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2011/01/27

アンデス山脈からチリ国境へ



  ウユニツアー2日目。朝8時荷物を積んで出発。
標高4000m以上の山道をひたすらはしる。
大地の色は赤、茶、黄色、白・・・森林限界を超えているから、木は一本も生えていない。大地にしがみつくように同種類の草がまばらに広がっている。赤茶色の石がどこまでも大地をおおっている。同じようにみえる景色に変化を加えているのは火山だ。かすかな硫黄のにおい。ガイドのおじちゃんが、ひときわ大きな山を指さしていう。「あの山の頂上には湖があるよ」と。カルデラ湖。ほとんど人が足を踏み入れたことのない世界にちがいない。目に見えない湖を想像してみる。見渡す限り命の印はほとんどない。時に目にするのは、ビクーニャ。あの細く弱々しい動物のどこにこんな厳しい環境で生きる強さがあるのだろうか。
 この日はLaguna Colorada(赤い湖)へ向かう。湖にはピンクのフラミンゴが一杯。赤い湖といわれるのは湖の中の藻のせいだとか。風がふかないとこの色には見えないという。この日は空も曇り気味で風はない。けれどもたくさんのフラミンゴで湖はピンク色に染まっていた。



 
 夜は湖近くのアロハミエントに泊る。夕食前、宿の裏手にある石山を登ってみる。登りきっていると、そこはさらに広がる大地だった。そして360度さえぎるものなくアンデス山脈の山々が遠く近く、連なっている。気温は10度を下回っているはず。ダウンを着こんでも寒い。仲間4人で写真をとって遊びながら、暮れゆく空、石だらけの大地、そして山の稜線しかない世界の空気を胸一杯すった。大地がとぎれる一角、遠くにつらなる山が世界の無限さを感じさせるような、そんな場所でひと際大きな石塚があった。車で走っている時そこ、ここで見かけた石塚。どんな思いがこもっているのか。不思議に安らぐ場所。一つ石を足しながら思う。ここには何か力がある。きっとこんなところに様々な僧院が建てられたのだろう。二度とはこない場所。けれど、この感覚とこの光景を決して忘れることはないだろうと思う。星が降るようにまたたき、流れ星が美しい夜、生まれてきたことを感謝したい気持ちになった。





積んであるタンクからガソリン補給
 翌日、朝早く出発。日の出。1月1日に見るはずだったから、初日の出。風の作用によってなんともいえないおかしな形になった岩や、ガスの用に蒸気が吹きあがり、土のなかからぶくぶくと泡がたつ火山地帯を見ながら、チリの国境へ。1週間前アルゼンチン国境をまたいだから、これで南米3国に出かけたことに・・・?ドイツ人のお兄さんとはここでお別れ。彼はここからチリ入りして旅を続けるのだ。途中車が故障。振動でゴムのチューブに穴があいて、ガソリンがもれていた。おじちゃん、大きな手が隙間にはいらなくて多少苦労しつつ、手際よく修理する。「たいしたことない」と自信たっぷり。この後、たくさんの車がパンクしたり、エンジンの不調をおこしたりしている場面に出くわすことになる。あれだけの悪路だから当然のこと。おじちゃんはさすがベテラン、運転も慎重で、だからこの程度の故障ですんでいるのだ。



 Laguna Verde(緑の湖)ではフラミンゴがそぞろ歩く湖を眺めながら温泉につかれる。足湯しながら、アンデスの山々を眺める。何度見てもあきない。世界は大きい。同じ事を何度も思う。この大きさが、人間にとって実質的になんの利益ももたらさない空間の存在が、人の魂に広がりを与えている。だから人は旅に出かけずにいられないのだと思う。二日かけてたどり着いた国境から、今日一日でウユニまで戻る。魂だけでなく?、体もしっかりのばしておく。埃をまきあげ、ガタガタ揺れる道をすすむ。標高5000mまで登り、また下っては登り・・・やがてオアシスのように澄み切った水が川を作って流れる場所にでた。リャマがたくさん草をはんでいる。水の流れにそって山を降りると、小さな美しい村があった。まるで桃源郷。水のなかで藻のように揺れる草の緑が、青い空を映した水面と鮮やかなコントラストをなしている。水が命のもとであることを改めて感じた。

