2011/07/26

冬休みのラパス~ティワナク遺跡へ




 冬休みに入り、プロジェクトの方向転換に向けて資料作りをしながら1週間が過ぎた8日金曜日、夕方5時発ラパス行きのバス(115ボリ)に乗った。約17時間。バスの旅は長時間の座っているしんどさはあるものの、バスの中で、途中の小さな村で人々の生活ぶりを垣間見れて楽しい。実際、帰りの飛行機のようなことが起こると時間的にも変わらなくなる・・・。

Japónのタグ
 ちょうど前日、タリハにある天文台に出かけた。天空まで届くハンディ・レーザー・ポインター(!)を持った観測員が実際に星を指し示しながら西洋のだけでなく、アンデスの民による星座を教えてくれた。そしてロシアの援助による巨大な天体望遠鏡で月と土星を見た後、日本が送った立派なプラネタリウムで冬の空の移り変わりを見せてくれたのだった。これ全て無料。車で連れて行ってくれたオルガの甥っ子は高校生の頃行ったとか。行きはバスで、帰りは歩きで(^^)でもいい。それも含めて高校生には楽しい体験だったのじゃないかと思う。
 
 サマ(Sama)を超え、カマルゴ(Camargo)からポトシ(Potosi)に至る曲がりくねった道の途中に明かりはなく、半月が乾いて侵食された大地を照らすばかり。タリハをでて4時間ほど。月が傾くごとに増える星の数。教えてもらったばかりのさそり座、ケンタウルス座、リャマ座が南十字星のすぐ近くで輝いているのが見えた。(もっと色々教えてくれたのだけど、理解できた範囲で・・・)サンタクルス行きのバスよりさらに深く倒れる座席から夜空を見上げながら、好きな音楽を聞いているとなんだか幸せな気分になった。

  
  10時過ぎラパス着。タクシーの運転手さんも知らない、何かの祭りで大通りが封鎖され、泊り先の連絡所まで1時間近くかけて着いた。仲間とスペイン料理を食べに行った後、サガルナガ通りに買いものへ。タリハにいれば食糧くらいにしか使わないお金だけれど、さすが高地ラパス、リャマやアルパカの可愛いセーターや色鮮やかなアイワヨなどいかにもボリビアらしい土産物がたくさん。どれも素敵で目移りする。かわいいニットのワンピースと甥っ子に縞の角つきニット帽を買った。今回はバスでゆっくり上ってきたせいか、さほど高地病で苦しまずにすんだ。途中で飲んだ薬もきいているのかもしれない。なんだかんだいってタリハも海抜1800m。多少は赤血球の数も増えているのかも!?それでもちょっとした坂を上るだけで息切れがして、その夜は早めに休んだ。


博物館入り口
 日曜日ゆっくり起きだして、ティワナク遺跡へ出かけた。Cementerio(墓所)前から出るミクロで約1時間半。到着してまずリャマ肉で昼食、博物館の見学をした。遺跡の入場料込で外国人は80ボリのところ、どこ出身?の問いかけにタリハと答え、Residencia(居住者)であることを示すIDカードを出して10ボリでいれてもらう。チケットは一枚の紙。行く先々の遺跡の入り口でチケットをチェックする係員に首を傾げられた。"Chapaquita"かと笑ってくれる人もいる。

 ティワナク文明は紀元前200年から紀元後1200頃まで続いたとされる、プレ・インカ文明の一つ。創造神ビラコチャへの信仰などインカ文明へ引き継がれてるものもある。子供の頃「太陽の子エステバン」というアニメがあった。話の筋は忘れてしまってインカ文明を題材にしていたのかですらあやしいけれど、エルドラド(黄金都市)、赤茶けた大地、ジャングルの中のピラミッド、空高く舞うコンドルやアンデスといった言葉はエキゾチックな響きをもって記憶に残っている。エルドラドがスペイン語のEl Dorado(The Gold)だと知った時は魔力が薄れたような気がしたものだった。マチュピチュの遺跡に行くことが許されていない今、ティワナク遺跡はあの頃の憧れを満たす場所だ。


 巨石文明として知られるティワナク遺跡。イースター島で、島に残された祭壇の石の積み方にインカの石積みの技術の影響が見られると聞いて以来、ますます気になっていた。エクアドルからチリ、アルゼンチンまで続く広大なインカ帝国の領土がサンチアゴから3700キロも離れたイースター島にまで渡っていたとしたら・・・。さすがにそれはあり得ないとしても、誰かが石積みの技術を伝えたとしてもおかしくない。イースター島にしげる葦は遺伝的にチチカカ湖のトトラ(Totora)と同じだとも聞いた。その石積みの技術を持った誰かは葦の種の入った袋を抱えていたかもしれない。人類学者ヘイエルダ―ルはポリネシア人は東南アジアからではなく南アメリカからの移住者だと信じ、ペルーからポリネシアの島へ筏による航海に挑戦し、成功している。彼の学説はは今ではあまり信じられていないらしいけれど、南米からの南太平洋の島へのコンタクトはきっとあったのだろうなと思う。前日連絡所で「コンティキ号漂流記」見つけたばかり。読むのが楽しみ^^。 

