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2010/10/28

アンボロ国立公園

 今日は何より楽しみにしていた、アンボロに出かける日。仲間と自然の中でゆったりする時間に加えて、エコツーリズムも体験できます。先住民がNGOの助けをかりて、自分たちの森の生態系を守りつつ、ツーリストを受け入れて、密林のガイドや生活文化の紹介で生計をたてていくEcoturismo Indigenaは駒ケ根でしたプレゼンのテーマの一つ。楽しみです。タクシーで数時間、ガイドのフリアン宅着。軽く朝食をとって、四駆に乗り換えていざ森へ。橋のない川を2つ渡り、がたがた揺れながら土の道を進みます。
 着いた先は小さな山小屋。ハンモックがつるしてあって感激。早速横になってしばし目をつぶると、聞きなれない鳥の声。やがて何やらいいにおいが。藁ぶき屋根の下では、食事を作ってくれるセニョーラの息子達が珍しげに見守っています。子供好きの仲間は早速折り紙を教えていました。

 ゆっくりと昼食をとってから、2時間離れた川へ泳ぎにいくことに。 水着に着替え、リュックをしょっていざ出発。フリアンが丁寧に森の木について説明してくれます。今は暑いからあまり動物はいないけど、といいながら色鮮やかな鳥に注意を向けてくれたり、アリクイの食事の後をみせてくれたり、ピューマの足跡を見せてくれたり。 登って、下って、また登って。日焼けと虫と枝の攻撃から守るために着ている長袖の下は汗びっしょり。
もうだめ、という頃視界が開けてきました。展望台に到着。さわやかな風がふきぬけます。あともう少し、の言葉を信じて歩くと川にでました。上は暖かく、下は冷たい川の水。ふわっと浮かぶと空を背景に木の枝がゆれているのが見えます。耳元では川の音。遠く仲間の声が聞こえます。とってもいい気持ちだったのに?その頃仲間はドザエモンだと騒いでいたのでした。失礼な☆

 夜は作ってもらったボリビア風パスタをいただき、いつものごとく、ギターに合わせて歌が始まります。踊る人もでてきて、キャンプのよう。ろうそくの明かりと蚊取り線香の煙のなか、夜はゆっくり更けていきました。明日に備えて寝ようと山小屋に登る坂道で葉切り蟻発見!初めてジャングルにいる実感がわきました。子供のころ見ていた番組のアマゾンの特集で徒党を組んで歩いては、横切る生き物全てを食べ尽くす軍隊蟻や、川に落ちた牛を骨だけにしてしまうピラニアの存在にわくわくしたものです。葉切り蟻もその番組で知った存在。私たちが陽気に騒いでいる間も元気にせっせっと働いていたのでした・・・この後さらなるハプニングもあり、にぎやかな夜となりました。
 翌日は3時間歩いてさらに森の奥に行きます。それでも目的地は川。泳ぐ!せっかくビキニ(!だけどこれしか売ってない)を買ったのだもの。そして暑い!前日よりさらに長く、険しい道程。同じく木々の間を登ったり下ったりして、着いた川沿いは石だらけ。飛び石は動くし滑るし一瞬も気がぬけません。そんな場所をフリアンの息子はサンダル履きで軽々。跳んで、滑って、よじ登って、川沿いを歩くこと1時間半。

着いた場所は秘境の雰囲気。
もちろん飛び込む人あり。
帰りもやっぱり同じ道とのこと、あの3時間を思うとあまりはしゃげないけど、私もちょっと泳いでみたくて水に入りました。
魚が足によってきてくすぐったい。結構大きい。
昨日よりずっと冷くて深い水。底も見えず、ちょっと怖いよう。足の下に何かいるような気がしてしまいます。

 帰り、フリアンがふと立ち止まって、あの洞窟に蝙蝠がいるかもしれない、見たいかと聞きます。もちろん見たい、と答えるとちょっと待てと言われ、偵察に行ってくれました。いました。さかさまにぶらさがって眠っています。暗がりでみるとちょっと人の顔みたいで怖い・・・でも格好はかわいい・・・
洞窟からの戻り、川を飛び石で渡るとき、とうとう落ちてしましました。落ちた私の後ろでフリアンは頭を抱えたとか。足場をずいぶん気にしてくれていたから。申し訳ない・・・でもこの後の道程で、仲間も次々脱落したのでした。

 ガイドのフリアンは安全面はもちろん、少しでも森らしい生き物が見られるようにと気を配り、また自然を汚さないためにシャンプーやせっけんは使わないことをツアー客にも求めるなど、しっかりしたツアーですばらしい2日間となりました。帰りの車はもちろん爆睡。





やっぱり日本食?


