2011/08/03

ボリビアの歯医者さんとパッチ・アダムス

7月16日、ラパスの日のムリリョ広場(Plaza Murillo
大統領府まで行進するエボ・モラレス大統領


 ラパスへきた第一の目的は歯医者さん。二ヶ月前から定期的にしくしく痛み始めた右下の親知らず。大家さんのオルガの息子は歯医者だからレントゲンをとってもらったところ、斜めにはえていて横の歯をおしている、早めに抜いたほうがいいとのこと。ただでさえ、抜くのが嫌で残りの3つの親知らずをはえるままにし、なんとなく前歯がでてきたような気がしてた頃。一大決心をして抜歯することにした。ラパスには日本で勉強し、働いたこともある、日本語を話す歯医者さんがいるという。歯だけは丈夫でめったに行ったことのない歯医者、何かがあった時のためにも、ラパスで治療を受けようと決めたのだ。


美術館が集まるハエン通り
 ティワナク遺跡から帰った翌日月曜日午後の予約に合わせてソナ・スル(Zona Sur)に出かけた。冬休みの連絡所、同期が大勢集まってわいわい、朝方5時頃まで飲んで、歌って、怪談をしてと学生みたいなことをして過ごした。そんな中親知らずを抜く怖さをたっぷり脅かされたから、どきどき。ラパスで陶磁器を教えている友人に付き合ってもらった。ソナ・スルは中心街よりミクロで約30分、さらに標高が低い、高級住宅が立ち並ぶおしゃれな地域。出かけた病院はきっとお金持ちの人しかいけないと思われるきれいで整った設備を備えた気持ちよいところ。いよいよ抜くんだ、覚悟していたら、今日はレントゲンをとりにどこどこへ行って来てねと言われる。明日の朝血液検査をして(これも別の場所で)、結果が大丈夫なら(きちんと凝血するなら)夕方手術するよと。ボリビアのお医者さんにかかるのは初めてだけれど、友人たちの情報によるとボリビアでは検査のため、その結果を受け取るため、薬をどころか注射を買うため!?と患者は結構あちこち行かされるらしい。痛みに苦しんでいたり、しんどい時には当然のことながらかなりつらい。けれどさすが?ソナ・スルの歯医者さん、地図を見ながらふんふん言っている私をみて心配になったのか、自分の車でレントゲンをとりに連れて行ってくれた。

 そして、翌日血液検査時、同じようにしてくれた上、夕方親知らずを抜いた後は泊り先まで送ってくれたのだった。もちろん、手術が2時間半近くかかって終わった時は9時を回っていた上、この日エルアルト(El Alto)ーオルロ(Oruro)間でデモ封鎖があり、市内にガソリンが入ってこなくなって、タクシーが動いていないという事情もあったのだけど。親知らずの根っこが神経から3mmほどのところまで届いているから、無理やりぬくと後から非常に痛むからということで、少しずつ削っていく方法をとってくれたよう。休憩もあったけれど口をあけているのに疲れたし、何をされてるのか最初のうちはわからず、麻酔をかけているから感覚はないはずなのに、ぐらぐら歯をゆすられる度に神経に振動が届き、ここで抜かれたら泣くかも・・・。すぽーんと抜けますようにと祈りながら時間が過ぎていった。そのうち何回もレントゲンを撮りながら手術が進められるようになって、ようやく何が行われているのかがわかった。レントゲンを見てもピンとこず、いつ抜けるのはだろうと思っていたら、後もう少しだから頑張ろうね、と言われた。よく見れば、白く映る他の歯に比べて問題の親知らずは薄黒い影の様。先のほうだけが白っぽい。極先っぽはあまりに神経に近すぎるから残すけれど、問題ないだろう、これで終わりだよと言われた時はほーとため息をつく思いだった。


