雨が降って、今朝は一気に気温がさがった。半袖では肌寒い。春分(秋分?)の日も過ぎた。これから日が短くなるのだ。パタゴニアはもう秋だった。季節は南からのぼってくる。
グワナコ |
バルデス半島自然保護区は世界遺産に登録されている動物の宝庫だ。保護区をめぐるツアーに参加してペンギンやゾウアザラシの繁殖地をまわった。ここでしか見ることができないといわれる、シャチが波にのって陸にいるアザラシを襲う光景は本当に偶然のたまもののよう。椅子に座って本を読みながら長期戦に備える人々をみた。3月。シャチが見られるぎりぎりの時期。偶然はおきなかった。気持ちよさそうに横になるアザラシ。シャチとの攻防戦も見てみたかったけれど、平和な光景もいい。バルデス半島内唯一の人が住んでよい町、プンタ・ピラミデ(Punta Pramide)では5月から12月、子育てをするクジラを見ることができる。これを目当てに大勢の人々が集まるそうだ。博物館で聞いたクジラの歌は穏やかでいつまでも聞いていたいようだった。いつかまた来て、親子でゆっくり泳ぐクジラを見れるだろうか。
プンタトンボ(Punta Tombo)のペンギンコロニーでは子育てを終えたペンギンの最後のグループが遊んでいる。巣は海からかなりの距離のところにもたくさん。ペンギンがちょこちょこ歩く横でグワナコが草を食んでいたりする。あの歩きでよくここまでこれたものだ。触ることは禁じられているけれど、人を怖がらず愛嬌をふりまくペンギンはすぐそばまでよってくる。今年生まれた子たちにはまだ柔らかい和毛が残っていた。 これが全て大人の毛に生え変わったら、みなブラジルへと旅立つのだろう。
プンタトンボ(Punta Tombo)のペンギンコロニーでは子育てを終えたペンギンの最後のグループが遊んでいる。巣は海からかなりの距離のところにもたくさん。ペンギンがちょこちょこ歩く横でグワナコが草を食んでいたりする。あの歩きでよくここまでこれたものだ。触ることは禁じられているけれど、人を怖がらず愛嬌をふりまくペンギンはすぐそばまでよってくる。今年生まれた子たちにはまだ柔らかい和毛が残っていた。 これが全て大人の毛に生え変わったら、みなブラジルへと旅立つのだろう。
すると聞きなれた音楽が耳に入ってきた。チャカレラ(Chakarera)!タンゴだけではない、ガウチョ(牧童)から生まれたチャカレラもアルゼンチンの伝統的な踊りなのだ。両手を高くかかげ、スカートをひるがえして踊る踊り手。踊りはボリビアで目にするものよりゆっくりで微妙に違うけれど、音楽は同じだ。見ていると、体がムズムズする気がした。ここ2・3ヶ月踊りの教室にはいっていないから、体が動くとは思えないけれど、タンゴよりチャカレラに心を奪われている自分がおかしかった。舞台では再びタンゴが始まった。お兄さんが客をひっぱりあげている。あまり踊れないのよと身振りで伝えながらも、客はしっかりリードに合わせて踊っていた。ブエノスアイレスに来る人はタンゴを習っている人が多いのかもしれない。
食事の後、カミニ―トからバスに乗ってモラセラート地区にある政治の中心地、5月広場に行った。赤い大統領府の建物や博物館のあるカビルドを眺めて寛ぐ。片方の靴をぬいで耳にあて、電話がわりにして歩く人が数名。あれは何かのおまじないだろうか?へんな町だ。ここから、京都でいえば新京極風のフロリダ通りを歩いて、世界一広いという7月9日大通りにあるオべリスコに行った。ブエノスアイレスは想像以上に大都会。統一感はあまりないけど、古い建物はどっしりと由緒ありげな雰囲気。その名の通り空気がさわやかで、劇場や映画館に人があふれている。芸術がさかんな町。大都会が苦手なうえに、それまでの旅行で疲れきっていた弟と私は十分に楽しむことができなかったけれど、エネルギーのあるときに来たらきっとおもしろかったに違いない。
何車線あるのだろう?? |
国境の橋 |
行きと同じホステル、Siete Duendes(7人の小人)に泊る。12時近かったけれど、お帰りと迎えてくれた。翌朝、朝食をとってバスターミナルへ行った。国境近くの町アグアス・ブランカス(Aguas Blancas) へのバスはなく、近くの町オラン(Olan)へのバスは2時間後がでるという。再びジャーナルを開いて待つ。眠い。バスはゆったりと快適で過ごしやすかった。午後2時オラン着。幸いアグアス・ブランカスへのタクシーが最後の客を待っていたところで、乗り込むとすぐ出発。税関でアルゼンチ出国のスタンプを押してもらうと、再びタクシーに乗り、国境の橋まで連れて行ってもらう。ここでタクシーを降りて、オランから買い物にいくという家族と一緒に橋を渡った。ボリビア側国境の町ベルメホ(Bermejo)。無事帰ってきた・・・?