  サンタクルス2日目は健康診断。 左腕で採血をされた上、両肩にA型、B型肝炎の予防接種とトリプルパンチ。
レントゲンと診察の空き時間をぬって、タリハではお目にかかれない大きな大きなメルカドで買い物を楽しんだり、夜のバーベキューの買い出しをしたり(そう前回の企画を実行に移せるようサンタ在住の仲間が準備してくれていました!)。サンタクルスのメルカドはずらっと屋台が立ち並び(多分1000店以上あるはず!)、大勢の人たちが思い思いの物を求めて行き交い、アジアの雑多な雰囲気。そうこうするうちに、野焼きと山火事による煙で飛行機が飛ばなかったトリニダ組も到着。ボリビア流に豪快に牛肉やチョリソを焼きつつ、日本人らしく野菜もいっぱいで、Parilladaは文字通り飲んで歌ってとにぎやかでした。

各地から集まるプラスチック
3日目、午前中は環境教育の分科会。完成間近の環境教育テキストのこれからの広報について考えました。先生向けに使い方を実践でやってみながら説明するワークショップを盛り込んだフェリアを行おうと意見が一致しました。1人ではなかなかできないことを協力してやることが出来たら素敵です。そして昼休みにはサンタクルスのリサイクル工場を訪ねました。第4環状近くParque Industrialへ。環境教育の先輩隊員2人が同行してくれました。

最後はこんな形に
 工場はタリハのそれよりずっと大きく、全てのプラスチックをリサイクルすることができます。 案内してくれたグラディスのおかげで流れがよくわかりました。時間切れのため紙のリサイクル工場は見に行けなかったけど、大満足。これで、大体のリサイクルの流れを子供たちにも見せることができそです。

戻って昼食をとると、午後いっぱい安全対策会議、そして夜は懇親会です。場所はRestaurante Japonesa。おすしや唐揚げに加えて、なんと養鶏専門の方が新鮮な卵をもってきてくれて、大好きな卵かけご飯を食べることができました。幸せ!

 金曜日は午前中総会、午後から教育分科会。小学校の現職の先生たちを中心にボリビアの教育現場の問題について話がはずみました。専門家よりPROMECAとボリビアの教育の現状の説明があり、これも興味深いものでした。PROMECAは途上国にありがちな版書をひたすら写すという学習形式から脱却し、「子供が主役の学習」を目指すJICAのプログラム。あしかけ5年をかけてボリビアの小学校500校で展開されてきました。タリハにもPROMECAの入った学校があります。私が通うVICTORIAの学校は一度PROMECAが入ったものの校長の独断で、排除になったといういわくつき。エキストラの仕事を要求されるPROMECAの取り組みは学校によっては抵抗があったよう。それでも、本当に子供のためになるならと、積極的に取り組む学校も数多くあります。PROMECAは今年7月に終了しており、どのようにフォローアップしていくかは教育に関わるボランティアの課題でもあります。これからの活動計画を考える上でもとてもいい分科会でした。

 その後ホテルから荷物を移し、拠点は仲間の家に。夜はサッカー大会に参加。夕食にはサッカーに参加しなかった仲間がParilladaの残りの肉を使ってカレーを作ってくれていました。毎晩の日本食、このありがたさは簡単に日本食材が手に入ったモントリオールでは思いもよらなかったもの。
サンタクルスのブログの最後はいつも日本食で締めくくり。ボリビア料理、おいしいのだけど!

2010/09/10

日本週間


 8月末、サンタクルスで領事館主催の日本週間が開催され、日本料理、空手、アニメなど日本文化の紹介やボリビア移民の歴史の展示がされ、大勢の人々が訪れました。
その最終日、日暮豊弘・メキシコ裏千家支部長による茶道デモンストレーション及び茶の湯解説が行われました。着物を持っていてお茶をやっていた!とのことで私も呼んでもらい、デモンストレーションに正客として参加しました。少し間違いもしましたが、先生と呼吸を合わせ、流れをつくることができたと思います。
長板二つ置き薄茶のお点前をほぼ省略しない形で行ったのでかなりの時間をとりましたが、会場いっぱいに見えていたお客様は咳払いもほとんどないくらい静かに真剣に見てくれました。
デモンストレーションの後は再度日暮先生がお点前をされ、招待客何人かが舞台にあがりお茶をいただくという趣向。大使館やサンタクルス日本人会でお茶を習われている方々のお運びをを少しお手伝いしました。舞台に上がられた招待客の中にはボリビア人もたくさんいて、横の日本人に聞きながら飲み方の作法を体験していました。デモンストレーションよりリラックスしたなごやかな雰囲気です。
質疑応答では会場から、どれくらい練習したらお点前が身に着くのか、このようなお茶会はどのような時に行われるのか、といった様々な質問が出されました。
ほぼ3カ月ぶりのお茶でほっこり。準備に奔走された大使館や日本人会、サンタクルスの仲間たちに感謝です。

