2010/12/05

恵みの雨


コンポスト始めました!.


 12月4日土曜日夜、雨が降りはじめた。
10月には降リ始めていなければならなかった雨。少し降ってはすぐやんで、がっかりさせてきた雨。それがようやく!大粒の雨がしっかり地面をたたいている。乾ききった大地が水を吸い込む音が聞こえるよう。
雨の音がこんなに嬉しいものとは。水不足は深刻。川は干上がって、悪臭をはなち、野菜や肉は値上がり。オルガの家はビルの屋上にタンクを乗せているからさほど不便を感じることはなかったけれど、レストランや普通の家では午後になると水がでなくなる。トイレも流れないしシャワーも浴びれない。料理も全てためておいた水を使ってするしかない。そんな生活が1ヶ月あまり。

 この日同期のちーちゃんが職場のAsado(parilladaともいうバーベキュー)に呼んでくれた。風邪でバイオリンのレッスンをさぼった翌日。このままぐずぐずしていてはいけないと思いきってでかけた。井戸堀り、維持、管理など水のインフラを扱う県の部署。おじさんたちがたくさん、大量のCarne(肉)をどんどん焼く。ワインやシンガニのボトルが次々あけられて。

 学校でコンポストを始める企画を話してたら、ちーちゃんのカウンターパートJuan Manuelがプロジェクトで使っているみみずを分けてくれるという。ありがたい!今私のコンポストにいるのは魚釣りのお店で買ってきたこの土地のみみず達。もちろんそれでもコンポストはできるんだけれど、質と早さという点ではやっぱりプロのみみずにきてもらうともっとよいはず。彼らはさらに太くて大きいというから、ちょっと怖い気もするけど。今でも土に手を入れてかき混ぜる時、みみずがくるくる動くとどきどきする・・・でも子供たちはきっと大丈夫なはず!


この3倍は焼いたと思う。


 昼間いったんやんだ雨は日曜の夜、再び降り始めた。
ニュースを聞きながら掃除。 最近気になるのはCOP16のニュース。
あのメキシコであってメキシコでないような、でもあくまで美しいカリブの海で各国が国益をかけてせめぎあっている。190国あまりが、60億人を超えるの人間の思惑を背景に。
そんな中、日本は京都議定書の延長拒否を表明。物議を醸している。アメリカや今や急速に発展しつつある中国はじめとする新興国もCO2削減の義務を負うべき。世界中ができるだけの努力をすべき・・・。その主張は正しい。なのにこのもやもやはなんだろう。京都出身だから???

 それもあるかもしれない。アジア人であること、日本人であること、京都人であること、どこどこ大学出身であること・・・。1人の人間がもつアイデンティティ。アメリカが批准しなかったことによって完璧とはいえない京都議定書だけれど、気候変動問題におけるこの議定書の役割は大きく、認知度も高い。そこに京都の名がついていることはなんだか嬉しいことだったりする。それは日本の技術力の高さを褒められたりする時の嬉しさと同じ。国外にいると日本が抱える外交上の問題に特に敏感になる。自分が所属する国に対して不利益が行われるかもしれないと思うとやはり平静ではいられない。でも人がこうして自らの出自や民族、人種、宗教にこだわるかぎり、歩み寄ることは難しいのかもしれない。故郷を思う純粋な気持ちはあくまで美しいものだけれど。

 人間であること、地球人であること。
日本の正しい主張が本当にこの立場に基づいたものなのかどうか、全てはそれにかかっている気がする。自国に少しでも有利な条件で条約を締結できるように各国がしのぎを削る中でナイーブすぎるのかもしれないけれど、それこそがそもそもCOP16の意義なのだから。不公平だから、ではなく、地球という人類が住む一つの国としてその構成員たる先進国も新興国も途上国も協力してこの星を守っていく道を探る立場から、交渉してほしいと心から願う。

 雨の音が気持ちいい。草や木が喜んでいるのが伝わってくるよう。
すっーと涼やかな空気が流れこんでくる。ちょっと気分をだしたくて、バイオリンを弾いてみた。ここ1月あまり弾き続けているChakareraは今月13日にある発表会用。3人のグループで弾く一番緊張する場面になるはず。Chakareraばかりでは物足りなくなって、以前「みんなの歌」からコピーさせてもらった曲を弾いてみた。「エーデルワイス」「今日の日はさようなら」「グリーングリーン」「翼をください」・・・そしてジブリの曲。「いつも何度でも」「君をのせて」「カントリーロード」。雨音に紛れてまわりを気にせず弾ける。うまく弾いた気になれて。ついでに歌ってみる。いい気持ち。

 傍らには昨日作った抹茶のシフォンケーキに、ミントとマテと生姜のお茶。
混ぜる順番を間違えて全然ふくらまなかったけれど、もちもちしてこういうものと言われたらおいしくないこともない・・・。さ来週の日本祭りにだせるだろうか。