2010/12/19

卒業式、夏休み、そしてクリスマス!

Plaza principal のナシミエント

バイオリンの発表会も無事終了!クリスマスが近づいてきました。

日に日に暑くなってとてもそんな感じではなかったタリハ。それがプラザや公園でライトアップがされ、カトリック特有のナシミエント(nacimiento)が飾られて少しずつクリスマスらしくなってきました。

ナシミエントはキリスト誕生のシーンを人形を使ってあらわすもの。マリア、ヨセフ、3人の賢者、馬屋、動物たち・・・24日の夜に赤ちゃんのイエス・キリストの人形がおかれます。3人の東洋の賢者が星を追ってイエスの誕生した馬屋にたどり着き、贈り物をしたとされる1月6日まで飾られるのです。メキシコではこの日指輪か硬貨の入ったドーナッツ形の大きなケーキをみんなで食べ、指輪や硬貨のあたった人が王様になる・・・という愉快な風習もあって、楽しかったのを覚えています。キリスト教といえば高校、大学を通じて、信仰の自由を求めて海を渡ったピルグリム・ファーザーズに代表されるプロテスタントに親しんできた身に、カトリックはとても新鮮です。先住民の割合の少ないタリハではあまりみられないかもしれないけれど、ボリビアには土着の宗教との融合でまた異なった風習があるはず。

 学校は補講期間が終わり今週は卒業式のラッシュ。昨日は通っていた学校の卒業式に出かけました。卒業生の数も少ないから日本よりアットフォーム。卒業生は男の子ならお母さんや姉妹、女の子はお父さんや兄弟と腕を組み、結婚式のように出席者の真ん中のカーペットを歩いてきます。

お母さんにキス
校長のお話や来賓の祝辞、在校生の送る言葉、卒業生の答辞、記念品が渡されたりするのは日本と同じ。1時間遅れで始まったり、成績優秀者が表彰されたり(卒業生・在校生含めて)、表彰されている肝心の生徒がいなくて親が受け取ったり、小さい子供達が風に吹かれて落ちてきた風船の取り合いをして泣いてたり、犬が乱入してきたりするのはボリビアらしいところ。さらに、式の途中はさすがにないけど、式前と後には大音量でダンス・ミュージックがかかること、卒業生1人1人が卒業証書受け取るごとにポーズをとって写真をとること、式の最後にみんなで帽子を投げて祝うこと・・・

そして来賓席に座った私の前にはピンクのジュースがおかれました。ちょっと苦いとは思ったけど、喉がかわいていたからごくごく。なんせ式は3時間くらいと長いから。あれ、なんかあくびがでる、眠いぞと思ったのは後の祭り。チュフライ(chuflay)でした・・・ブドウからつくった蒸留酒シンガニ(Singani)を炭酸飲料で割ったもの。ワインと合わせてタリハはシンガニの産地として有名です。気づくのが遅過ぎ。朝から何も食べいないすきっ腹にはこたえて。式の後半は睡魔との闘いになりました。最後には卒業生、教員、卒業生の保護者に炭酸入りワインがふるまわれて、みんなで乾杯。贈り物をもった人たちが卒業生を取り囲みます。この辺りもボリビア風。格式ばった日本の式とは正反対。

優しいお母さんの表情

卒業生は皆誇らしげ。首席で卒業した女の子は1ヶ月前に生まれたばかりの我が子を抱いて写真に写っています。今回卒業できなかった子が2人。彼らは中高等部4年生を再度やり直して、来年卒業を目指します。ボリビアでは小学校1年生から留年があり、3回まで許されています。3回を超えると普通教育ではなくeducación alternativa(代替教育)にうつり、そこで国語、数学、社会、理科のみの授業を集中的にうけることになります。1年で2年間分の勉強をするから場合によっては普通教育にもどることも可能になります。このシステムは小学校でも中高等部でも同じ。Educacion alternativaの夜間小学校には大人がたくさんいます。これによって、ボリビアの義務教育(小学校8年間)の就学率はとても高いのです。ただし都市部から離れれば離れるほどこのパーセンテージは下がり、都市部と農村部の差異が激しいことは確実ですが。この学校でも学年が上がれば上がるほどクラスの人数は減っています。それゆえ高等部まで終えることはとても嬉しいことで、皆大学進学の夢をもっています。


