞きます。ベルトを一つもらいました。タラブコの人たちは勝手に写真を撮られることを嫌がります。それでここでの写真はとても少ないのだけど、この子とはその後もあまりにしょっ中会うので、一緒に写る?と聞いたらこくんと頷いてくれました。

 タラブコから戻った夕方、スクレの高台にあるIglesia de La Recoletaを目指し坂道を登りました。標高2750mにあるスクレ。慣れていないと息切れします。運動不足だけどさすがにここまで弱くはないはず!標高のせい、標高のせい。
修道院はしまっていたけど、展望台からの眺めは最高でした。かわいらしいカフェもあります。スクレは世界遺産にも登録されている町。条例で白く塗ることを定められている壁とオレンジ色の瓦がマッチし、ゆるやかな丘に作られた町並みは電気の明かりさえなければ中世の街そのもの。
夜景を見ながら夕飯を食べて、たくさんおしゃべりをしました。人との接し方、特に子供たちへの接し方が本当に素敵で、見習うことの多い友人。3日間お世話になりました。

白い都スクレ


 11月18日木曜日の夜、12時間離れた憲法上の首都スクレ(Sucre)へ向かうため、ボリビアでは初めて長距離バスに乗りました。
昔同じく1人で乗った、メキシコの港町タンピコ(Tampico)からメキシコシティー(Mexico D.F)へ戻る夜行バスが突然止められて銃で武装した兵士が乗り込んできた時のこと、バスターミナルで荷物を持っていかれそうになったことを思い出して、ちょっと緊張しながら。(あまり長続きはしなかったけれど。)

 朝6時半、スクレ着。ボリビアの長距離バスの旅行では必須の毛布(高地・低地、朝・晩で気温の異なる土地柄。旅するボリビア人はみんな持ってます!)を抱えて立った私の足には靴が片方だけ。隣に座って仲良くなった大学生シルビアーナと必死に探した靴の行方は、「そういえば、ポトシでテニス靴が片方転がり落ちたわよ。」のセニョーラの一言で解決したのでした。通路に転がった靴は途中の鉱山の町ポトシ(Potosi)で降りる人々に蹴飛ばされて、蹴飛ばされて・・・
Chaguayaへの巡礼の旅に行くために買った新しい靴。
きっとポトシの野良犬のおもちゃになってるでしょう。
教訓:長距離バスで脱いだ靴はきちんとリュックにくくりつけておくこと!
  
 タクシーに乗ってスクレ滞在中泊めてもらう同期けいちゃんのアパートへ。朝早いにもかかわらず、朝食を用意して待っていてくれました。
午後はけいちゃんの活動先の小学校へ。
バスを待つ子供たちとけいちゃん
 ボリビアの小学校は年度末。
評価、成績つけで忙しい時期。
修学旅行生が闊歩し、1年の集大成を発表するためのフェリアが町のあちこちで見られます。小学校から留年があるボリビアでは子供達にとって大きな別れ道となる時期でもあります。様々な家庭的、経済的事情から必ずしも全ての子供達が勉強に勤しめる環境にあるわけではありません。

この日は2年生の遠足に一緒に付いていくことに。行き先はスペイン統治時代の城Castillo de la Glorieta。ミクロで20分くらい。保護者も4人くらい引率に加わっています。子供達は大はしゃぎ。けいちゃんによるとサンドラ・ブロック似で美人の担任の先生は勤務先でも人一倍熱心で、向上心のある先生。子供たちも伸び伸びしつつ、しっかり先生の言うことを聞いています。

お城を案内してくれるお兄さんの話を神妙に聞きながら見学した後は、広い庭でサンドウィッチのお弁当を広げ、食べ終わった子からお姫様の為につくられたというミニチュアの家で遊んだり、水のない噴水跡でサッカーに興じたり。日本の子供もボリビアの子供もこんなところは少しもかわりません。タリハではこんなに長く子供と一緒に過ごしたことはなくて、1人1人の性格がちょっと掴めて楽しい時間になりました。
 
 この学校でおもしろかったのは、1年生の小さな男の子に"Dos KEIKO??"(「けいこが二人?」)と目をまんまるにして見比べられたこと。素直な反応がかわいい。

学校では妹・弟の世話をするお兄ちゃん・お姉ちゃんの存在はもちろん、遠足中や教室でも子供同士で食べ物を分けあったり、先生や私たちにも水を進めてきたりと、ごく当たり前にお互いを気遣う姿がみられます。日本だったらここまで自然にこういう行動をとれる子供は少ないかもしれないと、帰り途けいちゃんとそんな話をしました。
 