 ここで昼ごはんを食べた後、一気にウユニへ。石油会社が自社のために作った道は大きな石が取り除かれ、今までの山道よりかなり揺れが少ない。さすがに疲れがでて爆睡。予定通り午後6時、ウユニ着。ホテルをとって3日ぶりのシャワーを楽しむ。そしてみんなで食事へ。もちろん、リャマ肉を食べに。コレストロール値ゼロのリャマ肉はとても健康的な食べ物。アスパラガスのスープとキヌアのスパイシースープもおいしい。食事後、再度仮眠。オルロ行きの電車は夜中1時22分発。この2分になんの意味があるのかは仲間内でも謎。2等車。座席はゆとりがあって、リクライニングもできて快適。揺れも少ない。夜だったから当然でもあるけれど、ほとんど何も見ないうちにいつの間にかオルロに着いていた。よく寝れた・・・というのが、ボリビア初の列車への唯一の感想。

 オルロに着いたのが午前9時。同期の家に荷物を置かせてもらって、少し散策。博物館がとてもおもしろい。祭りの仮面がたくさん。リャマのミイラ。動物園では、お菓子を持って入ったら放し飼いのリャマに追いかけられて、頭突きされる。大きいからちょっと怖い。お菓子をあげるのは諦めて、同期が襲われているのを見ていることにした。お昼にたっぷりの油で揚げたリャマ肉(かなり重たい・・・)を食べて、ラパス行きの4時発のラパス行きバスに乗り込んだ。カーニバルのときにゆっくり来れることを願って。

 これで旅の前半は終了。舞台は首都ラパスへ・・・

結構迫力です!

2011/01/21

ウユニ塩湖


Salar de Uyuni
  1月7日夕方、毛布をリュックにくくりつけ、ポトシ(Potosi)行きのバスに乗った。Samaの山を越えての10時間の旅。一時は120ボリ、倍に跳ね上がった運賃は今は元通り。今回の旅は8日10時半ウユニ発のツアーに参加、各自集合することとのみ決まっている。舗装されていない山道。前回よりは慣れたけれど、あまり眠れなかった。年末の騒ぎに伴うストレスがそこはかとなくつきまとって、すっきりしなかった新年。タリハの年末年始を味わえたのは良かったのだけど・・・。

 朝5時、無事ポトシ着。標高4000m。ちょっと階段を上るだけで息切れする。バスターミナルは新しくてきれい。聞いていた通り安全な印象。ウユニへのバスは昼くらいにでる。それまでポトシの町にいってみようと思ったけれど、眠い!ミクロもまだ動いていない。荷物を枕に毛布をかぶって、2時間ほど仮眠をとった。掃除をする女性の話し声に起こされ、Plaza Centralへの行き方を教えてもらってバスに乗ったちょうどその時、サンタクルス在住の同期のあきちゃんから電話があった。前日からポトシにいるとのこと。同僚がポトシ出身で彼女の家族が温泉に連れて行ってくれるから、来ないかとのお誘い。息子の誕生日におばあちゃんが作ったポトシ名物カラプルカ(Kalapurka)をいただいてから出発。熱くした火山の石が入れてあって、ぶくぶくお皿から飛び出る勢い。スパイシーでおいしい。
 
ポトシ名物カラプルカ



美しい火山湖
  
熱い!
  
温泉だけど水着ではいる、温泉プール。
  水着を持ってなくて残念ながら入れなかったけど、足湯をしながらおしゃべり。そのうちまたまた眠くなって、プールサイドでお昼寝。家に帰ってホットチョコレートをいただき、クリスマスのダンスを踊った。家族、親戚団欒の仲間にしてもらって心温まる時間になった。

 午後5時に到着したもう1人の同期と落ち合って、ポトシの町を少し散策した後、19時半発のバスに乗り込んだ。バスはSamaの山を上回るガタガタ道をすすんで、夜中1時半にウユニ到着。とってあったホテルですぐに休んだ。朝、しばらくシャワーは出来ないだろうとのことで、ゆっくり身支度。4人目の仲間と、日程は違うけれどラパスから同じくウユニに来ている同期2人を交えて朝食を食べる。やっぱりボリビアといえば、ウユニ!のよう。実際町は外国人だらけ。もちろん自分も外国人。
車はトヨタのLandcruser、これ以外ほとんどみかけない