イースター島の石積み

ティワナク遺跡の石積み

 ティワナク遺跡はスペインの侵略後、教会や住居建設の際の礎に使われてしまったため、ほとんど原形をとどめないほど荒らされていたり、風化していたりする。しっかりとした調査を経ないまま復元してしまったため、本来の面影はないと言われたりもする。それでも残されている巨大な一枚岩で作られた太陽の門はじめとする建造物には迫力があり、きれいな石積みは美しかった。太陽の門の上部、ビラコチャ神の横に鳥人が彫られている。イースター島でモアイ像にもまして心を捉えた"hombre pajaro(鳥人)"の伝説。デザインは違うけれどもこれにも繋がりがあるのだろうか。

ビラコチャ神と鳥人

イースター島の鳥人

 遺跡は本当にとても静かだった。遺跡と並行に伸びる道を走る車は無音。風をさえぎるものもほとんどなく、訪れている観光客の声が稀に聞こえるのみ。見渡す限りほとんど何もないように見える大地を見ていると、1000年近く前に標高4000mのこの地に人々が系統だった社会をつくって暮らしていたことがとても不思議に思えた。おもしろい石があった。マイクロフォンのような役割を果たす。その前で話すとかなり遠くまではっきりと言葉が届く。集会時に、人々を呼び集める時に、使われたのかもしれない。この静けさならかなり遠くまで届いただろうと思う。

 帰りのミクロではボリビア人の親子と一緒だった。若いお母さんが息子に絶えず話しかけている。博物館入り口で渡されたチケットを取り出して話をしたりしているから、見学してきた遺跡のおさらいをしているのかもしれない。ボリビア人はあまり旅行をしない。どこどこに住んでいる親戚を訪ねることはしても、旅行という旅行をする人々は少ない。まだまだそれだけの余裕がないのだろうと思う。そんな中、卒業式前に様々な催し物をしてお金を集め修学旅行出かける高校生や、親子で近隣の遺跡に遊びにきた決して裕福には見えない母と息子を見ると微笑ましく感じる。自分の目で見て、聞いて、触って、感じる体験はやっぱり大事だと思う。プロジェクトにそういったファーストハンドな体験を組み込めるようにしたいと改めて思った。

太陽の門。6月23日アイマラの日には大勢が日の出を見に訪れた。

2011/07/06

タリハの防寒対策



冬休み直前、極寒の創立記念日 U.E. Carmen Meallaにて

 最近立て続けに怪我をしています。

 先日はwallybollという壁を使ったバレーボールをしにいったら、薬指をつき指しました。ただでさえ運動音痴、寒くて体の動きも鈍っている中、壁を使ってあっちこっち飛びまわるボールは見失うこともしばしば。増え続ける体重をなんとかせねばと出かけて行ったのですが。後半は少し慣れて、体が動くようになりました。同じグループの人にも助けられ、ちょっと頑張って今までは逃げていたボールに手をだしたらやってしまいました。幸いあまり使わない薬指。重いものをもったときだけ、うっときます。

 そして昨日は膝を酷くすりむく、アクシデント。寒いからサウナに行こう!との誘いがかかり、出かけました。このサウナ、先に行ってた友人が言うに閉まっていたそう。寒くて客がいないからという理由で。友人が交渉してあけてもらったらしく、寒いからサウナに行くんじゃないの?とひとしきり話題に。日本の温泉は裸で入る話(普通男女別だと断りをいれて)からヌーディストビーチまで広がり、友人はお母さんと最初は知らずに行ったところ男の人にぶつかられたとか。ヌーディストビーチにいく勇気なんて今の私にはまず絶対ないなと思いつつ、一番起こってほしくないねーと笑っているうちはよかったのです。客は私たち3人だけ。薪で暖めたサウナに入ってたくさん汗をかき、シャワーでそれを流して、ミストサウナへ。友人2人が先に外へでて、体をほぐしていた私がちょっと居残っていたら、入口で話しかける声。聞こえないので降りていったところ、最後の段でコケッ。真っ白でなにも見えないミストの中急いで降りたので、3段あるのを忘れて2段目で最後と思ってしまったのです。

 盛大にすりむいて血が一杯でて、サウナのオーナーのセニョーラもびっくり。アルコールをだして消毒してくれました。これが痛かったこと。ひえーってくらい沁みて。こんな怪我も久しぶりです。幸い単なる擦り傷。足を挫いたりしなくてしなくてよかったとほっ。喉が渇いたからナチュラルジュースでも飲みに行こうという友人の誘いは辞退して帰宅。帰ってからサウナではそれどころでなくなったシャワーを浴びて、大家さんのオルガがくれたクリームを塗り、ガーゼを貼ってその夜はベットにおさまりました。出かけたと思ったら怪我してくるのだから、こんな寒い時はベットでぬくぬくするのが一番よっとオルガにお説教されつつ。

