2011/10/31

ミミズコンポストとアララチ自然保護区




 9月~10月はタリハに腰を落ち着けて、学校をまわる日々が続きました。評価、試験、補習が始まる11月に入ると、学校での仕事は難しくなります。12月の学年末と卒業式にむけて先生達は大忙しになるのです。新しい学校でリサイクルのシステムを作る活動を続ける傍ら、以前から働き始めた学校ではコンポスト作りを継続します。寒さであまり変化がなかったコンポストも、冬休みがあけて暖かさを増すにつれて活発に分解が進み始めました。

 コンポスト作りは生物の授業を使って行うので対象は日本でいう中学生から高校生。学校、学年、クラスによって反応は様々でしたが、コンポストに使うミミズを実際に観察しながら生態を学ぶ授業はどの生徒も大喜びでした。この授業に向けた準備のおかげで私もミミズについてちょっと詳しくなりました。雌雄同体であることや皮膚で呼吸すること、心臓は5つのパーツに分かれていること、小さな脳とながーい腸をもっていること、環帯と呼ばれる白い輪の部分で生殖活動を行うこと、だから環帯は大人のミミズの証であることなどなど。コンポストにはカリフォルニアミミズ(日本で使われているシマミミズとたぶん同じ)という生ごみを食べる種類を使います。糞に含まれるミネラルによってコンポストの質があがるのです。





 コンポストを作るのは初めて。ネットとボリビアで手に入れた冊子を見ながらこわごわと始めました。材料もそろわずコンポストの寝床も写真の通り。それでも最初に始めた学校ではこげ茶色のほくほくした土ができ始めました。生徒たちは週に1度の生物の時間に混ぜ返しを行い、新たな生ごみを足し、水を撒きます。夏になり、温度があがると週2度水を撒いて、湿り気を保つようにしました。ミミズはどんどん増え、黒々と大きく太ってきています。黄色がかった透明の卵、小さくて白い赤ちゃんミミズやピンクがかった子供ミミズもたくさんいます。興味を持つ生徒ももたない生徒もいるけれど、変化をみるとやはり嬉しそう。近くにあるたくさんある鳩の糞を入れてやってみたらどうだろうと実験用に小さな寝床を作ったのはやんちゃな男の子たちです。出来あがったコンポストは庭の植木にあげたりしていますが、来年は畑を作って野菜を作ろうと話しています。
 
 そんなある金曜日の夜、Escuela de Convenio(カトリック教会の援助を受けている公立の学校)のダンスのプレゼンテーションがありました。通っている学校の1つ、U.E Teresa de Calcuta(マザー・テレサ学校)の先生達と練習していたMexicana(メヒカーナ)というメキシコの踊りを踊りました。先生たちだけではなく、学校を代表して子供や生徒たちも踊ります。6時に開始の予定がようやく7時半ころに始まるという相変わらずのタリハらしさ。創立記念日、母の日、先生の日・・・生徒たちによるボリビア各地のダンスは見慣れてきてもいたし、あまりにも回数が多すぎる上、練習と称して授業がカットされ、ただでさえ午前又は午後のみと授業時間数の少ないボリビアの学校、首を傾げることもありました。ボリビアの子供達の学習時間の少なさは相当なものです。それでも、初めて公に参加したダンス大会。見るだけとは違った楽しさです。メヒカーナはゆっくりした動きの踊りで難しくはないけれど、さすがに緊張。結局全員そろって練習することがなかったから多少?ずれはあったものの、最後まで踊りきって会場から拍手をもらった時はほっとしたのでした。揃えた衣装もフクシア色の長いドレス。着ているだけで楽しい気分になりました。


 そして10月23日、U.E Nazalia Ignacia March(ナザリア・イグナシア・マーチ校)の最終学年、日本でいう高校3年生のクラスを自然保護区へ連れていきました。アルゼンチンとの国境、Belmejo(ベルメホ)への道の途中にあるReserva Natural de Alarachi(アララチ自然保護区)です。サマの自然保護区の職員の仕事について行かせてもらって下見したり、Alarachiの自然保護区を担当するNGO、PROMETAと打ち合わせを進めて、今年中に一度はどこかの学校でやりたいと思っていたけれど、デモや行事で授業時間を削られなかなか実現しなかった体験学習。雨季がはじまったばかりでまだ緑が少なく乾燥したサマより、標高が低く湿度の高いアララチの森が生物の先生の興味をひいて、今回連れて行くことになりました。

