2012/02/03

ボリビアの家族~La Familia extensa~


年が明けて、あっという間に1月も終わり。
旧正月も過ぎてしまって今さらですが・・・
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
今年が平和で穏やかな年になりますように。

年末はサマイパタで同期と過ごしました。紅白をみながら、キムチ鍋をつつき、年越しそばをすすり、お酒を注ぎあって。行動力のある人たちが集まっているからあれよあれよという間に用意が整って、私は時に台所を冷やかすだけで、もっぱら食べる方専門。外国で紅白を見るのは初めて。東北への気持ちを込めた歌が多くて、歌う人の特別な思いを強く感じました。ボリビアにいながら日本のお正月らしい雰囲気で新しい年を迎えることができました。カウントダウンは除夜の鐘のかわりに次々あがる花火を眺めながら。

長く続いてきた伝統や習慣はやっぱりいいなと思います。日本にとってお正月が家族が集う大切な日なら、ボリビアではクリスマスがそれにあたります。卒業式が終わって一段落した12月。オルロで水祭りのお手伝いをし(お茶を点ててきました)、ラパスでAPC申請のために大使館にいき、ついでに?仲間とチョリ―タさんのプロレス、その名もLucha Libreを見に行ったり(これが完全なやらせなんだけど、すっごいおもしろい!)、日本やカナダやタリハ(なぜ?だけど4人も集まった)からの友人と会ったりして過ごしましたが、クリスマス前にはタリハに戻りました。ここボリビアで私の家族にあたるのは大家さんオルガとその家族。やっぱり彼らと過ごしたいなと思ったのです。





24日は朝から土曜マーケットへ買い物。巻き寿司をつくります。Sushiはボリビアでも有名。先日サンタクルスで材料も仕入れてきました。寿司でなくともsushiは作れるはず!日本では作ったことないから見かけは悪いけど、味はいけるはず!中身はツナマヨ、しいたけ、ほうれん草、卵とシンプル。お醤油とわさびを用意します。オルガがボリビアのクリスマス料理ピカーナを作っているから、おつまみにしてもらいます。作り終わってほっとする間もなく、仕事のパートナー、イルセンから電話です。今から迎えにいくから、ピカーナを食べにいらっしゃいとのこと。「私のピカーナを食べれるようにちゃんとお腹をあけとくのよ」とオルガにおどされながら出かけました。ピカーナのはしご。

帰ってきたらもう11時過ぎ。オルガの息子ミゲル一家とお姉さんエルヴィラ一家が来ていました。そして12時。贈り物をあける時間。主人公はやっぱりマリア・リリアです。クリスマスツリーの下のプレゼントをとってはお母さんに名前を読んでもらい、みんなに渡していきます。自分のだったら大喜びで、ビリビリ包装紙をやぶいてプレゼントをとりだします。私もいくつか贈り物をもらいました。


翌日クリスマス。再び同じメンバーが朝のお茶をしにやってきました。マリア・リリアのお母さんフリアの作った苺トルタ。おいしい!同期のちーちゃんもおすしを食べにきてくれます。大家さんのピカーナも一緒にぺろり。そうしている間にも、コチャバンバに住む姪一家が訪ねてきます。そして昼食によばれて友人宅に出かけようとすると、今度は市内に住む姪とその子供達(マリア・リリアの従弟)やラパスに住む甥がやってくるのに出会いました。クリスマスはこんな風に親戚一同お互いを訪ねあいます。オルガも午後はバジェにいってくるわと言っていました。タリハから車で30分、ワインで有名なバジェ(Valle de Concepción)にはオルガの実家があって、お母さんと妹一家がいます。近いから週1回は必ず訪れているバジェだけど、やっぱりクリスマスにはどんなに忙しくても行くのです。