 今回サンタクルスに行った折、念願の日系移民の町の1つ、サンファンを訪ねてきました。短時間、しかも週末でほとんどの店はしまっていたけれど、苦労の末ボリビアでの生活基盤を築いた人々の暮らしぶりを垣間見ることができました。
昭和時代の日本のよう、と聞いていた通り。
道で会う人達とも「こんにちは」と日本語で挨拶をかわして、ゆったりした空気が流れています。
映画の中に入り込んだようでした。
茶道でお世話になった日本人会の会長さんは、写真1つの見合い結婚で海を渡ったそうで、夫の不在中は銃を持たされ、小さな子供を抱えて農地を守ったと聞きました。当時はそれが当たり前だと思っていたから、苦労と思ったことはなかったと。
サンタクルスはもともと熱帯のジャングル。そこを切り開いて畑を作った移民一世の人たちの気概や苦労を思うと胸を打たれます。
一方、ボリビアで生まれ育った二世、三世はまた違う経験をしているよう。
日本人でもなく、ボリビア人でもない。
アイデンティティの問題。

10年前、カナダからの分離を目指していたケベック州において、移民は(たとえ英語しか話せなくても)子供をフランス語系公立学校にいれなければならないという法律が通り、大きな論争を巻き起こしていました。よほど裕福でない限り、移民に私立学校に子供をやる余裕はありません。子供の宿題を見てやれない、と嘆いたアジア系移民。町から次々と消えていく英語の看板。自らの文化を守りたいのはフランス系ケベック住民も、移民も同じ。数的に圧倒的な英語系住民の中で独自性を守りたいケベック住民の将来への不安、そして自分を取り巻き育んできた環境から一時的にではなく、永久に根こそぎ離れて暮らすことを(多くの場合やむをえず)選んだ移民の切実さをひしひしと感じたものです。帰る母国のある留学生として滞在していた私には持ちようのない感情でした。

そのほんの数十年前、カナダ(アメリカ共に)ではネイティブ・アメリカン同化政策がとられていました。親から引き離された寄宿学校で自分たちの言葉を使うことを禁じられ、アメリカ的価値観を教え込まれた子供たちは自らの出自に劣等感を感じ、自己肯定感をもつことができず、多くがドラッグやアルコール中毒になったり、自殺に追い込まれたりしました。何より親から子へ伝えられてきた言語、伝統文化、価値観の流れが断ち切られたことは大きく、今でもネイティブ・アメリカン社会はその後遺症に苦しんでいます。そして同じようなことは日本初め多くの国々で行われてきたのです。自分たちの文化を、尊厳を取り戻していこうという先住民の運動の高まりと、その高い精神性と大地に根ざした生き方に惹かれ学ぼうとする人々の存在が1つの光になっています。

いずれも共通しているのは、自らのアイデンティティは自らの力で確立していかなければならない、ということ。日本という国で人種や民族や宗教といった問題に悩むことなく生きてきた私にとっては、今でも新鮮な問いかけです。社会主義思想が強く、富の分配を唱えるエボ・モラレス政権は経済的に成功しているサンファンを快く思っていないという話も聞きます。店で出会ったあくまで屈託なく明るく、さわやかなサンファンの若い人たちがどのように生きていくのか、自分はいったい誰なのだという問いにどのように答えていくのか知りたいと思いました。

土曜日の昼下がり、白いお米を抱えて、眠っているように静かなサンファンの町を後にしました。



 サンタクルス滞在中はwakawaka仲間のお家に泊めてもらいました。ホテルのように豪華なマンション。日本食をほんとにたくさんご馳走していただきました。モンテロ、サンファン、サンタ市内の仲間も一緒に泊って、互いの近況や任地での出来事について夜遅くまでおしゃべり。それぞれの職場で日々感じていること、問題点、今後の活動の見通し、ボリビアの国とその人となりについて・・・話はつきません。
その間も食べる、食べる・・・!!!
ご飯がとってもおいしくて、昆布や梅干しや佃煮と一緒に、そして最後にはお茶漬けをして、なんと3杯も食べてしまいました・・・
Estoy llena!!お腹一杯!
2日目の夜は夕食後ワインやビールで乾杯しながらわいわい騒いで、マンション内のプールへ。もう30度を超えているサンタクルス、冷たい水がとても気持ちよくて、ゆったり体を伸ばしました。同じマンションに住む、日本に住んでいたことがあるというボリビア人とその姪がやってきて、一緒に泳いだりも。
素敵なバーベキュースペースもあるので、次回集まる時にはみんなでparilladaをしよう!との企画もできました。
久しぶりに着物を着てお抹茶をいただき、白いお米を食べ、たくさん日本語を話して、Japónを感じた3日間になりました。