医療保険問題で座り込みをする
Choritaさん達
 初めての本格的歯科手術。色々と怖かった。それでも、私はこの国で最高級の治療を受けたのだと思う。今回の治療費だけでボリビアの普通の公務員の給料1カ月分にあたる。徳島大で博士課程までとった歯医者さんは、おかしな日本語でごめんね、といいながらも会話は全て日本語で進め、家とは反対方向に送ってくれる車の中で恐縮していると、外国で困った時の気持ちはよくわかるからと全く気にした風もない。患者に対する穏やかでフレンドリーな態度はこの歯科医院で働く全ての歯科医や看護師に共通している。日本の医療事情とて必ずしもよいと言えないけれど、サンタクルスで看護師をする友人や普通の医療機関で診療を受けた経験のある友人から話を聞くと、サービス精神(実はあまりこの言葉は好きでないけれど)がないこの国で医者が当然のように行う患者に対する心ない行動は基本的なレベルで信じられないようなことが多い。 患者の尊厳を大事にするお医者さんの治療が、それを可能にするシステムが、市井の人々の手に届くまでどれくらい時間がかかるのだろうと思う。そして、素晴らしい歯医者さんの治療を受けることができることに感謝する気持ちと共に、どこか申し訳ないような気がしている自分もいた

  そんなちっぽけな思いを吹き飛ばしてくれたのは、抜糸した夜に出かけた、ロビン・ウィリアムズ主演の映画で知られるアメリカの医師、パッチ・アダムスの講演会だった。講演は2日、1日目は野外で100ボリ(1人に対し1人の学生や子供が無料で講演に参加できる仕組み)、2日目はHotel Radissonで550ボリという入場料。私たちは当然?1日目に出かけた。7時半開始のはずが、いつものごとく時間になっても会場の前にはよくわからない行列がくねくねとできている。友人達が列に並んでくれている間、風邪をひいている友達と歯が痛い私と、2人少し離れた高台に座って、このカオスを眺めた。せめてロープくらいはればいいのにと感想述べながら。さらに、そろそろ入口に近くなったかと思われた頃、青いチケットを持っている人(私達の色)は違うラインらしいと同じ色のチケットを持っているおばさん達がいいだして、みんなで列を抜け出して青チケットの入り口を求めてさまようことになった。2つくらい別の列に聞いても、黄色だ、緑だと違って、ようやく会場をぐるりと回ったところにある列が私達のだとわかった。結局私達が並んでいたのは、無料で講演を聞きに来る人達用の列だったのだ。と、なんやらかんやらあったものの、無事に席に着き、あとは主役の登場を待つばかり。午後9時。

 そして登場したパッチ・アダムス。パジャマのようなピエロのような奇抜な格好。軽快でユーモアたっぷりの話しぶりで1時間。あきさせなかった。英語で話す彼についていたスペイン語への通訳者も絶妙の訳しぶり。パッチ・アダムスの話しぶりにつまったエネルギーを上手にうけて伝えていた。英語とスペイン語の両方を聞いていると今更ながら語順が同じというのは楽だなあと思う。今回の通訳者さんはプロの方なのだろうけれど、たとえプロでも日英の通訳に感じることのある、ある種の緊張がほとんど感じられない。安心して聞いて、笑っていられる。そしてこの通訳者の余裕?を見てとって、パッチ・アダムスも盛り上げどころに利用したりして楽しいトークになった。


 パッチ・アダムスは自分自身が自殺未遂を起こし、精神病院に入っていた時期がある人。そこでの精神病患者との交流から笑いと幸せであることが医療に不可欠だと感じるようになった。その後医学部に入り、医者は権威ある存在でなければならないとする学長と対立しながらも、自らの信じた医療を施すべく診療所をたちあげ、保険の網からもれた人々の治療にあたる。変人扱いしていた周りの学生も徐々に彼に同調し、協力するようになる。そんな時、協力者で恋人でもあった女性が思わぬ死をとげ、責任を感じた彼は無力感にさいなまれるが、仲間に、そして患者に救われ、最後に学生でありながら医療行為を行ったと糾弾する学長に対して持論を述べ、大学の医学会と学生の支持を得て無事卒業していくというのが映画のストーリー。(前日予習でみたから、だいたい正しいと思う。)