 人間の活動が自然に及ぼす影響を考える事前学習をした週末日曜日、Mercado Campesino(メルカド・カンぺシ―ノ)前に集合。集合時間は8時。全員集まったのは8時半。まずまずの出だしです。21人と少人数で仲の良いクラス、一緒に働く2人の生物の先生が引率です。今回、PROMETAとの書類のやりとりやガイドの手配は私がしたけれど、バスの手配をしてくれたのはクラスの男の子たち。学校のない午前中は仕事をして家族の手助けをするボリビアの生徒には社会性があり、思わぬ大人っぽさを見せてくれます。少々ガタのきたミニバスはとてもゆっくりで、ガイドが待っていてくれるはずの小さな村Mamora(マモラ)に到着したのは予定時間を30分以上過ぎた10時半過ぎ。ガイドにもPROMETAの友人にも電話はつながらず、暇げにたたずむ警官は親切だったけれどガイドは知らないとのことで、ミニバスで少し先にあるという保護区の入り口へいってみることにしました。ところがここにも誰もおらず。なんだか嫌な予感・・・。ここまで来ると電話の電波も入らず、お手上げとなりました。保護区の看板からおそらくここだろうと見当をつけて草木の中に入ってみるも地図もなく、引率3人でさてどうしようかと顔を見合わせました。

 それでも少し歩くと水の流れる音が聞こえてきて、川が近いことがわかりました。確か滝があったはずと、川の上流へ向かって30分ほど歩きました(でも、なかった・・・)。石だらけの川沿いをキャーキャーいいながら歩き、川べりでお昼御飯としました。男の子たちが川で泳ぎたがるので、少々心配だったものの許可。早い流れにのって楽しげに遊んでいます。残った生徒たちと写真をとったり、歌を歌ったりして過ごし、川遊びをする男の子の服を女の子が奪いにいったりして(水着はもってきていない・・・)それなりに楽しんではいるものの、さすがにこれだけで帰るわけにはいきません。せっかくお金を出し合ってバスをチャーターしてきたのに、いくらなんでも悲しすぎます。とはいってもガイドをする知識など私にあろうはずもないし、いくら生物の先生でもそれは無理。少々焦ってきた3人。

 
 一度ミニバスへ戻ろうと生徒たちを行かせた直後、男性が1人斜面を降りてくるのが見えました。もしや!と思ったら、ガイドさんでした!マモラで待っていたけれど、来ないから一度保護区へいってみた、それでもいないから、ここへ戻ってきたらミニバスがあったからずっと探していたんだとのこと。そう、実は川べりへ向かっていた時、人の叫び声を聞いた気がしたのでした。一回きりでとぎれたので、気のせいかと思ったのですが、きっと彼だったのでしょう。アルゼンチン人だという男前のガイドさんが天使に見えたのでした。時間は14時。今からでも行けるかと聞くところ構わないとのこと。保護区は実はもう少し先だとのことでバスに乗り込んできたガイドと共に向かいます。途中3つの真っ暗なトンネルを通ると生徒たちは歓声を上げて大はしゃぎ。ちょっと退屈してきたところだったのでと、ガイドさんに言い訳しつつ、彼に会えた安堵感で私たちの気持ちも高揚。


 
 そして連れて行かれたのは熱帯の森。タリハからベルメホへ向かう道は次第に緑が増して日本の景色に似てきます。茶色い禿山から木々に覆われた緑の山へと変わってくるといつも心が浮き立つ思いがしました。その幹線道路からほんの少し中へ入っただけなのに、保護区内の森へ入った途端の気温の変化は劇的でした。湿度がぐんとあがって暑くなります。最初にいた川べりでは寒かったくらいなのに、散策道を少し歩くと汗びっしょり。咲く花々も赤や黄色の原色で派手です。木を切り、道路を通すことでここの気候はかなり変わったことでしょう。木々にまきつく蔓は丈夫だからのぼってみろというガイドの言葉に男の子たちはターザンごっこ。ぶんたんに似た木の実を食べてみるように差し出すガイド。ゴムの木の幹を削って白い汁を出してみせます。つられて華やかな花を折ってしまった女の子。嬉しそうだったけれど、さすがにこれは注意。本来自然保護区ならばそこにあるものを傷つけてはならないけれど、五感を使って自然を体感するのも大切。迷うところだけれど訪れる人間皆がこんなことをしていたら保護区の意味がありません。ガイドの教育はどうしているのだろうと気になりました。