バスターミナルへ行くなら一緒に乗ろうと誘われるまま、タクシーにのってターミナルへ。何かが頭にひっかかったけれど・・・。最初のバスが83ペソ、オランからのタクシーが12ペソ、そしてこれが3ペソ。ここからタリハに戻る乗合タクシーが40ボリビアーノス。合計すると来た時に乗ったタリハーサルタ間を結ぶバスDragon Rojo、250ボリビアーノスより少し安いくらいか。たまたまオランで待たずにすんだことがラッキーだったのか、時間的にもそれほど変わらない。行きはボリビア側税関が停電でボリビア人の出国手続きに手間がかかりバスの出発が遅くなったから、むしろ時間的には帰りのほうが早いくらいだ。
タクシーが一杯になるのを待ちながらそんなことを考えていると、ふと思いいたる。アルゼンチンで税関を通った、けれどあくまでスタンプは1つしか押してもらっていない・・・ボリビアに入国しただろうか?行きに税関で入国カードを渡してしまっている。それはどうなる?あわててパスポートをみた。6月23日ボリビアに来た日付のスタンプ、3月12日出国、同じ日付でアルゼンチン入国、そして今日のアルゼンチン出国のスタンプはあるけれど、ボリビア入国のスタンプがない!やばい、やばい。不法滞在者になる!?あわててタクシーのおじさんに税関で止まってくれるように交渉。タリハへの道筋にあるが幸いだった。税関に駆け込むと、それはいけないなあと税関のおじさんがのんびりと対応。ほう、2年のビザを持ってるのか、すごいなあ。日本か、家族は大丈夫だったか、原発はどうなっているなどと聞いてくる。ビザに感心しておきながら、今日から90日間滞在できるよなどというから、再度ビザをみせる。ああ、そうだった・・・ボリビアでは何をしているんだい?ああ、JICAか、とあっさりスタンプをおしてくれた。やれやれ。急いでタクシーに戻る。時間にあまりこだわらないボリビア人は誰もイライラした様子をみせていない。時間通りに何かをすることはあまりない代わりに、この辺の鷹揚さにボリビアの人たちの余裕を感じる。タクシーで4時間。無事タリハ着。
タクシーが一杯になるのを待ちながらそんなことを考えていると、ふと思いいたる。アルゼンチンで税関を通った、けれどあくまでスタンプは1つしか押してもらっていない・・・ボリビアに入国しただろうか?行きに税関で入国カードを渡してしまっている。それはどうなる?あわててパスポートをみた。6月23日ボリビアに来た日付のスタンプ、3月12日出国、同じ日付でアルゼンチン入国、そして今日のアルゼンチン出国のスタンプはあるけれど、ボリビア入国のスタンプがない!やばい、やばい。不法滞在者になる!?あわててタクシーのおじさんに税関で止まってくれるように交渉。タリハへの道筋にあるが幸いだった。税関に駆け込むと、それはいけないなあと税関のおじさんがのんびりと対応。ほう、2年のビザを持ってるのか、すごいなあ。日本か、家族は大丈夫だったか、原発はどうなっているなどと聞いてくる。ビザに感心しておきながら、今日から90日間滞在できるよなどというから、再度ビザをみせる。ああ、そうだった・・・ボリビアでは何をしているんだい?ああ、JICAか、とあっさりスタンプをおしてくれた。やれやれ。急いでタクシーに戻る。時間にあまりこだわらないボリビア人は誰もイライラした様子をみせていない。時間通りに何かをすることはあまりない代わりに、この辺の鷹揚さにボリビアの人たちの余裕を感じる。タクシーで4時間。無事タリハ着。
大切な人たちが次々とタリハを去ったこと、人を信じる自分の目に疑いを抱いたこと、地震と原発のニュース、旅・・・色々な思いが一気に体にでた。微熱が続き、お腹を壊した。それでも、今ここボリビアで自分ができることに専念することで、少しずつ気持ちが落ち着いてきている。お腹はまだうけつけてくれないけれど、食欲はある。アルゼンチンでの日々は単に楽しかったと屈託なくいえるものではなかった。常にこんなことをしていていいのかという気持ちとのせめぎあい。それでも、これほど人の暖かい一言が身にしみ、生かされていることを実感したことはなかった。自然の美しさと家族の大切さを思った。