2010/07/11

残りの日々


 サンタクルスでの日々も終わりに近づき・・・
最後の日は全員がスペイン語でプレゼンをしました。これからの仕事、日本の地元の紹介、職場の小学校の子供たちのこと、駒ケ根訓練所やボリビアでの様々な出会いについてなどなど、どれも思いのこもったプレゼンが次々と続きます。

 プレゼンの後は先生たちに寄せ書きをプレゼント。

 とても喜んでもらえました。そのあと、全員で昼食の席に。ファニータが腕をふるってまた私たちの大好きなサンタクルス料理、Majaditoを作ってくれました。これで終わりです。


 ここでの日々は私にとって本当に特別なものになりました。
 新聞に載ったり、サッカー観戦に燃えたり。ファニータの作る昼ごはんは毎日の楽しみの一つ。勉強も頑張りました。






























































 素敵な先生方との出会いがあり、そして何より、
            仲間というものを強く感じることのできた日々でした。


2010/07/03

チームWaka waka誕生

 今日はel campo (田舎にあるProf. Tの家)に行ってpan de arroz(米のパン)を作る日。 まずはmercadoで買い物。
チャーターした小型バスでLa Guardiaの町へ。
道中はギターに合わせて歌を歌いながら大盛り上がり!
着いた家はとても素敵でした。
レモンやミカンのなる木があちこちにあって、空気がおいしい。
遠くに山の稜線が連なっていて。
学校のCafeでいつも料理してくれてるファニータの用意してくれた
サンタクルス料理majaditoをまずは食べる。
それから、料理開始。
まずはユカ(じゃがいものような)をこねる。
A mi, a mi,
A mi me gusta a mi ♪
(私は私が好き???)と歌いながら、
力強く!
十分潰してこねたら、米粉と牛乳とチーズを順番に少しずつ足していく。
出来上がったら丸く饅頭のように形を整えて、葉っぱの上におき、ネギのみじん切りを乗せ並べていく。それらすべてを窯へ。


 焼いている間、Prof. Tに求められてLa ceremonia de Teをする。韓国の机の上で。ボリビアで初。まさかこんなに早くにすることになるとは!!略盆の前半をちょっとやって、とりあえず味わってもらった。なかなかスペイン語での説明は難しい。

お茶をいただいてる間に、pan de arrozが完成。とってもおいしい!たくさん食べておしゃべりが弾む。そうこうするうちに日も暮れて。ShakiraのWaka wakaに合わせてみんなが踊り始める。これがチームWaka wakaの誕生日かな。

後片付けをして帰る頃には満点の星空。南十字星がひときわ美しく輝いて、みんなちょっと興奮模様。帰りのバスの中もJJ&Joseを交えて大合唱となりました♪

いくつかの隊次を見てきたけど、こんなに一致団結した隊は始めてというJJの言葉。ボリビアJOCV10人に日系ボランティア3人を合わせた13人の仲間をみていると、リップサーヴィスではないなと嬉しくなりました。

2010/06/27

語学学校



3日目から語学学校スタート。
サンタクルスの中心地、 Plaza 24 de Septiembre の横にある
Goethe-Zentrum Institute 。
もとはドイツ語の学校だが、スペイン語やフランス語、先住民の言葉ケチュアや グアラニー語、 そして音楽などアートも教えている。通っている生徒は外国人や裕福な家庭の子弟であろうと思われる人が多く、立地的にも恵まれた環境。学校には素敵なBiblioteca(図書館)があって、Plaza 24 de Septiembreをみながら落ち着いて勉強できる。 置いてあるスペイン語の絵本にはちょうど今習ってる接続法がたくさん使われてて とっても勉強になる。 絵を見ながらストーリーを追うのも楽しい。

スペイン語は初日のクラス分けテストに基づいて3つのクラスに分かれている。
それぞれの先生が個性的でおもしろい。
コーディネーター兼のProf.JJは日本語が話せる。
丁寧でやさしく、みんなの間で男前と評判。 そしてTarija出身!
初めの土曜日にタリハ料理を食べに連れて行ってくれた。

Prof. Jは対照的に食べるのが大好きな、お腹の大きな先生だ。
英語、ドイツ語の先生でもあり、とても真面目だがお茶目なところもある。
ゆっくりと話してくれるのでわかりやすい。

