7月16日、ラパスの日のムリリョ広場(Plaza Murillo) |
美術館が集まるハエン通り |
医療保険問題で座り込みをする Choritaさん達 |
初めての本格的歯科手術。色々と怖かった。それでも、私はこの国で最高級の治療を受けたのだと思う。今回の治療費だけでボリビアの普通の公務員の給料1カ月分にあたる。徳島大で博士課程までとった歯医者さんは、おかしな日本語でごめんね、といいながらも会話は全て日本語で進め、家とは反対方向に送ってくれる車の中で恐縮していると、外国で困った時の気持ちはよくわかるからと全く気にした風もない。患者に対する穏やかでフレンドリーな態度はこの歯科医院で働く全ての歯科医や看護師に共通している。日本の医療事情とて必ずしもよいと言えないけれど、サンタクルスで看護師をする友人や普通の医療機関で診療を受けた経験のある友人から話を聞くと、サービス精神(実はあまりこの言葉は好きでないけれど)がないこの国で医者が当然のように行う患者に対する心ない行動は基本的なレベルで信じられないようなことが多い。 患者の尊厳を大事にするお医者さんの治療が、それを可能にするシステムが、市井の人々の手に届くまでどれくらい時間がかかるのだろうと思う。そして、素晴らしい歯医者さんの治療を受けることができることに感謝する気持ちと共に、どこか申し訳ないような気がしている自分もいた。
そんなちっぽけな思いを吹き飛ばしてくれたのは、抜糸した夜に出かけた、ロビン・ウィリアムズ主演の映画で知られるアメリカの医師、パッチ・アダムスの講演会だった。講演は2日、1日目は野外で100ボリ(1人に対し1人の学生や子供が無料で講演に参加できる仕組み)、2日目はHotel Radissonで550ボリという入場料。私たちは当然?1日目に出かけた。7時半開始のはずが、いつものごとく時間になっても会場の前にはよくわからない行列がくねくねとできている。友人達が列に並んでくれている間、風邪をひいている友達と歯が痛い私と、2人少し離れた高台に座って、このカオスを眺めた。せめてロープくらいはればいいのにと感想述べながら。さらに、そろそろ入口に近くなったかと思われた頃、青いチケットを持っている人(私達の色)は違うラインらしいと同じ色のチケットを持っているおばさん達がいいだして、みんなで列を抜け出して青チケットの入り口を求めてさまようことになった。2つくらい別の列に聞いても、黄色だ、緑だと違って、ようやく会場をぐるりと回ったところにある列が私達のだとわかった。結局私達が並んでいたのは、無料で講演を聞きに来る人達用の列だったのだ。と、なんやらかんやらあったものの、無事に席に着き、あとは主役の登場を待つばかり。午後9時。
パッチ・アダムスの話を聞いている時、聴衆のボリビア人の反応はとてもよかった。パッチ・アダムス自身が彼の話す内容通り、行動の人であり、それによって幸せである人だから、説得力もあるのだ。けれども、一方で少し首をかしげてしまった。映画にでてきたお医者さんということと軽妙な語り口が受けているので、もしかしたらボリビアの人々にとっては何を当たり前のことを言っているのだろう・・・という内容だったかもしれないと。私達がいた100ボリ席にいる少数のWesternizeされたインテリボリビア人は別にして。パッチ・アダムスのいう幸福と不幸の尺度はアメリカや日本に当てはめたらとても低いだろうけれど、ボリビアに当てはめたらきっと高い数値がでるに違いないと思う。
ブータンが一位となったGNH「Gross National Happiness」(幸福度指数)。ボリビアも高い順位にくるのではないだろうか。「健康」、「家計」、「家族」、この3つを重視する日本に対し、ブータンの人々が第一においたのは「人間関係、隣人関係、家族間の交流」だったという。だからこそお金がなくとも、よい医療制度がなくとも、幸福度が高くあり得る。ボリビアを”貧しく、社会制度の整っていない”途上国として、色眼鏡でみている自分がまだいるのかもしれないと戒める思い。ボリビアの医療制度も、お医者さんや看護師の質も、もっとよくならないといけない。そのほかのあらゆることと同様に。ただ、システムが整って行く過程で、今存在する自然な互いをいたわるパフォーマンスが、心から切り離された機械的なものに変わってしまうことがなければいいなと思う。