2010/09/30

タリハの春とボリビアの現実



9月21日。Dia de Primavera。春が始まる日。
タリハに少しずつ緑が戻り、町は桃の花や梨の花、白と紫のかわいい花を落としそうなくらいたくさんつけた木々で華やかになってきた。パリ風カフェの並ぶPlaza CentralやPlaza Sucreは色とりどりの薔薇でいっぱい!
 
 春の日はDia de Estudiante(学生の日)でもあり、各学校で様々な催しが行われる。
U. E Simon Bolivarでは夜行われるダンスの発表会の練習に余念がない。6年生はWakaWaka(Shakira)を踊る。1人の女の子がずばぬけてうまくて、思わず見とれた。
U.E Belgranoではお姫様のようなドレスを着た女の子たちが音楽に合わせて裾をゆらしていた。男の子達も一人前にZapateo(タップダンスのように足をふみならす)をこなしている。上の階からそれを眺めるのは中高等部のお姉さん、お兄さん。こちらはぴったりしたジーンズに肩をだした鮮やかなTシャツとモダン。踊りつかれたクラスは部屋へもどっておやつタイム。
やっぱりどこの国でも春は待ち遠しいもの。
心なしか空もずっと明るく、気温もぐっとあがった気がする。
 
そんな折、明るいニュースが飛び込んできた。
看護学校で働いている仲間からのメール。看護師としての長い経験を持つ彼女は以前からボリビアの医療事情の未熟さを伝えてくれていた。

ちょうど5日前のメール。生徒の1人の具合が悪くなり、病院に連れて行ったところ、検査の結果はかなり深刻なのに、医者の判断は事態を呑み込めていないような頼りないもの。点滴を一本を打って帰された生徒の容体はどんどん悪くなるばかり。とうとう何も話せず、動けない状態に。家族は心配しつつもなかなか病院へ連れて行かない。お金がないから。愛していないわけではなく、家族も食べて、生きていかなくてはならない。きっとよくなる、と願いを込めて見守るしかない、医者の力が圧倒的に強いこの国で看護師である友人は意見することもできないし、一時の同情でお金を出すわけにもいかない。痙攣が起きて意識がなくなり、ようやく病院へ連れていかれた生徒はいくつかの検査をうけ、入院の必要があると告げられる。けれども家族には費用が払えない。治療費が払えなければ病院もひきとめない。結局多額の検査費を払っただけで、生徒は退院した・・・

友人のメールは憤りややるせなさや自分を責める気持ちで一杯だった。
職種も違えば任地も違う。
日々出会う出来事が違うなかで感じることが異なるのは当たり前のこと。
それでも豊富な農作物と豊かな天然資源に恵まれ、物にあふれてるわけではないけれど必要なものを手に入れて穏やかに暮らす人々に囲まれて、忘れがちであったことを思い出させてくれるメールだった。

私が目にするボリビアだけがボリビアではないこと。
私が目にするボリビアは私の目に入るものにすぎないこと。

SEDUCAや訪問する近隣の学校、バイオリンやダンスの学校、大家さんの家族と過ごす時間を通して、私が知るボリビアもボリビアで、その中にも悲喜こもごもいろんな出来事がある。それは日本であれ、ボリビアであれ、同じこと。生きていれば様々なことがおこるから。日本に確実に存在する貧困問題や医療問題とボリビアのそれとの間に状況の違いこそあれ、その重みを比較するすべはない。それでも、この国がラテンアメリカの最貧国で、貧困層の生活の貧しさは日本では考えられないものであることも事実。そして貧困層の多くが先住民であることも。

意志を持って、心を働かせて現実を見つめること。


 メールを受け取った週末、オルガとその姉一家とダムによってできた湖を見にWuakataへ出かけた。タリハの町からサンロレンソをぬけ、砂利道を登ること1時間あまり、平らなアルティプラノをさらに進むと、川をせき止めている現場に着いた。オルガの姉エルヴィラの作ったくれたお弁当を食べながら湖を眺める。すぐ後ろでメェ~、メェ~という鳴き声とともに鈴の音。「Pedro(ペーター)よ。」そういったのはオルガ。人の姿はないけど?「アルプスの少女ハイジ」はオルガの孫娘マリア・リリアの、そして私の大好きな番組。



ヤギが草をはむ山の景色から目を転じると、そこには巨大なコンクリートの壁。
ちょうど食事が終わったころ、工事の人たちがやってきた。
エルヴィラの夫でドイツ人のヴォルフカンと技術者に話を聞きに行く。心よく応じて、てきぱきと質問に答えてくれた。2年がかりでとりくんできた工事。タリハ県が全ての資金を出している。段階的目標として1.タリハ市内への水の供給、2.灌漑、3.水力発電。工事は最終段階、これから雨季がくれば水で一杯になる。遠くに見える家は湖の下に消える。もちろん住民には別の土地が用意されている・・・
聞かずにいられないのは環境への影響。これも調査済みとのこと。工事現場に見えるいくつかのペットボトルとナイロン袋。これらは回収されるのだろうか。とはいえ、ゴミの量は日本の山でよくみられるあの大量のゴミに比べたらほんとに微々たるもの。そもそも消費している物の数が違うのだ。この新しく出来た湖にはフラミンゴのペアが訪れているのが観察されているという。近くの国立公園から飛来してきてるのだ。ここを繁殖地にするかもしれない。人の行為が自然界に及ぼす影響は遠く遠く、どこまで波及するのだろうか。家を捨てなければならない農民と新しい住みかを見つけたフラミンゴ。いつの日か新しいダム湖は観光地として知られるようになるかもしれない。人とフラミンゴが共存する世界が出来ていることを願う。ピンクのフラミンゴでいっぱいになった湖を想像すると、自然に笑みがこぼれた。

帰途についてすぐ、運転しているヴォルフカンの息子が声をあげた。
コンドルだ。
山の頂上。
翼を広げ、そしてたたんだ。
白い首。
谷間を見下ろしている。

その横で何かが動いた。
人だった。
カメラの望遠を通してヤギが峰を伝って歩く様子が見える。
そして、目の端を横切る影。
眼下をコンドルが飛んでいた。
獲物を狙って低く、低く。

左がコンドル、右が人!


今でもこの光景を思うと心がしんとする。
あのヤギを追っていた人々は、茶色く乾いた山間にしがみつくようにぽつんと建っていた土壁の家で暮らす人々は、ハイジが山を愛したように、彼らの山を、暮らしを愛しているだろうか。あのダムは彼らの生活を潤すことがあるのだろうか。昔はともかく、現在のアンデスの山々はアルプスのそれよりはるかに厳しい生活を彼らに強いている。選択権があったとしたら・・・それでも、彼らはここで暮らすことを選ぶだろうか。
コンドルの飛ぶ山あいで生きる人々は。
想像を超えているけれども、もしかしたら、とてつもなく自由なのかもしれない。

春が始まる日、
友人のメールは生徒が持ち直したこと、徐々に口がきけるようになってきたこと、そして、ホームステイ先の犬にかわいい子犬が誕生したことを伝えてきた。
回復と、新しい命の誕生。
春の始まりにふさわしい明るいニュースだった。