 たった1時間ちょっと(ミニバスではかなり時間かかったけど)下っただけなのに、タリハとは全く異なった気候。ボリビアの豊かさにまた触れた思いでした。滅多にタリハをでることのない生徒たちがはしゃぐのも当然です。帰りはさすがに疲れて眠りこむ生徒たち。それを見ながらやっぱり連れてきてよかった、ガイドに会えて良かった(!)と2人の先生と大満足したのでした。手順を聞いただけなのと、一度経験するのとでは大違い。次回連れて行く時に必要な事柄も、事前・事後学習に盛り込みたい内容もわかってきました。実際ゴミについてはプロジェクトの威力(?)もあって、生徒たちは袋につめたゴミを自慢げに見せ、バナナの皮1つ残すことなく川辺及び保護区を後にしたのでした。12月に卒業するこの子たちと会う機会はもう数少ないけれど、初めて企画して出かけた彼らとの体験学習をきっと忘れないでしょう。そして彼らにとっても東洋から来た外国人との遠出はまた格別だったようで、国際親善(?)にも貢献したのでした。11月には卒業旅行でラパスに行くと言う彼ら。GripeH1N1(インフルエンザ)がはやりだして、学校単位の旅行が禁止になったともいわれているのでちょっと心配です。無事に行けるといいなと思います。18時にはもどっている予定がタリハに到着したのは20時。保護者に何か言われたら携帯に電話しなさいと引率の先生たちが言っています。途中家の近くでバスを降ろしてもらって、3匹のノミをお伴に、気持ち良い疲れを感じながら帰ったのでした。(1匹はシャワーをしたその翌日発見!どこにいたの??)



2011/10/11

TIPNIS ~先住民による大規模なデモ~

 9月26日月曜日、電話による連絡網で28日から行われる予定だった健康診断、安全対策会議、総会が延期、もしくは中止になる旨が通達されました。総会ではサンタクルス市民に向けたフェリアを開催予定で、そのための準備を長くしてきたこと、仲間と会う機会を楽しみにしていたこと、と二重にがっかりだったのですが、タリハにいるとそれほど実感はないものの事態は深刻です。

 政府がベニ(サン・イグナシオ・モホス)とコチャバンバ(ビジャ・トゥナリ)間に通そうとしている道路がイシボロ・セクレ先住民族テリトリー自然保護区、TIPNIS(Territorio Indígena y Parque Nacional Isiboro Secure)を横断することに反対し、先住民グループがデモ行進をし始めたのが8月。TIPNISの人々が自分たちの生活を守ろうと立ちあがったのを他の先住民たちが応援し、さらにそれをサポートとする学生、市民団体、NGOが加わって大規模なものになりつつありました。9月25日、この先住民の行進がTIPINISからラパスへ向かう途中にあるヤクモ(Yacumo)という町に到着した時、警官隊が介入し、催涙ガスなどを使用して死者、けが人、そして大勢の逮捕者がでました。行進には家族連れも多く、子供が亡くなったという話も伝わっています。ヤクモの町は行進に反対しており、この介入は先住民のグループとヤクモの人々との争いを避けるためだったと言われていますが、これにより多くの人々の同情が先住民グループに集まり、26日全国的なデモが行われたのです。総会開催予定地のサンタクルスのプラザでも大勢の人々が集まったとのことで、中央から離れ常に穏やかなタリハでも学校が休校、先生達も大勢デモに参加しました。

 この事態を受けての一連の会合の延期または中止の連絡です。実際26日の昼間、テレビを見ていると騒然とした現場の様子が伝わり、本当に事態が悪くなってボランティア全員引き揚げ・・・という状況にもでもなったらどうしようという思いがちらりと頭を横切ったくらいだったので、その後まわってきた電話の内容に、がっかりはしたもののある程度覚悟はできていました。そしてその夜。大家さんオルガと一緒に見ていたニュースで、モラレス大統領が道路建設の中止を宣言しました・・・・この宣言がまた唐突。全国規模のデモに根負けしてのその場しのぎという事情が丸わかりで、年末年始にかけてのガソリン値上げ問題Gasolinasoを彷彿とさせ、モラレス大統領の評価は(私の中で)地に落ちたのでした・・・。

 このTIPNISの話はデモ行進が始まった頃に前後してよく話題に上っていたし、友人の中にはこのデモ行進に参加するためにベニまで出かけた人もいます。オルガともよくニュースの話をしていました。それでもはっきりしなかったのが、TIPNISの人々の生活を保障し、道路の建設がもたらす利点を伝え、自然をなるべく損なうことなく道路を通す道はなかったのかということです。事態がここまで大きくなる前になぜきちんと話をしなかったのだろうと不思議でした。道路が通される予定地には50家族ほど、それほど多くの先住民が住んでいるわけではないと同僚は言います。それでも時間がたつにつれ、少しずつこのTIPNISにまつわる問題の複雑さがみえてきました。