卒業式をもって、今学年は正式に終了。
今日は教員の給料のでる日です。ベルメホ(Bermejo)、ヤクイバ(Yacuiba)、ビジャモンテス(Villa Montes)を除くタリハ県全体の給料明細が教育省よりSEDUCAに届けられます。それを町ごとに仕分けし、番号順に並べる作業は毎月行われる作業の一つ。単調な作業だからおしゃべりもはずみます。

話題はしだいに、タリハ県知事更迭の話に。(これによって準備を進めていた日本祭りは延期になってしまっています。)ラテンアメリカ生まれの白人Criolloが多く、資源が豊かで、先住民の地位も比較的高いタリハ県は現政権に強く反発・・・そう思っていました。例えばオルガ。モラレス大統領の話になると容赦ありません。外向けにはいい話をするけれど、状況は何も変わらず、彼を指示してきた先住民達からもデモをされている、学歴もなく、自分がやってることの意味もわからず社会主義路線をはしっている・・・大統領のことになると、オルガと「話をする」ことはなかなかできません。感情的になるのは、彼女にとってそれが生きている現実だから。オルガの姉は人に貸していた表通りに面した一等地を最近売りました。富の分配を掲げるモラレス政権に取り上げられることを恐れて。航空会社の頭取の持っていた資産が、彼が外国に住んでいる間に没収されたというニュースも聞きます。そんな中、外国人として外から見る目と異なるのは当然です。

もしかしたらこれこそが、モラレス政権の一番大きな問題なのかもしれません。彼を崇拝する派とひたすら嫌う派と国民が極端に分かれ過ぎていること・・・家族・友人を大切にし、仕事、ビジネスの場においても何よりそれがものをいうボリビアで、大統領にとって様々な意見を取り入れ、物事をより大きな視野から判断するこがますます難しいはず。

それでも教育省直轄、今回の更迭騒ぎにも直接影響を受けることのないSEDUCAの人々は比較的穏やかに事態をうけとめています。配属先の長は度合いは人によって様々だといつつ、自分は大統領に親しみを抱いているといいます。また祖父が共産主義者だったという同僚の1人は大統領のやろうとしていることが好きだと言います。前回の知事選においては反現政権の更迭されたばかりの知事が勝利を収めたものの、大統領選においてはタリハの過半数が大統領を支持。その背景はこれなのだなと感じます。もちろん、ここがSEDUCAだからこういう人々が集まっているのかもしれません。

先日は新しい教育法の研修会があったばかり。エボは嫌いだけれど、教育上の差別撤廃はいいことだというカウンターパート。この新しい教育法の異文化間二言語教育政策をうけて9月からSEDUCAの職員全員に対し、グアラニー語かケチュア語のどちらかのコースをとることが義務付けられています。もちろんどの先住民言語かは各県によって違うはずです。コースは勤務時間内に行われ、人々は比較的楽しそうに授業をうけています。異文化間二言語教育政策はこれまで政治の枠外におかれてきた先住民や貧困層の就学率の向上、中退率・留年率の減少により、出自・家庭の経済力に関係なく初等教育を浸透させ、同時に学力の向上を図ることを目的とするもの。あのプレストの町にいたスペイン語を母語としない女の子のような子供を視野にいれているのです。

私自身にあまり知識がないことに加えて、語学のハンデ(新しい教育法の研修は4時間以上もあり、1時間たったころには集中力は途切れて・・・)とあって、どこまで理解できているのか心もとないけれど、それでも今ボリビアが本当におもしろい時期にあることは確か。この法律には母なる大地の権利や先住民の自然観をカリキュラムに盛り込むことが明記されています。環境教育に関係があり、個人的にもとても興味ある分野。今この時期にボリビアに、SEDUCAにいることの幸運を感じます。

きれいに仕分けされた給料明細表。
明日からたくさんの校長はじめ、教員がこれをとりにSEDUCAへやってきて、1階のロビーはごったがえすことになるでしょう。そしてこの給料を受け取って、彼らは夏休み休暇にはいるのです!

Parque Bolivar でクリスマスキャロルを歌う子供たち


2010/12/05

恵みの雨


コンポスト始めました!.