 そしてちょっと楽しい後日談。スクレから戻った日、お昼休みにタリハの町を歩いていると、名前を呼ばれました。振り返るとダンスの発表でもあったのか青と金のスーツに同色のメキシコ風の帽子できめた男の子。「スクレにいる妹(姉?)が会ったっていってたよ!」ですって。なんて狭い世界!名前を聞き忘れてしまったけれど、とっても礼儀正しい男の子でした。

少し離れて立っていた東屋。Lord of the Ringsを思わせて。

2010/11/14

バイオリンとダンス

 
 ボリビアへ来て5ヶ月、ブログを始めて5ヶ月。昔の友人、お茶仲間、前の職場の同僚、駒ケ根やボリビアの同期からちょこっとくる、読んでいるよのメッセージは思わぬ喜びを与えてくれています。自分のためだけのジャーナルとは違い、読んでもらうことを意識するブログはまた違ったものの見方を与えてくれる気がします。なかなか返信できないメールの変わりに、そしていつかこの記録を読み返す時に意味のあるものになりますように。

 ジャーナルもそうだけれど、旅行の記録がどうしても多くなりがちです。もうボリビア生活の大半はタリハでのものなのに、サンタクルスの記録の方が多いのはそのせい。それだけタリハが生活の場になっているということだけれど、当初の新鮮な気持ちを忘れかけているのかもしれないと反省も。

ある朝の通勤風景
 タリハでの普段の一日。7時起床。7時45分歩いて15分の職場へ。8時~12時まで職場。12時過ぎ家へもどって昼食。途中でメルカドによって買い物をすることも。14時半~18時半まで再度職場。SEDUCAで一日過ごすこともあれば、午前中もしくは午後だけ学校やEMATへ打ち合わせや授業見学、時には生徒に話をしに出かけたりすることもあれば、一日田舎の学校で過ごしたりすることも。そして、夜はバイオリンとダンスのクラスへ。週3回。何もない夜はオルガとおしゃべりしたり、孫娘マリア・リリアと遊んだり。テレビを見て、メールをして、本を読んで。週末はオルガの家族と過ごしたり、踊りにいったりしています。EMATの人たちに誘われて近くの川の掃除をしたり、バスで3時間の町Entre Riosへお祭りを見に行ったことも。

Entre Rios 伝統衣装Tipoiを着た人々
 
いざ戦いへ 馬が素敵!

オルガの妹の家で豚をつぶした日

何一つ無駄にしない

 なかでも大きなウエイトをしめるのが、バイオリンとダンス。
 もともとボリビアに行くならチャランゴ(Charango)をやりたい、と漠然と思っていました。それしか知らなかったというのもあるけれど、チャランゴはアルマジロの甲羅でつくられることもあるいかにもボリビアらしい楽器。日本人のチャランゴ奏者が活躍するLos Kjarkasの哀愁を帯びた音楽への憧れもあって☆ところが、タリハに着いてチャランゴというと、皆口を揃えてそれはあっち(北部、ラパス周辺)のもの、タリハはギターかバイオリン!といいます。アルゼンチン国境に近いタリハのフォルクローレはアルゼンチン舞曲と似通っているよう。

 バイオリンという選択肢は思いがけぬものでした。大好きなバッハを聞くたびに弾けたらいいなと思い、なぜか心を捉えるアイルランド音楽でもバイオリンは大事な楽器。モントリオールのアイリッシュ・パブで聞いたセッションは自由で楽しげで、そしてどこか郷愁を誘う忘れられないもの。あの音色を奏でられたらと何度も思いました。それでもどこか敷居が高かったバイオリンをここで習うことになるとは。Santa Anitaではじめてこの優美な楽器を手にしたときはとても幸せでした。

Tarija市内中心部にあるLa Escuela de Bellas Artes。
バイオリン(クラシックからフォルクローレまで)、ギター、Chunchoで鳴り響くカーニャ(Caña)などの楽器のほか、歌や踊りや絵画美術も学べる芸術学校です。
まずは弓の持ち方、音の出し方などの基本から。
NHK交響楽団のコンサートマスターを務めた父を持ち、弟もバイオリニストである黒柳徹子が言っていた言葉が今はよくわかります。一度だけバイオリンを始めたけれど、耳元であまりにキーキーうるさいからすぐやめました、というもの。たしかに、耳に一番近い楽器・・・そしてきれいな音を出すのはなんて難しいこと!