 ツアーの仲間は私たち4人と1人旅のドイツ人、ブラジル人の6人。車に乗り込みいよいよウユニ塩湖に出発・・・と思いきや、まずは列車の墓場へ。ウユニへはボリビアでは珍しい電車が通っている。それに乗ってみたくて、帰りはウユニからオルロまで電車でいってラパス入りする予定にしている。この列車の墓場、なんか見覚えがある・・・と思う。

助手席に座って、ガイドのおじちゃんとおしゃべり。するとおじちゃん、ここで映画をとったことがあるという。ああ、と思う。「もしかして、パチャママの贈り物」(“El Regalo de Pachamama”)?」と聞くと、その通り。自分も出演していたという。そういえば映画のなかで主人公とその友達が列車の墓場で遊ぶシーンがあった・・・

「パチャママの贈り物」はもと松竹で助監督として働いていた松下俊文監督が拠点をニューヨークに移してから、撮った初監督作品。ウユニ塩湖で塩を切りだす仕事をする父親と少年。祖母の死後、少年は友人とともに、父親が塩をリャマの背にのせ、山間部に売りに行く3ヶ月に及ぶ塩キャラバンの旅に参加する。ポトシの銀山で働く友人の父親が亡くなっていたり、祭りの日に立ち寄った村で女の子と淡い恋をしたり・・・そしてリャマの背には塩に変わって様々な野菜が積まれていく。

京都での上映期間は一週間。日曜日の朝早くに京都シネマに行くと、来場者全員にQuínua(キヌア。南米アンデス原産の穀物)の贈り物。監督が舞台挨拶にきていて、なぜこの映画をとったのか(9.11との関係)、どのように出演者を選んだのか(出演者全員地元の人)・・・を語り、上映後には「ボリビアに行くんです」という話もした思い出がある。監督はいい奴だった、でも結婚してなかった、7年もいたんだ、恋人役の女の子にはもう子供がいる、塩のキャラバンの風習は今ではもうなくなってしまった・・・などなどおじちゃんの話は続く。
撮影した村はあっちのほうだ・・・

塩のホテルの前で
「ボリビアってどんな国なんだろう?」というかすかな不安を、こんなに素朴で美しいところに行けるのかという静かな期待にかえてくれた映画。ウユニにいるだけで不思議な感動があったけれど、さらに出演者に会えた。あの頃の心細いような、わくわくするような、なんともいえない気持ちを再び思い出しながら、目の前のあくまで白い世界に目をこらし、今ここにいる幸せを思った。

塩の切り出し場のへ寄ったあと、塩のホテルへ。映画の中で、父親と少年が切り出していた塩の塊りはこのホテルをたてるためのもの。さらに車を進めて、火山の爆発によってできた魚の島(Isla de Pescado)で不思議なサボテンをみる。魚の島では2007年、1203歳で一番年よりのサボテンが枯れた。続く長寿サボテンは900歳。無事1000歳を迎えてほしいと思う。後100年。気が遠くなりそうな時間。

魚の島の後、塩湖ほとりのalojamiento(宿)へ。と思ったら空きがない。ウユニ塩湖周辺の宿に電話はない。予約ができないのだ。ガイド歴30年、ウユニで一番古いガイドだというおじちゃん。さっと車の向きを変え、近くの町San Juanまでいくという。もとの道にもどる道程で沢山のランドクルーザーに出会う。そっちにいっても宿はないのに・・・。しだいに日はくれはじめる。道は今まで経験したことないほど悪い。ハンドルを握るおじちゃんの顔が緊張している。車がよいからある程度吸収してくれるものの、かなり揺れる。月がでて、一番星が輝き始める頃、宿についた。食糧はすべて車につんである。荷物をおろしたおじちゃんは宿の奥さんやおばあちゃんたちと食事の支度にかかる。その間、ブラジル人によるポルトガル講座があり、ドイツ人のお兄さんの旅話を聞く。優しい味のスープと、ソーセージ、玉ねぎ、ゆで卵メインのおいしいPique a lo Machoが準備されたのは夜10時。ウユニ塩湖での1日を最後に飾ったのは満点の星空だった。
La Isla de Pescado より望む塩湖

リャマが草をはむ・・・塩湖のほとり