2011/02/16

天国に住むタリハ人

ハンモックから見上げる空

 2月。年末から雨がたくさん降るようになって、緑がぐんと増えた。タリハをとりまく山々も気がつくと、緑に光っている。日本の山のよう。さすがにあの暑苦しさはないけれども、湿度も高くなってきた。先日オルガにちょっとおいで、と言われて部屋に行くと、聞いてごらん、と窓の外を指さす。ジージージージジジジジ・・・蝉!先日友人に日本の夏といえばセミという話をしたばかり。タリハでセミの声を聞くのはなぜかとても不思議。そう言ったらオルガはあなたの弾いている曲よ、と言う。バイオリンの発表会で弾いた曲"La Chichara Cantora"は「よい声で鳴く蝉」の意味。そうだったのか。新たな発見。歌になるほどなのだから、蝉はタリハの風物詩でもあるのだろう。雨上がりの日差しのもと、一匹だけで鳴くセミにしばし耳をすませた。


食べて美味しい葡萄

ワイン用の葡萄
 旅から帰ってきた1月半ば。夏休み中の学校は空っぽ。SEDUCAに詰める日々。この期間に出来ればやりたいと思っていた英語の授業のセミナーも準備はしてみたものの、日程がうまく合わずに頓挫。せっかく時間があるんだからとスペイン語のフォローアップ研修を受けることにした。タリハまでスペイン語を勉強しにくる学生はいないらしく、英語やポルトガル語の先生はいてもスペイン語の先生はいない。探しに探してようやく見つけた先生。国語の先生で、外国人むけに文法の説明は全然できないのだけれど、学校で教えているだけあって教育の分野の知識は深く、話を聞くとおもしろい。そしてよく話す!結局授業は先生の持っているテキストの小話を1つずつ読み、意味のわからない個所を教えてもらって内容の確認をする、読んだエッセイの感想や歌の翻訳、仕事に関する文書などスペイン語で書いたものを添削してもらう、そして新しい教育法をプリントアウトしたものを少しずつ読んでいく、という3つをやっていくことにした。ついつい便利な辞書に頼ってしまい、自分の本来のスペン語力を超えた複雑な文章を書いてしまったり、新しい単語が全然頭に入らなかったりと、反省点は一杯。それでも多少退屈ではあったけれど、同じ単語が繰り返しでてくる教育法を読んでいく作業が意外に役に立っていることに気づいて、英語も結局こうやって身に着けるのが一番自分に合っていたことを思い出した。やっぱりスペイン語の勉強は続けないと伸びないことを実感。先生のところに通うのはいいモチベーションになる。


かわいいDurazno(桃)
 2月は葡萄の季節。週末はワインで有名なValle de ConcepciónにあるOlgaの実家や知り合いのぶどう農園を訪れる。歩きながらぶどうのつまみ食いをしたり、ハンモックに横たわって読書したり、近くの木から桃をたくさんもいでフレッシュジュースをつくったりしていると、なんだか避暑地にバカンスにでもきている気になる。タリハがボリビアの軽井沢とよばれる由縁が分かってきた。そしてタリハ人は自分たちの土地をパラダイスと呼ぶとOlgaが言う意味が。見事なほど豊か。

Todos los Tarijeños, cuando se mueran, se van a ir a infierno.
¿Para que quieren ir a paraiso? 
Si ya vive en el paraiso.

(全てタリハ人は、死んだとき、地獄に行くだろう。
いったいなんのために天国に行きたいと思うのか。
もうすでに住んでいるというのに。)






 この時期、タリハには多くのバックパッカーが訪れる。20代から50代、さまざまな年代の人が数ヶ月から数年にわたって、ボリビア、南アメリカ、そして時に世界中を旅している。カップルで、1人で、旅先で出会った人と一緒に。彼らの多くは環境や有機農法、自然との共生やいかにシンプルに生きるかということに興味をもっている。必要最小限のものを持って、気に入った場所では自分に必要な時間だけ滞在しながら、長期にわたって旅をする。

 「一つの目で千の場所を旅するのと、一つの場所を千の目で旅するのと・・・。」いつかどこかで読んだ言葉。どこを旅しても目に入るものが同じではおもしろくない。1人の人間の興味の範囲は限られている。その範囲を広げ、つながりを持ち、物事への理解度を深めるのはやはり出会いと経験だと思う。全てがうまくいく旅などなく、文句をいう相手はいない。トラブルが出会いを生み、興味の広がりがその土地に根付いて新しい試みをしている人との交流を可能にする。そんな旅を通して、自分にとって本当に必要なものとそうでないものと知っていくのだと思う。

小さくて甘いHigo(いちじく)











 タリハの鶏は健康かしら?という話をひとしきりした後、アメリカ人のカップルが自分達の話をしてくれた。旅の前は生活時間が違ったから、家に帰って会うと話すこともたくさんあって、何も問題なかった。それが旅を始めてから四六時中一緒、互いの距離の取り方が掴めなくてよく喧嘩した。1人で過ごす時間を尊重すること、1つ1つの言動を悪く取らないことを学んだという。旅上で出会った人たちとのぶつかり合いもある。人種や民族で決めつけてはいけないけないのはわかってるさ、でもフランス人とうまくやるのは大変だ、文句ばかり言うし、すぐ指図したがるし・・・。でもバスで会った女の子は素敵だったわよ・・・。そんな会話が続く。恋人や友人など身近な人間はもちろん、異なる人種や文化背景の人間との葛藤と和解。

 旅はいいなと思う。話を聞いていると、また旅にでたくなった。でもよく考えれば私は今旅先。外ばかりに目を向けるのでなく、ここタリハで起こっている動きを見つめることをしないと。タリハでの今を大切にしようと決意したのはこの間のはずなのに、すぐに忘れてしまう。SEDUCAの人々、オルガとその家族、学校の先生や子供達、スペイン語の先生と同じ先生にポルトガル語を習う生徒たち、バイオリンの友達、JOCV仲間や同期、同じ興味を持つ人達と過ごす時間。日本がなつかしい、日本人が好きで、日本人によくしたい。そんな理由で生まれる交流もある。今得ている繋がりをどこまで深め、広げれるか、そこから始めなければと思う。

 千と千尋の神隠しの主題歌「いつでも何度でも」。ウユニへの旅の間幾度となく口ずさんでしまって、旅仲間にもうつってしまった歌。スペイン語の宿題に訳す。「生きている不思議、死んでいく不思議 花も風も街もみんな同じ」・・・気になる個所がいくつもある詩だけれど、今ぴったりくるのは最後の歌詞。「海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに  わたしのなかに 見つけられたから」すばらしいものはどこか遠くにあるのではなく、私の中、私の住む町、私の築いている人間関係にある・・・

No voy a buscar más allá de los mares porque
encontré algo brillante aquí, en mi mismo.

 夏たけなわのタリハ。一見すばらしいぶどう農園だけれど、若者は田舎で働くことを嫌い、収穫期に人を集めるのは大変だという。田舎には年老いた親ばかり残る・・・と嘆く声。ここタリハにも日本と同じ問題がある。一方で、化学肥料を極力減らし、有機農法でぶどうを育てている、そんな農園もある。タリハのまるでグランドキャニオンのような景色を人に知らしめて、より多くの旅行者がタリハを訪れ、このような有機農家を見学する・・・そんなエコツーリズムを実現しようと動いている人もいる。若者が色々なやり方に興味をもって、ここの豊かな自然を守りながら、田舎ならではの可能性をみつけていけたらいいなと、家の前のちょっと暑苦しいほど緑になった木をみながら思った。

いいとこだろ・・・?

グランドキャニオンなみ!