 大統領の言い分は、このTIPINISを縦断する道路が通されればアマゾンというジャングルに閉ざされているベニ県とパンド県の経済的発展を助けることになるということです。友人たちがベニのサン・イグナシオ・モホスを訪れた時、雨が降って道路が泥の川となりバスが動かなくなって、泥まみれになりながら次の村まで歩いたとのことでした。さらに奥のパンド県へ行くのはもっと難しいのです。アクセスがよくなれば生活の基本である教育や医療の手もより届きやすくなります。道路の建設が実現できればベニ県にあまりあるおいしい牛肉(トリニダ在住の仲間談)をはじめとした特産物を簡単に都市部に輸送できるという利点もあります。自然破壊ということを考えれば、道路が通されない方がいいけれど、これはこうした道路によってもたらされる生活の便利さを享受している町の人間が一概にどうこう言えないことだと感じます。

 先住民の人々の心配は道路の建設に伴う人の移動です。ボリビア高地で行われているコカの栽培は土地の劣化に伴い、生産量が減少しているという話もあり、道路ができることでTIPNIS内にコカ栽培者が入植し、コカを生産し始めるのではないかと心配しているのです。コカの栽培を行うのは主にアイマラの人々であり、その合法性を認めているのはアイマラ出身の大統領です。これにより大統領は国際的な非難をあびてもいます。入植者がTPINISに入って来始めた頃、入植者側代表者としてTIPINIS側の代表者と交渉をしたのは大統領にある前のエボ・モラレスだったそうで、入植者側(多分コカ栽培を行うアイマラの人々側)であるモラレスが今大統領であるという権力にものを言わせて、自分の代表する民族の利益のために働いているととられても仕方ないといえます。そして実際にそういう部分はあるのだと思います。そうなると大統領が言うベニとパンド県、TIPNISの人々の発展のためという歌い文句がうさんくさく聞こえてきます。TIPNISの先住民は土地を奪われる可能性もあるのです。加えて、今回の工事を落札したのはブラジルの会社。TIPNIS内には石油があり、その採掘と輸送、そしてボリビアの安価な品物と労働力をブラジルにいれるために道路をつくりたがっているという話もあります。石油関係の人間のためどころか、麻薬密売人のための道だという人もいます。

 同僚はTIPNISの先住民たちは僻地での自分たちの生活をかえたくない、なぜなら僻地であるからこそ各国のNGOが入ってくるけれど、道路が通ってしまえば生活が変わってしまい、援助が届かなくなることを恐れているのだと言います。援助が途切れることを恐れているかはともかく、私たちの目からみて「文明化」されていないにしろ、彼らが慣れ親しんできた昔ながらの自分たちの暮らしを変えず守りたい気持ちは何より強いものでしょう。そしてNGO等によって行われた調査によると、この道路の建設が世界で最も豊かなものの1つと言われるTIPNISの多様な生物種に与えるダメージは相当大きいとのことです。

 一方モラレス大統領はこの先住民の行進は反米を大っぴらにしている現政権を転覆させようとするアメリカやアメリカの息のかかったNGOが扇動しているのだと主張しています。必ずしもTIPINISの先住民の願いを体現したものではないと。ボリビアに来る前、アメリカがいかにラテンアメリカ諸国の政治経済に介入してきたか、アメリカの多国籍企業がどれだけ搾取を続けてきたかという本を数冊読んできた私には、これも実際のところありえるのかもしれないと思ったりもします。けれどもこれがTIPNISの人々の主張を無視する理由にはなりません。

 ボリビアにはアイマラ・ケチュアなど多数派の先住民、TIPNISの人々をはじめとする少数の先住民、先住民の枠でくくられないボリビア人・・・それぞれの間で色々な考えの違いがあり、そこが多民族を抱えるボリビアの難しさなのだと改めて感じます。同じような問題がタリハでおこったら、タリハの人々の反応も全然違ったものになるはずです。周辺国やその他の国、NGOや企業、それぞれの利益団体にそれぞれの思惑があります。それでも少数の先住民のために多くの人々が立ちあがり、関心をもっていることはいいことだなと感じます。