 12月4日土曜日夜、雨が降りはじめた。
10月には降リ始めていなければならなかった雨。少し降ってはすぐやんで、がっかりさせてきた雨。それがようやく!大粒の雨がしっかり地面をたたいている。乾ききった大地が水を吸い込む音が聞こえるよう。
雨の音がこんなに嬉しいものとは。水不足は深刻。川は干上がって、悪臭をはなち、野菜や肉は値上がり。オルガの家はビルの屋上にタンクを乗せているからさほど不便を感じることはなかったけれど、レストランや普通の家では午後になると水がでなくなる。トイレも流れないしシャワーも浴びれない。料理も全てためておいた水を使ってするしかない。そんな生活が1ヶ月あまり。

 この日同期のちーちゃんが職場のAsado(parilladaともいうバーベキュー)に呼んでくれた。風邪でバイオリンのレッスンをさぼった翌日。このままぐずぐずしていてはいけないと思いきってでかけた。井戸堀り、維持、管理など水のインフラを扱う県の部署。おじさんたちがたくさん、大量のCarne(肉)をどんどん焼く。ワインやシンガニのボトルが次々あけられて。

 学校でコンポストを始める企画を話してたら、ちーちゃんのカウンターパートJuan Manuelがプロジェクトで使っているみみずを分けてくれるという。ありがたい!今私のコンポストにいるのは魚釣りのお店で買ってきたこの土地のみみず達。もちろんそれでもコンポストはできるんだけれど、質と早さという点ではやっぱりプロのみみずにきてもらうともっとよいはず。彼らはさらに太くて大きいというから、ちょっと怖い気もするけど。今でも土に手を入れてかき混ぜる時、みみずがくるくる動くとどきどきする・・・でも子供たちはきっと大丈夫なはず!


この3倍は焼いたと思う。


 昼間いったんやんだ雨は日曜の夜、再び降り始めた。
ニュースを聞きながら掃除。 最近気になるのはCOP16のニュース。
あのメキシコであってメキシコでないような、でもあくまで美しいカリブの海で各国が国益をかけてせめぎあっている。190国あまりが、60億人を超えるの人間の思惑を背景に。
そんな中、日本は京都議定書の延長拒否を表明。物議を醸している。アメリカや今や急速に発展しつつある中国はじめとする新興国もCO2削減の義務を負うべき。世界中ができるだけの努力をすべき・・・。その主張は正しい。なのにこのもやもやはなんだろう。京都出身だから???

 それもあるかもしれない。アジア人であること、日本人であること、京都人であること、どこどこ大学出身であること・・・。1人の人間がもつアイデンティティ。アメリカが批准しなかったことによって完璧とはいえない京都議定書だけれど、気候変動問題におけるこの議定書の役割は大きく、認知度も高い。そこに京都の名がついていることはなんだか嬉しいことだったりする。それは日本の技術力の高さを褒められたりする時の嬉しさと同じ。国外にいると日本が抱える外交上の問題に特に敏感になる。自分が所属する国に対して不利益が行われるかもしれないと思うとやはり平静ではいられない。でも人がこうして自らの出自や民族、人種、宗教にこだわるかぎり、歩み寄ることは難しいのかもしれない。故郷を思う純粋な気持ちはあくまで美しいものだけれど。

 人間であること、地球人であること。
日本の正しい主張が本当にこの立場に基づいたものなのかどうか、全てはそれにかかっている気がする。自国に少しでも有利な条件で条約を締結できるように各国がしのぎを削る中でナイーブすぎるのかもしれないけれど、それこそがそもそもCOP16の意義なのだから。不公平だから、ではなく、地球という人類が住む一つの国としてその構成員たる先進国も新興国も途上国も協力してこの星を守っていく道を探る立場から、交渉してほしいと心から願う。

 雨の音が気持ちいい。草や木が喜んでいるのが伝わってくるよう。
すっーと涼やかな空気が流れこんでくる。ちょっと気分をだしたくて、バイオリンを弾いてみた。ここ1月あまり弾き続けているChakareraは今月13日にある発表会用。3人のグループで弾く一番緊張する場面になるはず。Chakareraばかりでは物足りなくなって、以前「みんなの歌」からコピーさせてもらった曲を弾いてみた。「エーデルワイス」「今日の日はさようなら」「グリーングリーン」「翼をください」・・・そしてジブリの曲。「いつも何度でも」「君をのせて」「カントリーロード」。雨音に紛れてまわりを気にせず弾ける。うまく弾いた気になれて。ついでに歌ってみる。いい気持ち。

 傍らには昨日作った抹茶のシフォンケーキに、ミントとマテと生姜のお茶。
混ぜる順番を間違えて全然ふくらまなかったけれど、もちもちしてこういうものと言われたらおいしくないこともない・・・。さ来週の日本祭りにだせるだろうか。