 パッチ・アダムスにとって幸せとは内的な平和のことではなく、行動そのものである。幸福はある特定の一瞬にあるのではなく、何かに対する褒美としてあるわけでもなく、今自分が存在するこの場所にある。よく言われる幸福の追求なんてことはあり得ない。人は生まれながらにして幸せなのだから。幸福とは、幸福であろうとする意図、その意図をどう表現するかというパフォーマンス、そしてその結果だ。結果がよくなければ、つまり幸福でなければ、パフォーマンスを見直せばよいのだ。アメリカのような問題を抱えた社会の典型的な症状は孤独と恐怖だ。孤独をいやすのは愛し愛される喜びを与えてくれる友人であり、恐怖を克服するのは所属感を与えてくれる共同体の存在である。ミアキャットの例。仲間が巣穴からでて太陽のもとで楽しんでいる間に、敵がいないか見張る役目のミアキャットが必ずいる・・・。そして創造性と愛。これが友人、共同体・・・人間関係のカギ。

 この人間関係における創造性と愛、友人と共同体の存在。たとえ、貧しくとも、システムが整わずよい治療が受けられなくとも、医者が多くの場合恐らくやむを得ず患者に冷たい仕打ちをしても、ボリビアにあって、パッチ・アダムスがいう病んだ社会であるアメリカや日本に希薄になりつつあるのはこれだと思う。美化するつもりは毛頭ないけれど、ボリビア人が友人を、家族を、時にはわずらわしがりながらも、大切にする姿は心打たれることが多い。職場SEDUCA前、暑い日も寒い日も午後にはやってきて、薄い教育関係のブックレットを並べて売るお母さん。小学校高学年のお姉さんがいつも小さい弟の面倒をみにきているし、高校生のお兄さんは学校帰りに店じまいを手伝いにやってくる。向かいにお菓子のスタンドをだすサンドラおばさんのところにも小学生の息子がしょっちゅう手伝いにきている。大家さんのオルガはたとえ、疲れてベッドに入った後でも、ウィークデイの夜遅くに話をしにくる友達を追い返したりはしない。妊婦さんや足元の弱いお年寄りがバスにのってくれば若者がすっと立って自然に席を譲るし、乗降の手助けをなんの照れもなくやってのける。例をあげだしたらきりがない。幸福であろうという意志とその表現。ボリビアの人々はそれに優れている気がする。それにかけるエネルギーと時間をおしまない。幸福を追求なぞしなくとも、ボリビアの人々は生そのものを楽しんでいる、そんな気がすることもある。

 パッチ・アダムスの話を聞いている時、聴衆のボリビア人の反応はとてもよかった。パッチ・アダムス自身が彼の話す内容通り、行動の人であり、それによって幸せである人だから、説得力もあるのだ。けれども、一方で少し首をかしげてしまった。映画にでてきたお医者さんということと軽妙な語り口が受けているので、もしかしたらボリビアの人々にとっては何を当たり前のことを言っているのだろう・・・という内容だったかもしれないと。私達がいた100ボリ席にいる少数のWesternizeされたインテリボリビア人は別にして。パッチ・アダムスのいう幸福と不幸の尺度はアメリカや日本に当てはめたらとても低いだろうけれど、ボリビアに当てはめたらきっと高い数値がでるに違いないと思う。

 ブータンが一位となったGNH「Gross National Happiness」(幸福度指数)。ボリビアも高い順位にくるのではないだろうか。「健康」、「家計」、「家族」、この3つを重視する日本に対し、ブータンの人々が第一においたのは「人間関係、隣人関係、家族間の交流」だったという。だからこそお金がなくとも、よい医療制度がなくとも、幸福度が高くあり得る。ボリビアを”貧しく、社会制度の整っていない”途上国として、色眼鏡でみている自分がまだいるのかもしれないと戒める思い。ボリビアの医療制度も、お医者さんや看護師の質も、もっとよくならないといけない。そのほかのあらゆることと同様に。ただ、システムが整って行く過程で、今存在する自然な互いをいたわるパフォーマンスが、心から切り離された機械的なものに変わってしまうことがなければいいなと思う。