 大統領はボリビア多民族国家と国名を改め、ボリビアの数多い先住民の権利を尊重するそぶりを見せながら、結局自分の出身民族であるアイマラ族のことしか考えていないのだという批判をタリハでよく耳にします。外向きの言葉だけいいから諸外国はそれに騙されていると。先日オルガのお姉さんエルヴィラとドイツ人の旦那さんのヴォルフカンと話していた時、エボ・モラレスが自然保護区、もしくは先住民テリトリーに関する法律を変える法案を議会にかけていると言っていました。国連で母なる大地(Madre Tierra)の権利について演説してきたばかりの大統領がこの行動。矛盾する言動が多くて、大統領への信頼が失われていくのがわかります。

 10月11日現在も先住民の行進は続き、まもなくラパスに到達しようとしています。この行進を止めるため、軍が出動する可能性は十分あり、そうなったとき惨劇は避けられないとオルガは心配しています。今までの思いつきだけのような行動から多少まぬけな?印象があるけれど(オルガいわくエボ・モラレスは高校も卒業しておらず無学なのだとか)、エボ・モラレス大統領のMAS党は議会の大半を占め、軍部との折り合いも良好。この法案を通すことはたいして難しいことではなく、これを契機に彼がより独裁者としての要素を強めていくことも考えられます。「先住民出身初の大統領」という言葉に込められた希望をエボ・モラレスが裏切らないでくれるといいなと思います。

  TIPNISの先住民を後おしするために行われた26日のデモ。教員組合はじめその他の組合も参加して大きなものになりました。反モラレス大統領の動きが大きくなったともいえます。突然の道路建設停止宣言はこれをおさえるためと思われます。この後10月6・7日にもデモが行われるとか、行われないとかいう噂があり、多くの学校が休校になっていました。これがなんのためのデモかは、実際あまりにもデモがしょっちゅうありすぎてボリビア人達も興味を失っているのか、同僚もニュース見なかったからわからないわ、と言うほどで、はっきりしないまま。TIPNIS関係ではないらしいのですが。

 折しも、この日職場SEDUCA(教育事務所)は大勢の先生達でごった返し、友達からSEDUCAで(に対して?)デモがあるの、と聞かれたくらい。実はエボ・モラレス大統領が教員1人1人にコンピューターを配布することを決め、これを手に入れるために必要な書類を求めて先生達がやってきているのです。例のごとく、コンピューター配布の日程とその方法が突然発表されたため、先生達が大挙してSEDUCAに押し掛けることになりました。9日、日曜日には大統領がタリハ入りして、セレモニーを行いました。全てのコンピューターには大統領の写真がはってあるとか。

 7日木曜日からSEDUCAの入り口前には長い列ができ、建物の中に入ればごったがえす先生達の間をすりぬけて自分の部屋へ行かなければいけないありさまです。一緒に働いている先生達にたくさん出会いました。そのうちの1人はここまで自己宣伝をする大統領は初めてだわ、とため息をつきつつ書類を得るための列に並んでいました。この行為も教員の視線をTIPNISからそらすためだとしたら、大統領(もしくは側近?)は結構知能犯かもと、思ってしまいます。配布を決めたのはかなり前、配布の日程は突然、でしたから。コンピューターはあくまで貸与であって、贈り物ではない、というところに一抹の希望をもちたいところです。自分の生活・仕事を見てもどれだけコンピューターに頼っているかがわかるので、この貸与は使う先生しだいで意味あるものになると思います。

 前回インカ道で出会ったボリビア人の話をしたところ、オルガが言うに、タリハの田舎の村の生活がよくなったのは前年反エボ・モラレス派として更迭された前知事マリオ・コシオ(Mario・Cossio)の政策によるものが大半で、大統領の政策ではない、エボ・モラレスは上手に自分がやったことのような顔をしているだけだということです。これに騙されて多くの農民たちはモラレス大統領を未だに支持しているのだといいます。これもあり得るのかなと思えるのです。この1年と少し、ボリビアを見てきて、政治の腐敗と汚職というものは確かに存在するのだなと感じます。日本の政治がクリーンであるとは決していえないけれど、日本にはない種類の政治の私物化が確実に存在します。

 以上、書き記したことは色々な噂、大家さんや同僚や友人の話、新聞、テレビやラジオ、インターネットから寄せ集めたもの。何が真実なのかは私にはわからないのが正直なところですが、裸足で行進する人達もいるという先住民のグループが無事ラパスに着くこと、軍の標的になるようなことだけはないことを願って事態を見守りたいと思います。