 6月末から気温がぐんと下がって、天気予報でマイナス4度なんて言われる日もでてきました。一度は27日からと発表された冬休み、少し暖かくなったのを受けて7月11日からに伸ばしますと宣言されたもつかの間、再度気温が下がって結局4日からスタートで落ち着きました。途上国であるということに加えて、寒い期間が2ヶ月ちょっとと短いこともあるのでしょう、タリハには暖房のある家はそれほど多くありません。当然学校にあるわけもなく、寒くなると休みになるのです。去年来た頃は厳しい寒波に死者も出る程で、2週間冬休みが伸びて4週間になっていました。

 この寒さも2度目。去年の7月14日にタリハに着いた日は暖かくて家の前の木はピンクの花を咲かせていたのに、翌日一気に下がってマイナスに。一変に枯れていました。オフィスで震える日を過ごして、週末田舎に出かけてさらに体の芯から凍える思いをしたのでした。何年かぶりにしもやけをこさえたのも懐かしい思い出です。本当に寒い時はマイナス30度にもなるモントリオールでもここまで寒い思いはしたことがない!というほどの寒さを味わいました。建物の中に入りさえすればTシャツ1枚で過ごせる、セントラルヒーティングのすすんだカナダ。オフィスで1日体が暖まることのないまま過ごし、家に帰って尚寒いタリハ。

 というわけで今年は寒さ対策はばっちり!?

 冷える夜、大家さんは4つあるガスコンロを全部つけます。そしてコンロの一つにユーカリの葉をいれたお鍋をおいて煮たてます。ユーカリのいいにおいが家中に広がって素敵です。風邪を予防する役目もあるのだとか。タリハ県東部Gran Chaco(グラン・チャコ)は天然ガスが豊富。それもあってタリハは比較的豊かです。ガソリンでなくガスで走る車があることを知ったのもここ。ガスはとても安いのです。去年は黄色い大きなガスボンベに四角い網のようなものをつけ、それに火をつけて暖をとったりもしました。ちょっと怖いのですが。

私がはまっているのは足湯。エッセンシャルオイルを垂らしたお湯に足をつけるとぽかぽかしてきます。おばあさんみたいと笑われたりもしたけれど。シャワーをするときも洗面器にお湯をいれて足をいれるといいとアドバイスしてくれた人もいます。私の部屋の電気のシャワーは加熱力が弱くて、大層寒い。零下まで下がった日はガスで温めているオルガのシャワーを借ります。でなければ、4・5日はお風呂に入らずに過ごしているかも。

そして厚着。母の送ってくれたユニクロのヒートテックを2枚重ね、さらにセーターを着てカーデガンを羽織り、そしてコートを着ます。下はスパッツを2枚重ねてはいて、それからジーンズをはく・・・と。冬休みの職場はデスクワーク。これくらい着込まないと耐えられないのです。夜はポンチョとマフラー、厚手靴下が大活躍。

動くことも大事。本を読んだり、コンピュータに向かったりでじっとしてると冷えてきます。そんなときは掃除、洗濯、料理、何かをして体を動かすこと。ただこれにも限界はあって、芯から冷え切った体はどんなに動いても暖まらないこともあります。そういう時はたくさん着込んでベッドに入るしかないのです・・・湯たんぽがいいと聞いて探しているけれどまだ出会っていません。

最後にホットワイン。15ボリ(200円)だせば買えるタリハワイン。ちなみにチリワインなど外国産になると50ボリ(700円)から数百ボリと高くなります。ボトルを買ってきて鍋にワインとシナモンを入れてあたためます。タリハではオレンジの皮を入れるけれど、私はリンゴやオレンジを小さく切ってポンチにするのが好きです。オルガは牛乳を暖め、ティーバックをいれてチャイ風にしたものにSingani(シンガニ)を垂らすTé con té(テ・コン・テ)が好き。シンガニはぶどうから作る蒸留酒で、ワインと並んでタリハの名産です。この冬も何度か作ってくれました。

 こうやって寒さ対策をあげていくと先人の知恵みたいなものを感じます。電気をいっぱい使ってガンガン暖房をつけるのはもうはやらない!?石器時代に戻るのは無理だけど、ないならないで小さな工夫をしてちょっと地球に優しくなれる気がします。便利なものがあり過ぎるのもよしあしだなーとベットの上で冷たくなった鼻を温めつつ思ったりしています。

ボリビアに来て1年。寒さについて語るとより実感が増します。意味するのはこれから過ごす1日1日が2度と帰らない日であること。ボリビアであろうとなかろうと、同じ日なんて1日とてないのだけれど、ひどく毎日を大事にしたい気にかられます。というわけで、とにかく誘われたらなるべく出かけるようにしようと決めた矢先のアクシデント。薬指と膝と親知らずが痛むさむーい夜でした・・・


お世話になっている先生方(真ん中白髪の方が初代校長、その右隣が現校長)