それでも、初めてタリハの代表的フォルクローレ、チャカレラ(Chakarera)が弾けた日は大感激。
チャカレラは6/8拍子、アルゼンチン北西部サンティアゴからグラン・チャコ(Gran Chaco)地方中心に盛んな、リズミカルなギターとのびやかな歌声にバイオリンを加えた陽気で軽快な音楽。もともとは牛や馬の世話をする牧童たちから生まれた音楽です。
曲名はEl Tio Pala。
Chakarera

 この頃ほぼ同時期に始めた踊りもなんとか形に。一番始めに習った踊りもチャカレラです。両手をまっすぐに開いて上に掲げ、男性は乗馬靴を地面に叩きつけるように踏むzapateoを織り交ぜて、女性は広げれば腰を中心に扇形にふわりと広がる長いスカートをひらめかせながら、踊ります。男性はもちろんのこと、その優雅な装いから想像できないけれど、女性の踊りもかなり力強いものです。
 
力強く勇壮なzapateo

ボリビア初高校総体、タリハ県開会式にて

 チャカレラとの出会いはまた思いもかけぬ形で自分を見直すことにもなりました。最初に入っていた踊りのグループはかなり本格的なもので、月1度はテストがあり進度もかなり早い。チャカレラ、高地の黒人の踊りサヤ(Saya)、カポラレス(Caporales)と次々と新しい踊りが始まります。最初のチャカレラのテストで先生に言われたのが「弱い」という言葉でした。見ていた知り合いが「踊りには人柄がでる。あなたの踊りは柔らかくなめらかできれいよ。」とちょっぴり慰めてくれました。

 人の性格には誰にでも強いところと弱いところがあるもの。強い部分が強くなり過ぎないようにしつつ、弱い部分に働きかけてバランスをとり、人としてできるだけ理想の形に近づくことがこの世における生の役割だと思います。芸術のすばらしいところはそのように自らの深部へより近づきなんらかの作用を与えながら、世界との繋がりをつむぎだすことにあるでしょう。私の場合は身体的柔軟性はさておき、頭でっかちで考えすぎる側面、統率力やカリスマ性など課題は沢山。内に沈みがちな自己を踊りや音楽を通して、少しずつ解放していけたら素敵です。何より今バイオリンもダンスも楽しいのです。音が動きに、動きが音に。そして共に弾き、踊る仲間と音が、動きが合ってくる喜びを感じています。

レストランTentaguasu、Peña におけるバイオリン奏者


2010/11/02

死者の日

 Dia de los Muertos. 11月2日は死者の日。祝日。

 1日には諸聖人が、2日は故人が現世を訪れる、カトリックの祝祭。前日夜から家族や友人達が集い、亡き人の思い出を語り合います。
オルガは金曜日からエルヴィラの家に詰めて、パンを作っています。タリハでは各家庭でTurcoという故人を模した人形や登ってこれるよう梯子をかたどったパンを始め、故人の好きだったものを全てテーブルに並べます。聖霊となった故人は家族はじめ関わりのある家を訪ねてまわり、また天上における友人を招待しあうとのことで、たくさんのご馳走が用意されます。

VickyとNegrito
 パンを作りにくる?と言われていながら、風邪ぎみで起きれなかった週末。ラパスから突然友人が訪ねてきました。世界一周旅行中の友達がタリハのワイナリーに行きたがってると。駒ケ根の友人に紹介されてはいたものの、会ったのは総会が初めて。それなのに、あまりにも好みの傾向が似ていて、ずいぶん前の友人のような気がしていた人でした。彼女の友達もまた同じ嗜好をもつ人。バイオダイナミック農法、オーガニック・ワイン、星野道夫、地球交響曲・・・話はつきず。掃除やリサイクル、大事なことだけれど、どこか自分のしたかったこととずれてきている気がしてならなかった活動に新たな方向性を与えてくれました。


dwende




Uvas


ぶどう畑
 
 慌ただしく友人たちが去った夜、オルガとともにcementerioへ。国民の95%以上がカトリックであるボリビアでは土葬が一般的。と考えるとちょっと怖い気もするけれど、薔薇や花輪で華やかに飾り付けられ、明かりを灯したお墓はとても美しい。1日は夜中12時まで墓で過ごすのが慣習とのこと、多くの人が椅子を持ち込んだり、墓の縁に腰かけて話しこんでいる。今年は見れなかった大文字の送り火。お盆のお墓参りのかわりに私も手をあわせました。

夜のcementerioは人でいっぱい

お墓のマンション?それぞれの窓に生花が飾られる