2010/11/14

バイオリンとダンス

 
 ボリビアへ来て5ヶ月、ブログを始めて5ヶ月。昔の友人、お茶仲間、前の職場の同僚、駒ケ根やボリビアの同期からちょこっとくる、読んでいるよのメッセージは思わぬ喜びを与えてくれています。自分のためだけのジャーナルとは違い、読んでもらうことを意識するブログはまた違ったものの見方を与えてくれる気がします。なかなか返信できないメールの変わりに、そしていつかこの記録を読み返す時に意味のあるものになりますように。

 ジャーナルもそうだけれど、旅行の記録がどうしても多くなりがちです。もうボリビア生活の大半はタリハでのものなのに、サンタクルスの記録の方が多いのはそのせい。それだけタリハが生活の場になっているということだけれど、当初の新鮮な気持ちを忘れかけているのかもしれないと反省も。

ある朝の通勤風景
 タリハでの普段の一日。7時起床。7時45分歩いて15分の職場へ。8時~12時まで職場。12時過ぎ家へもどって昼食。途中でメルカドによって買い物をすることも。14時半~18時半まで再度職場。SEDUCAで一日過ごすこともあれば、午前中もしくは午後だけ学校やEMATへ打ち合わせや授業見学、時には生徒に話をしに出かけたりすることもあれば、一日田舎の学校で過ごしたりすることも。そして、夜はバイオリンとダンスのクラスへ。週3回。何もない夜はオルガとおしゃべりしたり、孫娘マリア・リリアと遊んだり。テレビを見て、メールをして、本を読んで。週末はオルガの家族と過ごしたり、踊りにいったりしています。EMATの人たちに誘われて近くの川の掃除をしたり、バスで3時間の町Entre Riosへお祭りを見に行ったことも。

Entre Rios 伝統衣装Tipoiを着た人々
 
いざ戦いへ 馬が素敵!

オルガの妹の家で豚をつぶした日

何一つ無駄にしない

 なかでも大きなウエイトをしめるのが、バイオリンとダンス。
 もともとボリビアに行くならチャランゴ(Charango)をやりたい、と漠然と思っていました。それしか知らなかったというのもあるけれど、チャランゴはアルマジロの甲羅でつくられることもあるいかにもボリビアらしい楽器。日本人のチャランゴ奏者が活躍するLos Kjarkasの哀愁を帯びた音楽への憧れもあって☆ところが、タリハに着いてチャランゴというと、皆口を揃えてそれはあっち(北部、ラパス周辺)のもの、タリハはギターかバイオリン!といいます。アルゼンチン国境に近いタリハのフォルクローレはアルゼンチン舞曲と似通っているよう。

 バイオリンという選択肢は思いがけぬものでした。大好きなバッハを聞くたびに弾けたらいいなと思い、なぜか心を捉えるアイルランド音楽でもバイオリンは大事な楽器。モントリオールのアイリッシュ・パブで聞いたセッションは自由で楽しげで、そしてどこか郷愁を誘う忘れられないもの。あの音色を奏でられたらと何度も思いました。それでもどこか敷居が高かったバイオリンをここで習うことになるとは。Santa Anitaではじめてこの優美な楽器を手にしたときはとても幸せでした。

Tarija市内中心部にあるLa Escuela de Bellas Artes。
バイオリン(クラシックからフォルクローレまで)、ギター、Chunchoで鳴り響くカーニャ(Caña)などの楽器のほか、歌や踊りや絵画美術も学べる芸術学校です。
まずは弓の持ち方、音の出し方などの基本から。
NHK交響楽団のコンサートマスターを務めた父を持ち、弟もバイオリニストである黒柳徹子が言っていた言葉が今はよくわかります。一度だけバイオリンを始めたけれど、耳元であまりにキーキーうるさいからすぐやめました、というもの。たしかに、耳に一番近い楽器・・・そしてきれいな音を出すのはなんて難しいこと!

それでも、初めてタリハの代表的フォルクローレ、チャカレラ(Chakarera)が弾けた日は大感激。
チャカレラは6/8拍子、アルゼンチン北西部サンティアゴからグラン・チャコ(Gran Chaco)地方中心に盛んな、リズミカルなギターとのびやかな歌声にバイオリンを加えた陽気で軽快な音楽。もともとは牛や馬の世話をする牧童たちから生まれた音楽です。
曲名はEl Tio Pala。
Chakarera

 この頃ほぼ同時期に始めた踊りもなんとか形に。一番始めに習った踊りもチャカレラです。両手をまっすぐに開いて上に掲げ、男性は乗馬靴を地面に叩きつけるように踏むzapateoを織り交ぜて、女性は広げれば腰を中心に扇形にふわりと広がる長いスカートをひらめかせながら、踊ります。男性はもちろんのこと、その優雅な装いから想像できないけれど、女性の踊りもかなり力強いものです。
 
力強く勇壮なzapateo

ボリビア初高校総体、タリハ県開会式にて

 チャカレラとの出会いはまた思いもかけぬ形で自分を見直すことにもなりました。最初に入っていた踊りのグループはかなり本格的なもので、月1度はテストがあり進度もかなり早い。チャカレラ、高地の黒人の踊りサヤ(Saya)、カポラレス(Caporales)と次々と新しい踊りが始まります。最初のチャカレラのテストで先生に言われたのが「弱い」という言葉でした。見ていた知り合いが「踊りには人柄がでる。あなたの踊りは柔らかくなめらかできれいよ。」とちょっぴり慰めてくれました。

 人の性格には誰にでも強いところと弱いところがあるもの。強い部分が強くなり過ぎないようにしつつ、弱い部分に働きかけてバランスをとり、人としてできるだけ理想の形に近づくことがこの世における生の役割だと思います。芸術のすばらしいところはそのように自らの深部へより近づきなんらかの作用を与えながら、世界との繋がりをつむぎだすことにあるでしょう。私の場合は身体的柔軟性はさておき、頭でっかちで考えすぎる側面、統率力やカリスマ性など課題は沢山。内に沈みがちな自己を踊りや音楽を通して、少しずつ解放していけたら素敵です。何より今バイオリンもダンスも楽しいのです。音が動きに、動きが音に。そして共に弾き、踊る仲間と音が、動きが合ってくる喜びを感じています。

レストランTentaguasu、Peña におけるバイオリン奏者