「僕はね、自分の分身がほしいと思うことがあるよ。」
日本に5年住んで、数年前にタリハに戻ってきた友人家族の息子ルイス君10歳のかわいい言葉です。「1人はここタリハに住んでいて、もう1人は日本にいるんだ。で、僕はその二つを行ったり来たりする。もう一人増やしてアメリカに住むのもいいな。」最後はアメリカンロック好きのルイスくんらしい言葉。ボリビアでの日々も後3ヶ月となって、軽く帰国ブルーにはいっている今日この頃。1月は行き、2月は逃げ、そして3月は去りつつあり・・・。なかなか追いつけないけれど一瞬一瞬のかけがえのない時間を少しでも言葉にして残していきたいと思います。
翌日2月18日、本番。標高3700mのかつての鉱山の町。いつもどんよりと憂い顔だけれど、カーニバルのときは一変。ボリビア中から踊りのチームが集まり、朝早くからありとあらゆるボリビアのフォルクローレを踊りまくります。カーニバルで踊るためには厳しい審査を通り抜けなければならないこともあって、踊りはもちろん衣装にも気合をいれて参加します。コリマッタスは1980年代から参加を始めた総勢200名のグループ(それでも小さいほうだそう)。私たちはこの一員としてだからカーニバルに参加させてもらえるのです。2時ころに踊り始めるはずが相変わらずのボリビア時間、エントラーダ(入口)に入ったのは夕方4時。ここから2時間あまりノンストップ。休んだりなんかしたらそこ踊れ~って言われたりもするから、踊り続けないといけないよと警告されていたからちょっとドキドキ。幸いぎらぎらした太陽がかげって快適に。
いざ入場。踊り始めたら沿道からの応援がすごい。踊りはサンポニャーダといって斜めにとッとっと、反対方向とっとっと、笛の合図でくるくるというたいそうシンプルなもの。ステップの数も多くありません。もちろん、全員が揃って踊るためにはある程度の練習が必要なのですが、そのあたりは日本人ということでご愛嬌。とっとっとーと観客席に近づくと大喜びしてくれるのでとにかく笑顔を振りまきます。ときにはビールをふるまわれ、ときに写真を一緒にとってくれとせがまれながら、徐々に沿道をすすみます。と、「大統領!」と誰かの声。見ると人の少ない観客席にエボ・モラレス大統領がいました。そしてなんと私たちの呼びかけにこたえて、沿道へおりてきました。一時大統領と手をつないで輪になって踊って、ちょっとミーハーな気分を味わいました^^。タリハに戻ってから、テレビに映ってたわよ~と学校の先生達に言われました。この時のものかな?