年末から訪れていたサンタクルスで仲間の活動先を訪ねたある夜。ボリビアの友人2人を交えてパティオでおしゃべりしながらでたのがsobrino/a(甥/姪)という言葉の意味でした。日本では兄弟の子供を意味するけれど、ボリビアでは従姉妹の子供をも含むとか。ボリビアは日本に比べると子だくさん。還暦を迎えたオルガが8人兄弟なのは頷けても、年下の友人が8人兄弟なのにはびっくり。兄弟姉妹の数が多ければ家族のメンバーが増えるのは当たり前。それに加えて「家族」という単位の枠が広いのです。日本のように祖父母、父母、子供(孫)の一本の線ではなく、横に広がって枝分かれしています。それだけの大人数がクリスマスに1つの場所に一度に集まれないから、大勢の訪問者!という結果になるのです。

カナダにいた頃、同じ留学生でもメキシコ人の友達が家族や親せきと密に連絡を取っている様子に、面倒くさそうと思いつつどこか羨ましい思いをしたことがあります。この友人の家を訪ねたクリスマス休暇、家族や親せきあげて歓迎してくれて嬉しかったのに、入れ替わり立ち替わり訪れる親戚との食事会や家族行事にいっぱいいっぱい。伯父と伯母、父の従弟とその家族、従妹の誰々・・・次々と紹介されて、頭がクラクラ。部屋でぐたっと休んで友達のお母さんに心配されました。その頃はスペイン語も今よりずっとあやしく、よくわからない話を理解しようと聞いているのに疲れてしまったのです^^懐かしい思い出です。

日本でも一つ前の時代のお正月はこんな感じだったのでしょうか。みんなが近いところに住んでお互いを訪問し合って、新年の挨拶をかわす。家族という単位が煩わしかった時期もあったけど(ボリビア人でもそう感じる時はあるみたいで、年の近いオルガの姪カリナとイブの夜ちょうどそんな話もしたけれど)家族と離れ、その家族を何より大切な単位とみなすラテンアメリカに住んでみると、改めて家族の意味について考えさせられます。子供の頃、長い休みの度に鳥取砂丘近くの祖父母の元を訪れ、従姉弟達と過ごした日々を思い出すと、あれほど楽しかった時はない気がするのです。大人になるとなかなかそんな時間はもてなくなってしまったけれど、友達と友情を育んでいくように、家族と新しい関係を築いていけたらいいなと思います。

今年のお正月。駒ケ根からもうすぐ2年、共に過ごして今では「家族みたいだね」というセリフがでるほど、お互いに楽な関係になった同期と、お父さん的存在うえまさん宅で迎えました。軋轢が全くないわけではなく、それぞれが小さくお互いを傷つけたり、むっとしたりすることも当たり前ながらあるけれど、それでも全員集まろう!と誰かが音頭をとったわけでもないのに、サマイパタで集まってしまうのは、家族と似通った絆ができてるのかなと思うのです(最後の極め付けは25日にうちに来た後、スクレに旅立ったのに「サマイパタにきちゃいましたー」とメールをよこしたちーちゃん)。血が家族を結ぶのなら、同期としてボリビアに来たことが私たちを結んでいます。でも、こうしてわあわあ騒ぎつつ自分の場所を確保してゆるやかな時間を過ごせるのは、「血」に甘んじることなく、お互いの関係を結んできたからだと思うのです。国外へ旅行中で来れなかった仲間。でも誰かが持ってきたベニ県の小さなお面をいつの間にかヨータローと呼ぶようになって、集合写真にもちゃんとうつっています。


1月初め帰国前の仲間が言いました。「ボリビアにきて家族の大切さを感じた。」「信頼できる仲間がたくさんできた。」ボリビアに来て増えたものリストにのせるべき一番大切なものを忘れていたみたいです。
 『真の贅沢とはただ一つしかない。それは人間関係の贅沢である。』 
サン・テグジュぺリ 「人間の大地」
                   
世界中の人たちがこの贅沢を味わえますように。