2011/11/16

ボリビアに来て増えたもの・・・


横で遊んでるチェパとマリア・リリア
DELEのテキストを広げつつも、角のパン屋さんで売っているおいしいEmpanada de Quesoをかじり、コーヒーを入れに立ちあがったと思ったら、甘いものがほしくなってチョコレートを取りに行く・・・。ふと、お腹をみてやばいなーと思いました。ボリビアに来て増えたのが体重、だけでは悲しすぎると思うので、他に増えたものを考えてみました。ちょっとではなく、かなり現実逃避。


 まず、スペイン語の語彙。これは、増えれば増えるほどいいもの(^^)それでも今のところやっぱり英語におんぶにだっこしている感はぬぐえません。かの昔、フランス王室とイギリス王室との密接な婚姻関係から英語の語彙に多くのフランス語の語彙が加わりました。ラテンを起源とするそれらの言葉は同じくラテン語族に属するスペイン語にも通ずるわけで、英語の単語をローマ字読みし、すこし語尾をスペイン語風にすると意外に通じてしまうのです。身振り手振りをつけると鬼に金棒?かといって、むやみに使えるわけではなく、例えば英語のI’m embarrassedをスペイン語で言おうとしてEstoy embarazadaなどとすると「妊娠してます」の意味になって、場合によってはすごく恥ずかしい思いをするから、気をつけないとだめなのです。


 それでも困った時のなんとかで、この英語をスペイン語風にしてみるという技?はよく使っていました。けれども、ここのところDELEの勉強をしていて、なまじそれで通じる(これは必ずしも正しいスペイン語になっているというわけではなく、聞いたボリビア人が意味を推測してくれている場合が多い)ばっかりに自分で語彙を増やそうとする努力を怠ってきたのではないかということに気付きました。なんせわからない単語が多くて問題をやればやるほどもうだめだ感が増してきます。英語からスペイン語への回路は良かれ悪しかれできているけれど、スペイン語から英語への回路が出来ていないというのもあるかもしれません。辞書で意味を調べて、なーんだということもしょっちゅうです。Inmediatoが英語のimmediateだったり、legítimaがlegitimateと同じ意味だと気付かなかったりするとがっくし。しかもそれが解答する際のポイントだったりすると・・・。と書いているだけでちょっとストレス。もう少しこつこつ単語を覚えていかなければと反省しつつ、それでも1年前に比べたら語彙が増えているのは確かで、これはやっぱり嬉しいことです。


 それから、趣味。履歴書にすら趣味を書く欄はあるけれど、私は長いことここに読書、音楽鑑賞と箸にも棒にもひっかからない?なんとも非個性的なことを書いてきました。尤も読書に関して言えば、これは本当に自分にとってはなくてはならないもので、本を読むという仕事があったら絶対それについていたと思います。それでも読書は読書。何も目新しことはありません。ちょっとはスポーツをするところを見せないとだめかも、という気持ちになったときだけ、水泳かテニスをつけたしてきました(水泳はともかく、テニスは・・・)。就職して趣味欄を書く必要がなくなってから、それに茶道が加わり、そしてここへきて、バイオリンが加わったと思います。ちょっと勇気をだして、フォルクローレダンスとも書きたいところです。特に長いスカートをひるがえして踊るチャカレラは音楽ともに大好き。バイオリンで弾けるチャカレラのレパートリーも少し増えました。とは言っても、チャカレラはビブラートとリズムが命。音だけおさえられても本当のチャカレラとはいえません。まだまだ音楽が体に沁み通っていなくて、長き道程です。それでも練習が楽しいのだから、どうどうと趣味と書いてもいいだろうと思います。

  カナダから戻った後、なにか日本文化を身につけたいと通った茶道は習い始めて8年ほど。ボリビアにいる今お稽古にはいけないけれど、教室からの便りを読むにつけ、畳の部屋でお釜のしゅんしゅんいう音に耳をすませ、いい匂いのお抹茶をいただきながら、色々な話を聞いたあの時間を懐かしく思います。幸いなことに日本に帰りたいと思うことはそれほど多くないけれど(帰りたくないというのではなく)、日本に帰ってからのことを考える時、家族や友人との再会を別にすると、第一にしたいと思うのはお茶のお稽古に行くことです。そしてそのころ日本にいながら、一番恋しく思うのは、ボリビアの友人やホームステイ先の家族を除いたら、きっとチャカレラの音楽とダンスだろうと思います。チャカレラに限らず、ボリビアの音楽と踊りは働き先の学校でもほんとによく目にし、耳にしているから、この音楽を聴くだけで、恥ずかしげに、あるいは堂々と踊る子供たち、高校生たちの笑顔が思い浮かぶ気がします。


 そして最後に。先日、仲間にボリビアに来てよかったことは何?と尋ねました。その人は自分のやりたいことが見つかったと言いました。自分がやりたいと思ってやってきたことは少し違っていたこと、もっと人間と関わる仕事をしたいということに気付いたことを、具体的にこれから進みたい方向を交えて話してくれました。彼が同じ質問をしてきたとき、私は少し考えてからオープンになったこと、と答えました。ちょっと抽象的で、これを増えた、減ったと言えるものなのかはわからないけれど、オープンになったということは心の許容量が増えたということだと思います。この会話より少し前、別の友人と話していた時、彼が「今のマークがあの頃のマークだったら」もっとずっと素晴らしい仕事ができただろう、と言いました。情熱を持って現在の仕事に取り組んでいる彼もそんな風に以前の仕事を懐かしむことがあるそうです。今の自分があの頃の自分だったら。私が彼のようにはっきり言い切れるとしたら、「今の私があの頃の私だったら」もっとずっと色々なことを学んでいただろう、ということだと思います。そして、それは心の容量が増えたからだと思うのです。


チョビ。この子に会うといいことありそう。
 そんなことを考えてみると、なんだかとっても幸せな気持ちになりました。人は自分が変わった、と思える瞬間が一番しあわせなのではないかと思います。もちろん、この「変わった」感はとても流動的で、小さくて、臆病で、傲慢で、見栄っ張りで、努力が苦手で、自分に甘くて、人に厳しい、なんとも情けない自分像にがっかりすることは、次の瞬間にでも起こりうることなのだけれど、それでも人は自分が成長した、何かを得たと実感することで、物質的に豊かになったときよりずっと幸福を感じるのではないかと思います。それはきっと初めてハイハイから立ちあがって歩き始めた時(覚えてないけど)や1人でサマーキャンプに出掛けた日、初めて友達同士で夜の街に出かけた時の気持ちと似ているのでしょう。

 人と関わる仕事をしたいと仲間が語ってくれたとき、自分の仕事を思いました。大学生の頃図書館にでも勤めようかなと言った時、母はあなたみたいに本にばかり首をつっこんでいる人が図書館なんかに勤めたら本当の人間嫌いになるわよ、と言いました。逆に本嫌いになったかもしれないよと思うこともあるけれど、この母の忠告を聞いたのかどうか、結局教育学を専攻してたいそう人と関わらなければならない職業につきました。あまたの失敗と挫折の歴史だけれど、この仕事から学んだことは大きくて、やっぱりやっていてよかったなと思うのです。これからの自分がどのようにこの職業と関わりたいのか、そしてどう生きていきたいのか、少しやわらかくなった心で考えたいと思います。

 後残り7ヶ月、何が増えていくだろうといい気持ちを膨らませている横で、DELEの本が呼んでいます。本は本でも、幸せ気分もふっとんでしまう憂鬱な本ですが、今は大事な先生。もうしばらく仲良くしようと思います・・・

テラスより