我がprofa. Tは頭の回転の速い、次から次へと着想のわいてくるアクティブな先生。
突然お香をたいたり、音楽をかけて踊ったり・・・まるでハリケーンのよう。
一瞬も黙っていられない人で話そうとしても言葉をとられてしまうから、
頑張って話さないといけない。 これも訓練。
でも心はとてもあったかくて、面倒見がいい。
そして弁護士をしているだけあって、今のボリビアの様子を色々と話してくれる。
貧しい人々との関わり方、先住民の文化、
これからの仕事を意識しての話など学ぶことが多い。
人を引き付ける力は相当なもので、いつも感心してしまう。
週末は先生が田舎にもっているという家にいく。
どんな感じなのか、とても楽しみ。





(上)銃を携帯したガードマン数人常駐し、公園、プール、ジム、テニスコートに専属コーチのいるリッチなコンドミニウム。敷地内で子供が、ベビーシッターに付き添われてたくさん遊んでいる。犯罪を警戒して金持ちはこのようなコンドミニウムに住むことを好むという。家は3階建てでエレベーターがある。前庭に広いバルコニーがつき、キッチンも洗練されている。
(下) そのすぐ横にある貧しい人々の集まるMercado。 パンや丁子のジュースを少しだけ食べる。どれも安くておいしい。肉、米など主な食べ物、日常品、おもちゃなどすべてここで揃う。けれども、Mercado内は薄暗く、汚くて、本当に貧しい。今回は写真をとるのはためらわれたけれど、売り手のおばさん、食事をしている若い女の子たちみな、話しかけるとはにかみながら答えてくれる。Hola!やCuanto cuesta?くらいなものだが。タリハではきちんと話をして、写真もとらせてもらいたいと思う。

2010/06/25

サンタクルス



早朝ボリビア到着。
到着後にスーツケースの破損が見つかったり、TSAロックつきの新しく買ったベルトがなくなっていたりして(アメリカン航空&アメリカ税関はとてもひどい!)、テンションはだいぶ下がった。けれど、これがボリビア第一歩。めげてはいられない。

バスで40分ほどでサンタクルス市内に到着。着いたホテルは超豪華。あまりの豪華さにみな、これ、ほんとにいいの?とたじたじ。とはいえ、3週間あまりの贅沢、楽しむことに。
昼、ホテルの前のレストランへ。
ボリビア料理のおいしこと!
量の多いこと!
こわごわとサラダも食べる。
今回はおなかを壊したくないもの。
午後早速着任オリがはじまる。
夜は韓国料理を事務所次長にごちそうしていただく。
とても眠い、けれど楽しかった。感謝。
これが始まりのけじめ。
ボリビア隊員85人の一員となった実感。
次の日、続けて着任オリ。
午後は医療オリ。個人面談の合間にサッカー観戦。
日本ーデンマーク戦
3-1の大勝利。
Super!!
その後の素敵な体験。
ケチュアの本がほしくて入った小さな本屋で、
Paulo Coelhoの本をたくさん発見。
Once minutosを購入。
店には店主らしきおじさん、バイト?の女の子、飲んだくれたお爺さん。
お爺さんはあまり口がきけないらしくて、身振り手振りであーとかうーとか
しきりしゃべっている。最初はおじさんが飲んでるやつはでていけ
とでも言っているのかと思ったけれど、
実はDVDを売りに来ていた模様。
女の子が丁寧にお爺さんと数や値段の交渉をしている。
Coelhoの本の値段をおじさんに聞くと、女の子に聞けという。
店主ではなかった??
15ボリ。約180円。
20ボリを出すと、お釣りがないといわれる。
結局女の子が、両替にいってくれた。
その間、お爺さんがしきりに何か言っている。
すると、おじさんが日本人か?サッカー勝ったろう?
と言っている、と教えてくれる。
そうだったの!!
お爺さんは嬉しそうに、棚から本をとって赤い表紙を指さし、
シュッと首をきる真似をして、大きな声をだして両手をあげる。
何度も。
最後に握手して。
お爺さんとのやり取りも楽しかったけれど、
はっきりと話すこともできない、一見飲んだくれにしか見えないお爺さんへの
おじさんと女の子の優しさに何より心が暖まりました。
あちこちのレストランで、カフェで、広場で、人々がサッカーを観戦している。
ボリビアはでているわけではないのに、さすがラテンの国。
みんなサッカー好きだ。
夜は担当医師に会ったあと、保健師さんとイタリアンレストランへ。
とっても楽しい方でした。
これで二日目終了。